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「AIを使いました」というと、なぜ安っぽく見られるのか

近頃は、何をアウトプットするにしても、AIの力を借りることが当たり前の時代になってきた。

AIは「日進月歩」という言葉では足りないくらい、日々進化している。先月と今月では明らかに違う。AIが生み出すもののクオリティーや精度は増すばかりだ。おそらく、この先も後退することはないだろう。

しかし現在において、例えば「このアウトプットはAIで作りました」と明かすと、どうしても軽く見られてしまう。軽く見られるというか、安っぽく見られるというか。「AIで作ったのであれば、まあ大したものではないな」という感じで受け取られてしまうことが多いはず。

例えば仕事の資料などで、「この資料は全部AIで作ったんですよ」と紹介したら、手抜きだと思われ、信頼を失うことにもなりかねない。だから今の人たちは、AIの助けを借りながらも、基本的にはAIを使ったという事実を隠しているのではないかと思う。

もちろん、資料を作るにあたってAIの力を借りることは、すでに当たり前になりつつある。実際にそうしている人も多いと思うのだが、そういったことは一切表には出さず、まるでゼロから完成まで自分一人で作りました、という顔をして提出している。

しかし実際のところ、AIを使うことは当然ながら悪いことではない。クオリティを高めるためにAIにやってもらえることはたくさんある。AIにたたき台を出してもらい、それを自分でチェックする。そのうえで、「ここをこう直してほしい」と指示を出し、議論を重ねていく。さらに、最終的な成果物をもう一度AIに見せ、おかしなところはないか、不足している部分はないかを探してもらう。

その資料を見た相手がどのような印象を受けるのか、まっさらな気持ちで受け取って評価してほしいとAIに頼むこともできる。その意見をもとに、さらに内容を磨き上げることも可能だ。どのような質問が出るかを想定してもらったり、それに対する回答を準備したりすることもできる。

とにかくAIを使えば、「磨き上げる」という作業に関してできることが数多くある。そのため、きちんと使えば、成果物のクオリティは確実に上がるはず。そういう意味でも、AIは仕事においても、プライベートにおいても、切っても切り離せない存在になりつつある。

実際にはAIを使ったほうがクオリティーは上がる。にもかかわらず、AIを使ったことを表に出すと、手抜きをしたように思われてしまう。このようなギャップが起きている。

手抜きのためにAIを使っている人が一定数いることが、その原因なのだろう。「とりあえずこういうものを作ってくれ」とAIに丸投げし、その内容をろくに理解することもなく、そのまま外に出してしまう人がいる。そのために「AIで作ったものは手抜きである」という印象が生まれてしまうのだろう。

AIの進歩は目覚ましいけれど、人間の感覚というものは、そう簡単には変わらない。

それでも、あと十年ほどすれば、「この資料は、きちんとAIのチェックを通したのか?」と確認されるような時代が来るかもしれない。つまり、「AIをきちんと使った」という事実そのものが、信用の担保になる時代がいつか来るのかも。

ただ、少なくとも1年や2年でそうはならないだろう。人間の認識が変わるまでには、ある程度の時間がかかるので……。

もっとも、AIを使うのは前提として、「このアウトプットの責は私にあります」と明確にするため、「AIを使うことは隠し通す」のは未来でも変わらないかも。




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