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「推し活に寛容な社会」は普通ですか?

去年、会社のプログラムで、新規事業を立ち上げるための講座みたいなものを一年間受講していた。

研修というわけではなく、大学に通って、学位のようなものをとる割とガチなやつである。いろいろと学べることはあり、非常に有意義だったものの、かなりハードだったので週末などのプライベートの時間が激減した。でも、なんとか1年をやり遂げられたので、とてもよかったと思っている。

そこでは、新規事業の計画書を作り上げるのがゴールになっていて、たんにアイデアを書くだけではなく、実際にいろんな人にインタビューをしたり、効果検証みたいなことまでやる必要があったので、かなり大変だった。自費で休日を潰して視察に行ったりしていた。

同じ講座を受講する会社の同僚が10人程度いて、事業をたちあげるために必要な知識や考え方を習得しつつ、プランを練って、ディスカッションする、という形式のものだった。月に何回か、会社が終わってからせっせと大学に通っていた。

そこでは、他人が考案した事業プランを無数にレビューしていくのだが、面白いなと思ったのは、「推し活」をテーマにしたものが一定数あったことだ。いま、世間的に推し活が流行しているというか、一般的に通じる概念になっている。自分が推し活をしているかどうかはさておき、している人が周りにいたとしても、「へえ、そうなの」とわりと普通に受け入れられる。

事業プランとして毎回出てくるのは、単にビジネスにしやすい(ように見える)からだ。実際にやり出したらこういったファンビジネスというのはかなり大変だと思うのだが、構想ベースでは出てきやすい。

マーケティングの基本ではあるが、こういう推し活にハマる人たちの特性をしっかりと分析して、一定数を囲い込むことができれば、ビジネスとしては軌道にのりやすい、というところだろう。

いまの世の中は推し活に寛容な世の中なので、ものすごい大量の金額を推し活に使っていたとしても、昔ほど眉をひそめられることはない。「そんなに好きなことがあるっていいことだね」という評価もあったりする。

でもなんかそれって違うような、というモヤモヤを抱えていたのだが、先日、YouTubeで精神科医として動画を出している益田先生という方の動画を見ていたら、そんなモヤモヤを専門家の目線で見事に言語化していたのですごいなと思った。

曰く、推し活というのは一種の依存行為であり、多額のお金を使っても、あとには何も残らない。そして推し活を仕掛ける側は、そういった依存傾向にある人をターゲットにピン刺ししていて、絞れるだけ絞ろうとしている、と。

まあ確かに、そういう側面を見ればエグい商売だな、と思う。普通の人ならば適度に楽しむことができるが、自制のきかない人は破滅的な金額を注ぎ込んでしまう。

「他人のためにお金を使いたい」というのは、人間の本能に根ざすものだと思う。若い頃は人におごってもらうと嬉しいものだが、ある程度大人になってくると、むしろ若者におごるほうが嬉しくなってくる。それは人間が群れの動物である以上、自然なことなのだろう。

でもそこにインターネットなどの概念が入ってくると、また話はややこしくなってくる。人間は数十人、せいぜい100人規模の集団で生活するのを何万年もやってきたのに、インターネットを使うと数万人規模でそれが行われることになる。すると、シンプルに「若者にお金を使う」というのがビジネスになってしまう。

まあ、だからといってそれをやめろ、というわけではないのだけれど。推し活を実施している側も、いろいろと競争があって大変なのだとは思うし……。

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