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成長できる国になるために、おっちゃんの言葉に耳を傾ける

今日はいつもわたしが記していることから脱線します。

定年のおっちゃんねるさんは、わたしが楽しみにしているnoter さんのひとりです。お孫さんとのほんわかするやり取りのなかに、じーじがこれまで体験してきた人生が散りばめられていて、嫌味なく、軽く、そしてあったかくいろんなメッセージの込もった記事を書かれています。

とっても人生経験豊富で、日本にいるじーじながらも、グローバルな視点をお持ちで物知りなので、勉強になります。

先日、⬆この日米比較を読破したのですが、在米のわたしとしては、書かれていることが肌感覚で実感できることばかりでした。あちこち頷けたのですが、じーじの書かれる記事にしては、あまり読まれていないのがちょいと残念でもあります。

日本では選挙を控えているようなので、今こそ、ちょっとグローバルな見方で、日本の成長について考えられたらいいなと思いおっちゃんねるさんの記事を紹介したいと思いました。

我が家が家族で日本を脱出したのがちょうど四半世紀前なので、失われた四半世紀の日本を外から見ていることになります。

⬆そしてこんな記事から思い出したことがあります。

まだ日本にいたころ長女が中学にあがるときに、まさしく、この記事の中でおっちゃんが言われている「多様性」「前例踏襲」「変化しない教育」といったことに問題意識を持ちました。

まわりにあわせる、協調がだいじ……ということもたいせつではありますが、それが同調圧力のレベルだと多様性など育ちようもないし、自分らしく生きることも難しい、息苦しい社会になります。

成長できる社会は、個々を叩いて潰したりはしません。

我が家が日本を出たころ、娘の通っていた中学では部活が強制でした。それも過疎地なので、用意されたオプションは少なく、部活を維持するための強制でした。

その事情もわからなくはありませんが、生徒の個性や希望を無視して強制では本末転倒です。運動の苦手な子に運動部を3年間押し付けられては地獄です。おまけに、朝練、夏休みはお盆以外休みはなしという熱の入れようでした。

人には得意なこと、不得意なこといろいろあります。我慢することや頑張る力を養うこともたいせつにはちがいませんが、得意な分野の才能を伸ばすことのできる貴重な時間を、義務教育の場の“都合”で奪われてはたまりません。

地元のほかの親御さんは特に異論を唱えることもありませんでした。「なんでもいいから、できるだけ学校に行ってもらっていたほうが楽」「文句を言っても睨まれるだけだから3年間我慢すれば済む」という家庭がほとんどでした。というより、深く考えることなく「そういうものだ」と受け入れていたのかもしれません。

いや、こんな状況を受け入れることを繰り返すうちにあきらめることに耐性ができていくようにもみえます。

当時、すっきりしない問題意識を抱えながら、我慢して流されるのも本意ではないし、かといって理解を求めて学校と戦うにもエネルギーがいるので、「こりゃああかん。逃げよう」ということで日本を後にしました。

すでに、少子化問題が取り沙汰されており、子どもたちが大人になったころの日本の将来に不安もあり、望めば日本以外でも暮らせる大人に育てることは、将来の子どもたちにとって大きな選択肢となるとも考えました。

そんな経緯があったので、おっちゃんねるさんの書かれていることを読みながら、今思えばあれは「同質化」への抵抗だったのだと、振り返ることができました。不登校の子どもたちが多いのも、同質化に抵抗する子どもたちの叫びなのだと思います。

思い返せば、学校指定のジャージ、自転車、靴、スリッパ……と公立の学校なのに、昔からそうだからと既得権益で指定ずくめでした。指定の自転車に至っては、スーパーで変えば三分の一の価格で手に入る自転車があるのに……どうして黙って指定のものを揃えるのか当時のわたしには不思議でした。

技術・家庭の授業で使うから「工具セット」を買って下さいと学校から申込書が届いたので、「うちにはプロも使える工具がすでにあるので要りません」と言っても、「いゃ、みんな買いますから、指定ですから同じものを購入して下さい」とのことでした。

ふつうに考えれば、質の悪いものを指定という名の下に、学校経由で売りつけるのですから、付き合いきれません。それでも、そう考える人は少ないのでしょう。

「学校が指定するのだから文句言わずに買うことがあたりまえ」

日本社会は自分の頭で考えると葛藤が大きいです。

いっぽう、米国で4人の子どもたちを公立学校に通わせましたが、その類の葛藤を覚えたことはありません。教育に必要なものは、学校が用意してくれてそれを借ります。中には購入を薦められるものもありますが、買えない、買いたくない場合には学校が準備してくれます。

納得いかない授業は、子どもに受けさせない権利も保護者が有しています。

部活に参加しなければならないから、習いごとは続けられなくなるということを目の当たりにしたわたしは、日米のちがいを思い知りました。

末息子は中学から学校の選択科目として音楽を取り、トランペットを初めました。すっかり気に入って楽しんでいたのですが、ハイスクールにあがったころには、音楽の先生のほうから、息子の才能を無駄にしたくないので、授業後に教えさせてくれませんか?という申し出をいただきました。

日本なら、一先生が特定の生徒に対してそんなことを言えば、ひいきしていると大問題になるでしょうからびっくりしました。在学中、先生のお申し出をありがたく受け入れて、しばらく個人レッスンをしていただきました。おかげでハイスクールにいる間に州のオールスタージャズトランペッターに何度も選ばれ、大学も音楽を専攻することになりました。

先生の才能を見抜く力とそれを伸ばそうとする姿勢に感謝したものです。

人と合わせることより、成長できることを追求する仕組みのほうがよくないですか?

合わせることばかりしていれば、置いていかれるのはあたりまえです。

日本が成長できなかったことの理由のひとつだと思えてなりません。

おっちゃんねるさんの記事を読みながら、昔あったエピソードをつい、いろいろと思い出しました。

もうすぐ選挙です。

聞く耳を持ってくれそうな首相に変わったからと、一瞬期待したけど、「聞き過ぎる耳」など結局圧力に屈していくだけだったことが見えてきました。ここらで、どかんと成長できる国に生まれ変わってほしいものです。

選択的夫婦別姓、LGBTQ 多様性を認める社会を望みます。

私利私欲にまみれて、既得権益にしがみつく政権が国民のためになるのでしょうか?

国に誇りを持つことはいいことですが、行き過ぎた国粋主義や保守主義は怖いし、ときに成長の妨げにも繋がる気がしています。

おっちゃんねるさんのおかげで、いろんなことを考える機会をいただけてよかったー!!





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yahoi /ライフエディター・エッセイスト 🌺 共感、応援いただけたならうれしいです。 感謝の気持ちは次のどなたかに恩送りします。