見出し画像

米国で買った家の話【#3家にまつわるストーリー】

サモアでの4年間の借家住まいをあとに、米国にわたることを決めました。最初に住んだ家は、大学のキャンパスにある3DKのアパートでした。広大な土地に学生や職員用ハウジングがあります。家賃には水道光熱費、ネット、テレビ用ケーブルなどもすべて含まれているため、個別に手続きしなくて便利でした。

わたしたち夫婦と、子ども4人が暮らすには広々というほどではありませんが、すでにサモアのモノサシを身に着けていたわたしたちには、贅沢過ぎるほどのアパートでした。3つある部屋のうち、ひとつはわたしたち夫婦のベッドルーム。残りの2つの部屋のひとつは娘が使い、もうひとつの部屋には二段ベッドをふたつ置いて、3人の息子たちでシェアしてもらいました。

アパートには、世界中から訪れている研究者家族も住んでいて、人との交流はおもしろかったし、庭にはバスケットコートや遊具もあったので子どもたちも退屈しませんでした。

それでも半年もすると、夫はアパート暮らしの息苦しさを感じはじめ、一戸建てを買うことを模索しはじめました。家族なんとか6人が生き延びようと必死で資金はないというのに、いったん思い込むと是が非でも方法をみつけようとする困った夫でした。

ただ、ミシガンの田舎ゆえ、家の価格はかなり安いのです。どこに住んでも家賃はいるのですから、毎月の支払いがアパートの家賃程度ですむなら突き進め!と家ハンティングをはじめました。

ところで、米国ではよほどのことがない限り、家は買ったときの価格以上で売ることができます。築100年の家でも価値はあり、メンテナンスをきちんとすれば資産なのです。

画像1

何よりたいせつだったのは、ロケーション。子どもたちが学校に通うことを考えてハイスクールのすぐ前の家を見つけて買いました。米国にわたり1年足らずでクレジットヒストリーがなかったため、日本に持ち家があることや、銀行口座の残高証明などありとあらゆる書類をかき集め30年の住宅ローンを組み、毎月700ドルほどで一戸建てに住めることになりました。

家はじゅうぶん大きかったのですが、ベッドルームは3つ、バスルームが2つの家で、部屋数としてはアパートと同じでした。それでも地下にじゅうぶん部屋が作れるだけのスペースがあったため、後に地下に娯楽室、ゲストルーム、長男、次男用にふたつのベッドルームを家族全員で力を合わせて作りました。

今となっては、その過程もなかなかおもしろい経験でした。おかげで次男と三男はかなり日曜大工のスキルも身につけましたが、長男は逆に手伝わされたことで大工仕事が大嫌いになりました。😅

画像2

(末息子の部屋はジャングルーム。美術専攻の大学生が描いたそうです)

画像3

(娘の部屋の壁は森が描かれていました)

一階の2つのベッドルームは、娘と末息子が使い、家族全員が“マイルーム”を持てる暮らしとなりました。3人が多感なティーンエイジャーだったのでタイミングとしてもいい選択だったと思います。

わたしたちも、子どもたちと独立した位置にマスターベッドルーム+バスルームが確保できて大満足でした。

広大な庭には大きな木がありました。リンゴや桃の木もあり庭で採れたリンゴや桃が食べきれずにジャムを作りました。

画像4

年月とともに、リビングルームにはピアノ、オルガン、ドラムと楽器が増えました。庭にはトランポリンを置いたので、友だちがよくぴょんぴょんしにきました。米国の田舎町は、公共交通機関はあってないようなものです。友だちの家に遊びに行くのも送り迎えがないと無理なので学校に近いところに家を構えたことは大正解でした。

楽器を演奏することが何より楽しい息子たちは、地下室に籠もっては音楽を楽しむようになりました。ハイスクールとは道路挟んですぐのロケーションだったため、いつしか友だちがどんどん集まってくる家になっていきました。

そんな環境の成果か、ハイスクール時代には、息子たち3人ともが「ベストミュージャン」という賞を受賞しました。母国語ではない言葉で学び、外国人として暮らすなかで、得意なことがあったことは自尊心を育てることに繋がったと思います。

この家に越したとき、末息子は小学5年生でしたが、上の3人がハイスクールでした。大学のキャンパスもすぐの距離でしたので、1年後に大学生となった娘、その後続く息子たちもみな徒歩やスケボーで大学に通えました。便利なロケーションのおかげで、交通費も時間もたっぷり節約できました。

アパート住まいでもそれなりに暮らせたでしょうが、子どもを育てる環境として、戸建てだったからこそ、育むことのできたことは計り知れません。環境が人を育てるので、住むところはたいせつだなと実感しました。

日本の田舎にマイホームを建てた時点では、一生そこに住むと疑ったことがありませんでした。それなのにほんのちょっとのつもりで日本を出て、サモアに暮らし、そのあとで米国のこの地に流れてきて、家を購入する結果となったのだから人生とはわからないものです。

そして、この時点で家に対する考え方が完全に変わりました。

住む場所である家はライフステージで変えていくほうが理にかなっていると思い始めました。

子どもたちがハイスクールと大学に通っている間の7年間この家に住み、DIYの好きだった夫は、コツコツとデッキを増築し、地下に部屋を作りと実益を兼ねた趣味を楽しみながら、家をバージョンアップさせました。

ただ、作ることは大好きなのに修理は大嫌いでした。根っからの創造型人間なのでしょう。ひととおり、造り終わってしまうと、次なる欲望が芽生えてしまったのです。

ときおり、家のサイトを眺めては新たな家族の暮らす環境を夢見るようになっていました。

そして、2009年に次の家に買い換えました。


続きはこちら〜


いいなと思ったら応援しよう!

yahoi /ライフエディター・エッセイスト 🌺 共感、応援いただけたならうれしいです。 感謝の気持ちは次のどなたかに恩送りします。