昔と今。SNSが変えたつながりの光と影
ガラケーを握りしめていた学生時代を覚えていますか?
当時は今ほどSNSが浸透しておらず、誰かの日常や意見がダイレクトに飛び込んでくることは稀でした。それがスマートフォンを手にしてSNSにデビューして以来、私たちのコミュニケーションは劇的に変化しました。
リアルタイムで押し寄せる感情の波
今の時代、X(旧Twitter)を開けば誰かの批判が目に飛び込み、Instagramでは完璧な日常が並び、Facebookでは「いいね!」の数に一喜一憂する。かつては個人の日記や特定の人との会話だったものが、SNSによって瞬時に不特定多数の人と共有されるようになりました。
「私も同じ!」と共感し、安心感を覚えることももちろんあります。
しかし同時に、人の批判や愚痴、時には憎悪すらもダイレクトに目にすることで、ネガティブな感情に支配されてしまうことも少なくありません。
「自分もその一人だ」と感じ、感情の抑制が効かなくなるような感覚に陥ることもあるのではないでしょうか。
脳と「つながり」のあいまいな関係
私たちの脳は、本来、危険を察知し、生存するためにデザインされています。喜怒哀楽といった感情も、生存戦略の一部として機能しています。しかしSNSによって、私たちはかつてないほど多くの「情報」と「感情」にさらされています。
この膨大な情報の中で、「つながり」という言葉の意味自体があいまいになってきているように感じませんか?
フォロワーの数や「いいね!」の多さが「つながり」の証明のようにも見えますが、それは本当に心の充足につながっているのでしょうか。
私たちは感情を持つ生き物です。
心とは脳の働きそのものであり、感情がない人との「つながり」は、どこか空虚に感じるのも無理はありません。
真の「つながり」とは、表面的な交流ではなく、お互いの感情や存在を認め合う中で育まれるものではないでしょうか。
「たった一人の親友」と大多数の私たち
「一生のうちにたった一人でも親友ができれば幸せだ」という言葉を耳にすることがあります。
これは、真に心を通わせられる相手を見つけることの難しさを示しているのかもしれません。
裏を返せば、多くの人が不完全であり、完璧な人間関係ばかりを追い求めるのは現実的ではない、という側面を示しているとも言えます。
私自身、完璧とは程遠い「未成熟」の一人であるという自覚を持っています。完璧な人間像なんて考えたこともない。
SNS社会で生き抜く上で重要な視点かもしれません。他人を批判する前に自分を顧み、共感と同時に適度な距離感を保つこと。そして何より、デジタルな「つながり」だけでなく、リアルな世界での温かい交流を大切にすることが、心の安定につながるのではないでしょうか。
内省と情報過多、そして再生への道
「モヤモヤする」という感情を内省し、言葉にすること。かつて私はその行為に意義を見出し、SNSに「モヤモヤした出来事」などと投稿していた時期があります。しかし近年、他者の同様な表現に触れるにつれて、計り知れない疲労感と虚無感に苛まれるようになりました。
過去の自身の記述を顧みると、恥ずかしさがこみ上げます。
こんなにひどい目にあったんだよ!とか、こんなにひどい対応をされたんだよ!とか、当時の私は自分が満たされていないがゆえに、他者の評価を間接的に落とすような表現をしていた時期もありました。ああ、、なんて恥ずかしいのだろう。未成熟な自分であったと思います。そういう方たちに認められて何が嬉しかったのだろう。語彙力のない私の稚拙な文章に対して共感をしてくださるフリをする方たちからも、実は距離を置いた方が良いのかもしれない、と今になって思うわけです。
このような表現が、同じような性質を持つ人々の共感を呼び、結果として自身の偏狭な視点を強化し、誤った方向へ導くのではないかという懸念が生じたのです。
周囲からは「恥ずかしい存在」と見なされるのではないかという思いに囚われ、深く苦悩した時期もありました。
情報過多社会における疲弊
現代社会において、人は情報過多によって疲弊しているのではないでしょうか。視覚に飛び込むあらゆる情報、それが好ましいものであれ、そうでないものであれ、すべてがストレスとして作用するように感じられます。
読書は途方もない疲労感を伴い、一人で静かに過ごす時間さえも倦怠感をもたらします。娯楽でさえ疲労を感じさせ、純粋な喜びを享受することが困難になります。
再生への提言
このような状況下にある方々へ、私はSNSからの距離を置くことを強く推奨します。この行為は、まさに世界観を一変させる力を持っています。
些細な「モヤモヤ」は、取るに足らない事柄として分類されるようになり、一方で、他者の存在意義や価値といった、より本質的な事柄への認識が深まるでしょう。
また、時代に逆行するようにも思えるかもしれませんが、没頭して働くことも有効な手段です。
もちろん、労働はお金を稼ぐための手段でもありますが、その側面は一旦度外視し、「これ以上は無理だ」という限界のその先に到達することを目指してしまう自分がいます。
現状を変えたい、あるいは何かを成し遂げたいという明確な目標があるのならば、がむしゃらにそれを追求すること。その過程で、新たな境地が開かれるはずです。
ご自身の内面と向き合い、情報の洪水から一時的に離れることで、より充実した日々を送る一助となれば幸いです。
普通に生きることさえも難しいし、しんどい人生だとつくづく感じるわけです。生きることってしんどいなと。人と関わることで得られる良いことも悪いことも全てがストレッサーなわけで、仕事以外は人との接触を避けて生きている私がいます。休みの日は・・4月からほぼ休みがないので休みもへったくれもありませんが、休日はネットをみません。読書です。ひたすら読書。あとは一人ドライブに一人宿泊(ぷち高級ホテルなんぞ泊まってみる)
やっぱり一人って最高。ちなみに私はなおにゃんの大ファンです。
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やくさひろです。
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