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映像にできない、小説の表現は何ですか?

綿谷りさの小説「激しく煌めく短い命」を読んだ。

わりと最近に出た小説なので、ネタバレ的なものは控えて、思ったことを書いてみる。

Amazonの本紹介は、こんな感じ。

集大成的恋愛小説、圧巻の千三百枚
二人の恋の炎は、すべてを焼きつくす。
京都と東京を舞台に描く、集大成的恋愛小説
「誰かを傷つけるのはこわいけど、傷つけなければ生まれない感情もある。」――綿矢りさ
京都に暮らす久乃(ひさの)は、中学校の入学式で出会った同級生の綸(りん)にひと目で惹かれ、二人は周囲の偏見にも負けず、手さぐりで愛をはぐくんでいく。
「名前なんか、どうでもいーやん。私は久乃が好き。久乃は私が好き。それで十分やろ」
しかしあることがきっかけで二人は決定的に引き裂かれる。
そして十数年後、東京の会社に勤める久乃は思いがけない形で綸に再会するのだった――。
綿矢りさ史上最長、圧巻の1300枚!

今回の作品は原稿用紙換算で1300枚らしい。上記の紹介でも2回も出てくるので、「分量」は今回推したかったところなのだろう。

僕はKindleで読んだので、物理的にはその大きさを実感できなかったのだけれど、確かに読んでも読んでもなかなか進んでいかないな、とは思っていた。実際に、紙の本は600ページもあるらしい。普通の本の2倍ぐらいの厚み。

いわゆる恋愛小説ではあるものの、その要素だけではない。これは紹介にも書かれているのでネタバレには含まないと思うのだが、女性同士の恋愛の話である。これをさらっとどこかのシーンだけで描くのではなく、二人の出会いのところから、どういう紆余曲折を経て仲良くなっていくのかというエピソードが丁寧に描かれている。

この作品の内容からして、そのうち映像化されるような感じはするのだが、これだけ長い分量を使って表現したかったことは一体何だったのだろうか、と思った。内容だけを見れば短編小説でも成り立ちそうな題材であり、「何を表現したかったのか」が気になったのである。

綿谷りさは僕より少し年上だが、概ね同世代といってもいい年齢だ。中学生時代の頃の話では、そのあたりの時代を汲んだ小道具がたくさん出てくる。これは本人も意識して書いていたことらしく、その時代背景のようなものを感じ取りながら読んでもらいたいとのこと。

どちらかと言うと前半はあまり話が転がらず、断片的なエピソードがちりばめられている感じ。時代の空気感であったり、人間関係がどのような形で構成されていたのかといったところに着目しながら読んでいくことになる。

後半になるとドラマが動き始めるので、そのドラマ展開のほうに釘付けになるのだが、その空気感の出し方がうまいなと思った。もちろんそういったものは映像作品でも表現できることではあるのだが、これだけ長い分量を読んできたことで感情移入も一層深まり、後半に行くにつれて止まらない感覚があった。

こういう作品に出会うと、小説という手法の表現の幅はまだまだあるのだなということを感じさせられる。筋書きそのものは割とシンプルで、ぎゅっと圧縮しようと思えば圧縮できるような話だ。だからこそ、これだけの分量を最後まで読んできた甲斐があるというもの。

言ってしまえば、小説を制作するコストは非常に安い。作者がキーボードを叩いている時間が制作コストの大半を占めているので、長い作品にするデメリットが少ないということがあるだろう。これを映像化するとしたら、いろんな要素をギュッと圧縮することになるんだろうな、と思う。これこそが小説という表現媒体の持つ一番の可能性だと思う。

たんに冗長というだけでなく、時代背景や心の機微を丁寧に描く。それによって読者に没入させ、物語に引き込んでいく。それができるのがやはり一流の書き手だなと。

そしておそらくではあるが、あまりプロットを綿密に組まずに書いたんだろうな、とも思った。しかしそれがかえって物語に深みをもたらしている。

それにしても、これだけ重厚な物語を読んでしまったので、もしかしたらこれが今年読んだ本のベストファイブくらいには入るかもしれないと思った。読書に慣れていない人だと、分量が分量だけに読了までかなり時間がかかるかもしれないが……。

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