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「最終的に残る趣味」はなんでしょうか?

ちょっと前に中学時代からの友人と飲んでいたときに少し話題になったことがある。あらゆる趣味もいつかは飽きるが、「最終的に残るもの」って何だろう、というものだ。

その友人はゲームを結構やるのだが、一人でもくもくと進めるタイプのゲームは、わりと早い段階で卒業するかもしれない、と言っていた。僕たちがゲームにハマっていた90年代後半から00年代初頭は対戦ゲームも当然あったが、RPGのような、一人でもくもくと進めるタイプのゲームもたくさん発売されていた。しかし、そういうのはそのうち飽きてしまうだろうな、と。

その友人は株などの投資もやっており、数年前は結構のめり込んでいたようだが、いまはそこまでリソースを割いているという感じではないので、そのうち卒業するかもしれない、と言っていた。今は手のかからないインデックス投資が中心らしい。

では、一体何が残るのだろうか。

僕の場合は、「何かを創作すること」と、「読書」などが残るような気がしている。このふたつは永遠に続き、終わりがない。

創作することについて言えば、ここ数年はAIの進化に歯止めがかからず、もはや将来的には人間には創作の領域において、出る幕がほぼないようにさえ見える。

しかし「趣味としての」創作は永遠に残るだろう。AIがどれだけ発展しようが、個人個人が「趣味として」やる分には、それぞれが勝手にやればいいからだ。

そして、そういった「趣味的な創作」のほうがいい、という人も現れるだろう。規模は小さくなるかもしれないが、確実に存在する市場だと思う。文学フリマのようなものが一定の規模で残るイメージだ。

読書も同様である。どれだけAIが賢くなろうとも、「文章を読んで理解する」ことが読書の本質であり、それが奪われることは永遠にない。

もしかしたら将来的には、AIがすべての本を執筆するのが中心となり、人間が本を出すことが激減する未来がくるかもしれない。しかし、たとえそうなったとしても、「人間が本を読む」行為自体はなくならないし、本を読むことの価値も失われないだろう。

だからこれもまた、永遠に奪われないものと想像できる。

いろいろと話していくうちに、最終的な趣味として残るのは「アナログなボードゲーム」かもしれない、という話になった。晩年、あらゆる趣味に飽きたころでも、人とワイワイやるタイプのボードゲームは膨大な種類があり、駆け引きが面白いので、きっと残るのではないかと。

ボードゲームを通じていろいろな人と交流を持つことは、何歳になっても楽しいはずだ。スポーツだと年齢的な制限もあるが、ボードゲームなら制約が少ない。それどころか、年寄りのほうがボケ防止の観点で重要だとすらいえるかも。

僕の趣味のひとつである将棋も、ボードゲームの一種ではあるが、これはとんでもなく奥が深く、終わりがない。それでいてとてもシンプルであるため、どのような環境でも残り続けるだろう。

ボードゲームの本質とは、「ルールそのもの」だと思う。目の前の物質(ボードゲームの盤や駒、カードなど)を触ってはいるものの、それがどのような物質でできているかは問わない。

将棋で言えば、プロが使うような立派な盤や駒を使う必要はなく、プラスチックやマグネットでできた簡易的な将棋セットだって立派な将棋である。それどころか、実際に盤や駒を使わず、頭の中でも将棋は指せる。

同じように、ボードゲーム屋に売っているボードゲームも、一応は商品として販売されているものの、シンプルなものであれば自分でも再現ができる。本質的には「ルール」そのものだからである。

人対人の対戦で、特定のルールのもと、相手の思考を読み、裏をかいて競争する。これがボードゲームの本質である。そして、敷衍して考えていくと、これは人間社会そのものを示しているといえるかも。

人間社会の縮図だからこそ、ボードゲームは面白いのかもしれない。これを探求し続ける限り、人生に「退屈」の二文字はないのだろうな。

奥の深いボードゲーム自体を深掘りしていくのも面白いが、「こんなボードゲームもあるのか!」という新鮮な驚きもまた面白いような。ボードゲームコレクションを通じて、「面白さ」を追求していきたい。

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