なぜ名古屋・八事に住むのか|名古屋で拠点に選んだ理由【まち事001】
まち事001|タウンアーキテクトが、自分の住む街を正直に語る。
住む街は、自分を映す鏡だ。
YA! Go to townは、特定のまちを紹介するメディアではない。名古屋圏のまち全体を歩き、記録するメディアだ。ただ、発信の拠点がここにある。
今回は特別に、その拠点である八事という街そのものを取り上げてみる。
「八事に住んでいます」と言うと、少しだけ背筋が伸びる感覚がある。
名古屋でも有数の山の手、高級住宅街、文教地区。タウンアーキテクトとして、まちを見る目でこの街を選んだ。その理由を正直に書く。そして、この街に足りないものも。
八事という街の歴史
八事という地名は、八つの坂があることに由来している。
江戸時代前期、この地は尾張徳川家の祈願所ともなった興正寺を中心とする信仰の地として栄えた。明治27年に設立された愛知馬車鉄道——これが後の名古屋電気鉄道となり、現在の名鉄へと繋がる起源だ。名古屋電気鉄道は大正11年に市内線を名古屋市に譲渡し、それが名古屋市電・現在の市営地下鉄へと発展した。名鉄と名古屋市交通局はルーツを同じくしている。その路線網の一部が八事エリアの発展を支えた。大正・昭和戦前期には療養所・学校・野球場といった郊外施設が立地し、八勝館をはじめとする料理旅館も誕生した。
1914年(大正3年)には日本赤十字社愛知支部の療養所として開設されたのが、現在の八事日赤——名古屋第二赤十字病院の前身だ。その後、総合病院として発展し、今では地域の大病院として八事の街を支える重要な都市インフラになっている。
信仰の地から始まり、学術・住宅・医療が重なり合って形成されたのが八事という街だ。この積み重ねが、エリアとしての深みを生んでいる。
八事を選んだ理由
最強のインフラ:地下鉄2線と徒歩圏
八事には地下鉄2線が乗り入れている。名城線と鶴舞線。万が一片方の路線が止まっても、もう一方で移動できる。4月から始まる大学院での研究生活も含め、多忙な日々を支える最強のインフラだ。利便性だけでなく、冗長性がある街——これは都市生活のリスクヘッジとして大きい。
さらに、名駅や栄といった名古屋の中心部から**徒歩で帰れる距離**に位置している。災害時など交通機関が全て止まった場合でも、歩いて家に辿り着ける。都市のインフラが止まったとき、この距離感は想像以上に重要だ。
地盤の良さ:防災の優位性
建築士として見逃せないのが、**地盤の良さ**だ。八事は台地上に位置しており、地盤が安定している。津波の心配もなく、都市型洪水のリスクも低い。名古屋は海抜ゼロメートル地帯を多く抱える都市だ。その中で、八事という立地が持つ防災上の優位性は、住む場所を選ぶ上で非常に重要な理由になる。
坂と眺望
八事は起伏に富んだ地形だ。坂が多い分、土地によっては名古屋市内を見渡す眺望が望める。平坦な土地の多い名古屋において、この地形的な個性は貴重だ。
住宅街の静けさ
幹線道路から一本入れば、静かな住宅街が広がる。都心へのアクセスを保ちながら、暮らしの場としての静けさがある。この両立が、八事の大きな魅力だ。
昼間人口を維持する装置
タウンアーキテクトとして、この街の構造を改めて見ると面白い。
興正寺をはじめとする社寺仏閣、南山大学・名古屋大学・中京大学・名城大学などの大学群、そして八事日赤——これらが昼間の人口を安定的に供給し続けている。商業施設だけに依存しない街の賑わいは、この装置があってこそだ。
また、この地には魯山人ゆかりの料亭・八勝館がある。美食家・芸術家が集った場所としての歴史が、この街の文化的な土台にある。自動車産業をはじめとする名古屋経済界の重鎮たちの邸宅も多く、この街が持つ「格」を静かに物語っている。
自分をアップデートし続けるための装置
合理的な理由を並べてきたが、本当の理由はそれだけではない。
正直に言えば、この街の持つ「響き」に惹かれた。名だたる先人たちが居を構え、歴史が息づく場所。ここには、住む人間にもそれ相応の「品格」を求めるような、心地よい緊張感がある。
周辺住民の意識も高い。富裕層が多いエリアで、子どもを育てる環境として、周囲の大人たちの意識の高さは無視できない。子どもは環境で育つ。
私は、この街にふさわしい人間であり続けたい。
新しいMacBookを開くときも、フルマラソンに向けて坂道を走るときも、「八事の住人として、恥じない生き方をしているか?」と自分に問いかけている。この街は、自分を律し、アップデートし続けるための「装置」だ。
愛ゆえに感じる、決定的な「つまらなさ」

しかし、住めば住むほど、募る不満がある。
八事には文化発信装置がない。
これほどの文教地区で、多くの学生が行き交う街なのに、「文化を浴びる場所」が圧倒的に足りない。思索にふけるための静かな私設図書館も、感性を揺さぶる小さなシアターも、知的好奇心を満たす古本屋もない。
今の八事は、立派な邸宅や大学が「塀」で閉じられ、歩く楽しさ——いわゆるウォーカブル(Walkable)な魅力が、点としてしか存在していない。
近くにあるガラスブロックのファサードが美しいアートギャラリー。あのような場所が、もっと街と溶け合い、連なっていくべきではないか。
妄想:名古屋の「代官山」を目指して
頭の中に、一つの妄想がある。
代官山の槇文彦が設計した「ヒルサイドテラス」のように、建築が街に寄り添い、歩道と中庭の境界が曖昧で、歩くほどに新しい知性と出会える風景。コーヒーを飲みながら本を読み耽れるような場所。
今の八事は、まだそのポテンシャルの半分も発揮できていない。
だからこそ、いつかこの地に、自ら文化を形にする「装置」を作りたいと思っている。誰かの出資を募るのか、自ら投資するのか、方法はまだ模索中だ。しかしこの街に「知的な遊び場」を作る——それが、タウンアーキテクトとしての、そして一住人としての野心だ。
効率やステータスを求めて選んだこの街で、いつかこの街に足りない「最後の一片」を埋めたい。
その時初めて、私は本当の意味で「八事にふさわしい人間」になれる気がしている。
あなたの住む街、大好きな街に「これがあればもっと最高なのに」という一片はありますか?
この記事を読んで、八事の坂道を少し歩いてみたくなった方は、ぜひ「スキ」で教えてください。
