キャリアは中断するものではなく、何度でも作り直すものだ~プロティアン・キャリアの時代に、なぜ自分を固定したがるのか~
男性はキャリアを蓄積できる一方で、女性はキャリアを中断したくないから結婚や出産に消極的になる――。
そんな議論が平成の頃から繰り返されてきたが、令和の現代になってもなお同じような語られ方が続いていることに、私は少なからず違和感を覚える。
令和という時代は、「プロティアン・キャリア」という考え方が広く認知された時代である。つまり、平成までのような組織主導の蓄積型キャリアの時代から、個人主導で何度でもキャリアを築き直す時代へと変化したのである。
そのような社会背景の中で、「キャリアを中断する」という発想そのものが、むしろ時代遅れなのではないだろうか。
中断したのではなく、切り替える機会を得た。方向転換するタイミングを与えられた。そう考えた方が、現代のキャリア観には自然に思える。
そもそも大正・昭和の時代から、女性たちはプロティアン・キャリアの先駆者だったのではないかと私は思っている。
結婚、出産、育児、介護、転居――。さまざまな環境変化に対応しながら、その時々に必要な役割を引き受け、自分自身を変化させ続けてきた。現代の言葉で表現するなら、まさに変幻自在なキャリア形成である。
もちろん当時の女性には社会参加に多くの制約があった。その中でやむを得ず変化せざるを得なかった面もあっただろう。しかし、その変化を受け入れ、自らの可能性を広げた人々は、結果として自由を獲得してきたように思う。
ところが1970年代以降、「キャリアウーマン」という言葉が広がるにつれ、女性の生き方までもが旧来の男性中心社会のキャリアモデルを追いかける方向へ成り下がってしまった。
私は学生の頃から、それをどこか残念に感じていた。
本来女性たちが持っていた、しなやかに変化しながら人生を切り拓く力の方が、よほど未来的ではないかと思っていたからである。
そして令和になり、ようやくその価値が再評価される時代が訪れたように感じている。
学部では〇〇を専攻したからとか、就職してからずっと△△をやってきたからとか、それらが無意味だとは言わない。しかし、それに縛られ続ける必要もないだろう。
社会人大学院は珍しいものではなくなった。別の大学や別の学部で学び直すことも普通になりつつある。
それなのに、なぜ人は自分自身を「私はこういう人間だ」と決めつけ、固まってしまうのだろうか。
むしろ引き出しを増やし、行動範囲を広げ、好奇心の赴くままに学び続けた方が、人生は豊かになるのではないかと思う。
振り返ってみると、私自身がそういう生き方をしてきた。
子どもの頃から好奇心だけは旺盛で、まったく異なる分野のものごとに同時に興味を持つ傾向があった。だから「プロティアン・キャリア」という言葉が生まれる前から、自然と多方向に歩いていたのかもしれない。
学部の専攻は心理学だったが、当時は心理の仕事はほとんどなかったので、ITエンジニアとして社会人になった20代の頃には、仕事の合間に理工学部配下にあった情報科学研究所(その後改組され大学院に昇格された)へ足しげく通った。
結婚して家庭を持った30代になってからも、会社に授業料を負担してもらいながら大学の社会科学系の産業研究所で学ばせてもらった。当時は正社員として普通に残業もしていたので、決して暇だったわけではない。
しかし、人間というものは不思議なもので、忙しい時ほど本を読みたくなり、忙しい時ほど新しい学びを求めたくなる。
逆に、時間ができたから勉強するかというと、案外そうでもない。時間がない時ほど、無理をしてでも学びたくなるのである。
40代になると業界団体の活動や、地域活動、教育行政委員などボランティアをやるようになった。年齢的に仕事の責任も増え、私生活も忙しくなる年代だったが、新しい分野へ触手を伸ばすことで、日常のストレスを発散していた面もあった。
50代では経営大学院のビジネススクールに通った。
どうしても受講したい授業があった、会って話を聞きたい先生がいたからである。その後も大学院のプロジェクトにボランティアとして参加し、多くの異分野の人々と交流する機会を得た。
そこで得た学びや人との出会いは、非常に大きな財産になったと思う。
また、有名無名や有効無効に関係なく、自分が面白いと思った分野の資格も次々と取得していた。
そして54歳で長年勤めた企業を早期退職した。
本当はもっと早く辞めたかったのだが、人生はなかなか思い通りにはならない。諸般の事情でその年齢になったが、今となってはちょうど良かったのかもしれない。全てはgood enough!であろう。
早期退職後は自営でコンサルやマネジメント支援や企業研修講師などを行ったが、独立3年目にちょっと時間が出来たので、以前から興味を持っていた介護・福祉の勉強と実務をしてみることにした。
資格を取得し、施設介護や訪問介護、福祉事業所の現場業務を経験した。さらに福祉専門学校や社会福祉協議会で講師も務めた。
今振り返ると、「一体どこで道を踏み外したのだろうか」と笑いたくなる。
しかし、その寄り道こそが面白かった。
やがて資格は持っていても、福祉を学問として体系的に学んでいなかったことが気になり始めた。
そこで編入学で福祉大学へ進学し、59歳で卒業した。
福祉を体系的に学ぶことはできたが、その過程で今度は司法福祉という分野に興味を持つようになった。
そして司法の仕事に関わろうと思い立ち、裁判所に入職した後に60歳を迎えた。
60歳にして初めて国家公務員になったのである。
もっとも非常勤職員であり兼業が前提だったので、それまで続けてきた複数の仕事を並行する生活は変わらなかった。
司法の世界に足を踏み入れると、そこからまた新しい分野や人との出会いが生まれ、さらに活動領域が広がっていった。
そんなこんなで、自分の専門分野はずいぶん多様になった。
しかし、それでも今なお、自分の本質はエンジニアであり、本業はマネジメントで、専門は認知心理学だと思っている。この三本柱は20代のころから変化は無い。
キャリアとは一本道を歩くことではない。しかし、内なる一本筋は通しておく方が迷子にならなくて良いと思う。
その上で、時には立ち止まり、時には横道へ入り、時には全く別の山へ登る。
その繰り返しの中で、自分自身が少しずつ変化し続けることこそ、本来のキャリアなのではないだろうか。
人生は成り行きで、「時代を感じるカメレオン」で良いと思うのだ。
【記】やく・たたず(屋久 佇(竚))
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