藤井セイラ先生、プリキュアを語る
かなりの熱量で語る藤井先生
この一連のポストを見るに、コレがある意味で最大公約数的見解であろうことは想起できる。
リアルで女児ママさんたちが「プリキュアショーにいったら前に男の人たちいて…」「えっ?それでどうしたの?」「距離とって見てた(つまり子どもが最前列いけない」を昨日聞いたので、「おいおいおーい」と思った。あとプリキュア大好きだからいうけど今年のプリキュア大人向けすぎる。脚が出過ぎ。
— 藤井セイラ (@cobta) September 4, 2025
上北ふたご先生のコミックスも毎年すばらしくて、ここ数年は毎年、女の子へのエンパワメント要素がたくさん入っていたのに、今年は初回で我が家は脱落したし、周囲でも「今年で卒業した」の声が多くて、なんかこれまでと違ってて「体制変わったのかね」とママ友と話してた。https://t.co/BBz1dFaWrn
— 藤井セイラ (@cobta) September 4, 2025
プリキュアは去年までスパッツやハイソックスで脚の露出を抑えてあったのが(女児を育てる上では防犯と冷えの観点でとても大事)今年はふとももがあらわになり、かつむっちり脚に。アイドルになって癒すというテーマも、アイカツなど類似作品がありすぎるので「プリキュアでやらなくても…」という。
— 藤井セイラ (@cobta) September 4, 2025
2月のスタート時点でママ友と「ちょっとキャラデザを大きいお友達に寄せたのかね」「少子化も進んでるからマーケットの都合で(つまり女児はどんどん減っていくからそこからの課金だけでは厳しいという見立てで)大人向けでくびれや太ももを強調したキャラデザになったのかな」みたいな話をしてた。
— 藤井セイラ (@cobta) September 4, 2025
そしたら自分の知り合いの子で昨年度まで見てた女の子は全員プリキュア卒業してしまったし、もしキャラデザの変更(露出増と体型の変化)で「大きいお友達」が増えすぎたのだとしたら、つくってる側(作家の先生ではなく、テレ朝やADKとかの企画サイド)にも責任あるんじゃないの、と思う。
— 藤井セイラ (@cobta) September 4, 2025
プリキュアは去年までは「賢くて(自分で考えるという意味)思いやりがあって、明るい、異文化ともコミュニケーションとれる」みたいなのが主人公たちの器だったんですよね。今年は「テヘヘ…でもうまくいったからまーいーや!」みたいな平成くらいの女の子主人公みたいな感じで、「あれ〜?」って。
— 藤井セイラ (@cobta) September 4, 2025
毎年のテーマもはっきりしてて、去年のわんだふるプリキュアは「アニマルライツ/動物愛護」で、20周年の「ひろがるスカイ」は「女の子も強くなりたい/なれる」「男の子も好きな夢を追える」だし、その前年のデリシャスパーティは「たくさん食べる女の子はかっこいい。強くなれる」「食は大切」だし、
— 藤井セイラ (@cobta) September 4, 2025
毎年なにかひとつ、5歳くらいの女の子がぶちあたる疑問や「女の子ってこうしなきゃいけないの?」っていう壁をガツーンと壊してくれるテーマがあったし、ドジっ子がいないので安心して見せられた。今年のプリキュアはそれが薄くて初回で全然違ってたので、やっぱり違う客層に届いてしまったのでは?と
— 藤井セイラ (@cobta) September 4, 2025
いう気がしています。気のせいかな。本当に昨年までのプリキュアはすばらしかったです。6年くらい続けて観たけど、毎年それぞれ違ってよかった。20周年映画もすごくよかった。主題歌のいきものがかりもよかった。毎年夢中だった子どもたちが今年は「このプリキュアは見ない」と宣言したので、初回で。
— 藤井セイラ (@cobta) September 4, 2025
プリキュアのクロニクルといえば、この本もよかったです。読みごたえがあった。美しい造本で。プリキュアはぶりっ子してないんですよ。一生懸命で、賢くて、強い。「そんながんばらなくてもいいのに、女の子なんだから」といわれてきたお母さん世代にとっても癒しでしたよ。https://t.co/cIykqt2FNC
— 藤井セイラ (@cobta) September 4, 2025
アイドルプリキュアで起きた変化を、8900字の記事にまとめました。エンパワメントから推し活礼賛への路線変更。6年リアタイしてきたママのプリキュア卒業感想文でもあります。
— 藤井セイラ (@cobta) September 5, 2025
今年のプリキュアは肌の露出が多い!? 東映「イベント撮影禁止令」は大人ファンの迷惑行為ゆえかhttps://t.co/CxqnsRMSFt
そして渾身のnote記事。
私見
結論から言えば、コレは個人の趣味嗜好の分断が政治化しただけであり、不快感に公共性があることにされている現状の異常さが放置されているだけと見る。
なお、個人的な快不快が社会運動や政治運動への動機付けになるのは構わないが、趣味に合わないからといって焚書はするな、という立場から述べているので、そこは誤解されぬよう。
それに、こういうプリキュアシリーズの路線の話をするのであれば、10年前のシリーズも見て比べていただきたいと思うわけである。
https://www.toei-anim.co.jp/tv/princess_precure/
少なくとも1990年代前半のセーラームーン人気の頃から言われてきた「大きなお友達」問題の延長戦でしかない議論ではあるのだが、その「大きなお友達」の内実について思うところがある。
コミケにてプリキュアのコスプレをする成人女性(25)🫣💕 pic.twitter.com/0Ezad34u2P
— オーバーキキ (@kiki_ooba) August 17, 2025
内実的には上のイラストに描かれるような人の絶対数なり全体での割合も上がってきている印象があり、娘をダシにハマる母親も目立つし、セーラームーン見て育った年代・世代から下の年代・世代がもう一つのボリュームゾーンだろう。
更に「少女作品を少女に取り戻す」ということについては、男が撤退するという形で実現しつつある。
「脚出過ぎ」だから眉をしかめるのは大人だからだあって、リアル女児がそんなことで引くかどうか?
実は、遅くともセーラームーンの頃から、そういうフィルターを制作陣が仕掛けているという印象がある。
女児が見ている、女性向けだから、かえってエロくなるという謎現象の正体がコレなのではないか?そういうことを想起する。
このことは2021年に整理した論点「女もエロを好む」とも関係があるはずで、ある種の非対称性がある。
プリキュアなんて女児にウケるよう、キャラは女児にモテるよう作ってあるのは当たり前のことではあるのだが、この視点を抜きに性的表現を語るのは片手落ちを通り越してナンセンスの域になってきている。
その傍証が「こんな子がいたらいいな」である。
昔、ギャルゲの仕事してたときに、女性のシナリオライターさんが
— DK (@game_sennin) September 10, 2025
「私の担当ルートのヒロイン書いてて“こんな女の子実在しないよなー”って女の私は思うんだけど、でもいたらいいなー、カワイイなーって感じてもらえるように書いてる」
と話してくれて、プロってそういうもんだよな、と時々思い出す https://t.co/EkdkxpIJv2
RPの女性ライターさんの話の続き
— DK (@game_sennin) September 10, 2025
『私ね、今回の担当シナリオルートでは主人公の親友キャラの○○君が大好きで、彼は私の担当ってわけじゃないけど、彼が出てくるシーンは書くの楽しいんだ。でもこんな男の子も現実にはいないよね』
楽しく書くのもプロのスキルだと思う https://t.co/73r09B4TyT
高見恭子が木之本桜を評して「友達として欲しい子」と表現したのを過去にも引用したことがあるが、これも同じ指摘だ。
成果物としての創作物からシナリオライターや脚本家、そして演出家といった作り手のスキルとセンスを読み解けば、少なくともジャンル問わず女子ウケしないとヒットとならない現状の背後関係に、作り手の男女比の実情があるのではないか。
別の拙稿の中でも引用したが、「画業で暮らす人の7割が女性」というのも、その一つの例だ。
結局のところ、「文化産業」と呼べるものに携わる「労働者」の女性比率が過半数を超えていると思える証拠が積み重なってきている中で、もはや性的表現の規制は女性差別、職業差別と紙一重になってきていると言わざるを得ない。
そろそろ、この表現規制の裏にある差別意識についても個々人が見解を出すべき時が来たと言えるだろう。
私は差別を許さない。
