お金には「色」がついていないのが不思議
お金について考えるとき、不思議だなと思うのは、お金には「色」がついていないことだ。もちろん物理的な意味で色がついていない、ということではない。
お金には、それがどこからやってきたものなのか、という記録がない。財布の中に入っている1万円は、どういう名目でここにあるのか?
現金ならなおさらだけれど、電子的なお金であったとしても、それが振り込まれた名目や振込元の記録は残るものの、いったん自分のところにやってきたものはどんなものでも「お金」でしかない。
銀行口座に預ければ、「残高」の中に吸収されてしまう。実体としては、銀行の管理システム内で管理されているデータにすぎず、そのお金が実際に存在しているわけでもない。一定の金額を「持っていることになっている」。
それがやってきた名目がわかったとしても、どういう合理性でやってきたものなのかわからない。たとえば手数料などで徴収されたお金でも、いったいなんの手数料だよ、と。まあ、企業の営利活動で行われた結果の利益なんてたいていそうか、とも思う。
企業の多重下請けの中抜きが問題になったりするけれど、どういう名目のもとでお金をとっても、その取引に互いが合意できていれば問題ないらしい。結局、単なる「ポイント」でしかないよな、と思う。お金というのは、「何かの量」にすぎないのだ。
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なかでも、税金はとても不思議な仕組みである。税金による歳入は、税収、財源などという形で一括りに表現される。とにかく一定の量が徴収できていることが重要で、誰がどれぐらい収めたお金なのか、といったことはあまり重要視されない。徴収されたお金の名目が、歳出に影響することもない。
とにかく回収されればそれでいいらしい。かなり大雑把な仕組みといえる。なので、お金持ちは徴収されるメリットがないので、とにかく節税しようという流れになる。
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個人の単位だと、お金に色をつける方法が全くないかといえばそんなことはない。お金の使い道を限定してしまえばいい。たとえば結婚資金に貯めてるお金とか、進学資金とか、家を購入するための頭金とか、特定の名目で貯めているお金は、例外的に色がついていると言えるかも。
なので、たとえばお祝いでもらったお金なんかも、自分の口座の中に入れ込んでしまうとなんだかよくわからないままなくなってしまうもの。特別なお金は、まるごととっておくか、その場で使ってしまうのが一番いいのかもしれない。
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