見出し画像

読みやすさは正義

自分が書いた文章に対する感想だったりフィードバックをもらう機会はあまりないのだけれど、「文章が読みやすい」と評されたことがある。それはエッセイに対してもそうなのだが、小説に対しても言われたことがある。

もちろん悪い意味で言っているわけではないと思うのだが、少し引っかかるところはあった。つまり、文章が平易で、文意もつかみやすく「たいしたことを言っていないのでは」と批判されていると受け取ってしまったのだ。

まあそこまで極端ではないにせよ、そういうニュアンスが含まれているように取ったのである。

漫画家を目指す人に編集者がまず最初にアドバイスするのは、「ヒトが読める作品にしろ」ということらしい。特に、素人が描いた漫画は読めたものではないので、まずはちゃんと読めるものを描け、ということのようだ。編集者に持ち込まれてくる作品のうち、一瞬見ただけで誰もがハッキリ駄目とわかるものはかなりあるらしい。

漫画家ではないが、ライターであるダヴィンチ・恐山という人による「超初心者向けの漫画を描くアドバイス」というのを読んだことがある。

それによれば、素人はMS明朝などのフォントを使用しがちだけれど、フォントがダサいとそれだけで素人くさくて読んでもらえなくなるので、フォントだけでも商用っぽいものにしろ、とアドバイスをしていた。

また、絵だけですべてを説明するのは難しいので、説明セリフをバンバンいれろ、と。たとえば、場面が公園に切り替わったら「ここは公園」と書け、とのことだった。

つまり、内容がどうとか以前に「読む気がなくなる要素」が素人の作品には無数にあり、それを潰していけ、ということのようだ。ある程度のレベルに達していなければ、そもそも目を通してもらうことすらできないのだろう。

なかなかこういうアドバイスこそが求められているのではないかと思い、ちょっと面白かった。

とにかく、芸術性とか個性とかはまず置いといて、何が起きてるのかを誰が見てもわかりやすく描写することが大事、ということらしい。

何が起きてるのか全然読者にわからなくても許されるのはジョジョの奇妙な冒険だけである。そのジョジョですら、絵が敬遠されて手に取ってもらえないことも多いことを思えば、ほぼ真理と言っていいだろう。

何が起きてるのかわからない漫画の代表
荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険第7部(11)」

アマチュアの書いた小説も、力量はちょっと読んだだけでもある程度わかるものだ。小説作品を読んだらわかるのはもちろんなのだが、小説以外の、エッセイなどの普通の文章を読んでも、どの程度の文章力があるかはなんとなくわかる。

小説を書く力も、それだけで独立した能力なのではなくて、「文章力」という点で共通したものなのだろう。「漫画を描く力」の土台として、「デッサン力」があるのと同じように。

芸術的なことを書くにせよ、個性的なことを書くにせよ、伝わらなければなんの意味もないので、いずれにしても「わかりやすく伝える能力」というのは求められることになる。

商業ベースに乗っている作品や文章というのは、たいていすでにかなりわかりやすくできているのであまり意識することはないが、アマチュアの場合は特にまずそこを意識しなければならない、といったところだろうか。

伝えたいことを伝える前に、少しでも読みづらいと「読む気がなくなる」のだ。そういう意味では、「読む気をなくさせる要素をなくす」というところだろうか。誤字脱字なども、そういった要素のひとつなので、素人ほど徹底的に潰す必要がある。

というわけで、「読みやすい文章」というのは、ふつうに誉め言葉として受け取ってもいいのではないか、と思った次第である。読みやすく書く、というのも重要なスキルだし、伸ばしていくことができる。もっと読みやすい文章を書こう。

いいなと思ったら応援しよう!

やひろ サポート費用は、小説 エッセイの資料代に充てます。