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政治家に期待する不思議な人々

30歳ぐらいから、選挙には律儀に毎回通っている。

衆院選・参院選などの国会議員の選挙はもちろんだが、都知事選や、市議会選などにも毎回通っている。なんだかんだ一年に一度ぐらいは何らかの選挙がある感じだろうか。

なぜそのタイミングなのかというと明確な理由があるわけではないが、それまでは超がつくほどのブラックな仕事をしており、休みの日も何もあったものではないので、時間や精神的な余裕がなかった、というのが正直なところである。シンプルに20代のうちは関心があまりなかった、というのもあるが。

政治や政治家に何かを期待している、というのは全くない。市民として義務だと考えているから行くことにしている。

誰に投票するかという点では、毎回難問を突きつけられている気がする。「この人が良い!」と思うことなど皆無だからだ。基本的には消去法になるのだが、かなり難易度の高い消去法になる。

だいたい順当に「この人になるだろうな」と思う人が当選するのだが、たまに番狂せがあり、新人が当選したり。こういった小さな革命がときどき起きているので、なんとなく回っているのだろう。

世の中の大部分の人は政治に無関心だと思うのだが、たまに驚くほど政治に期待というか、批判をしている人がいる。現政権をSNSなどで糾弾している人も見かける。だが、多くの人は政治的な知識がそれほどあるわけではないので、批判といっても幼稚なものだな、と思う。

いちばん多いのが、「こういう社会でいいんでしょうか?」という物言いだろうか。これも、何か建設的なことを言っているような雰囲気はあるが、あまり意味はない。自分で何かしよう、と言っているわけではなく、ただの不満表明なので、何も言っていないのとほぼ変わらない。

政治の目的はなんだろう。というか、政治家に期待することってなんなのだろうか。

政治は、基本的には、「分配」をするだけだと思う。資源は有限なので、その資源をどこに振り分けるかを決める。もちろん公平に振り分ける建前ではあるけれど、完全に公平に割り振ったら、かえってみんな不幸になってしまう。そもそも、完全に公平に割り振るだけならば、機械的にやればいい話だ。

なので、なんらかの意図に沿って適切に分配する必要があるのだが、どう分配しても文句を言う人が必ずいるので、糾弾される。どう転んでも損な商売である。必ず人の恨みを買う。

恨みを買ってしまうのは、当選するときに大口を叩いているから、という説もある。期待をもたすようなことを言うから、実行できなかったときに批判を食らう。

期待をもたすようなことを言わないと当選できないという仕組みは理解できるのだけれど、そもそもいまの仕組みに無理があるということだろうか。

一方で、独裁国家なら国家の批判などは全くできないが、いまの日本国民は好き放題に国家批判ができるので、その分健全だとも言える。その声を受け止める公務員などは大変だろうが……。

普通に考えたら、政治の世界はこれからAIに置き換わっていくのだろう。人間よりもはるかに視野が広く、広範囲に知識があるので、一番効率的な分配ができるに違いない。

でも、人間の政治家になら文句が言えるけれど、AIには文句が言えないため、やはり人間の政治家は必要になるのだろうか。

AIが政治をやり出すと、誰でも気軽に質問できて、政治のことを答えてくれるようになるのだろうか。それはそれでクリーンすぎて、なんだか怖いディストピア小説のようだ。

それでも、不平不満を言う人の数は減らないような気もする。そういうことを言うことが「世の中のためになる」と信じている人々がいるからだ。

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