効率化を捨てたら、店は強くなった。
来客ゼロの個人店を、6席の予約困難店に変えた話
僕の店は、最初から予約困難店だったわけではありません。
むしろ、最初はお客様が来ませんでした。
有名店で修業した。
イタリアにも行った。
料理も本気で作っていた。
だから、どこかで思っていました。
ちゃんとした料理を作れば、お客様は来てくれる。
美味しい料理を出せば、店は続いていく。
努力していれば、いつか伝わる。
でも、現実はそんなに甘くありませんでした。
東京には、似たようなお店がいくらでもあります。
有名店出身の料理人。
高級食材を使うお店。
綺麗な内装。
高価なお皿。
ソムリエがいて、ワインが揃っていて、コース料理を出すお店。
資金力のあるお店は、お皿にも内装にもお金をかけることができます。
広告にもお金を使える。
立地も選べる。
スタッフも雇える。
では、資金力のない小さな個人店は、どう戦えばいいのか。
僕はずっと、それを考えていました。
リピートしていただけるお店とは何か。
居心地の良さとは何か。
他にはない特徴とは何か。
自分の店だけの強みとは何か。
唯一無二とは、どうやって作るのか。
結論から言うと、僕は店を小さくしました。
現在、僕の店は6席です。
1日1回転。
営業日数も絞っています。
連勤も基本的には3日まで。
週5日営業が限界です。
普通に考えれば、非効率です。
席数を増やした方が売上は上がる。
2回転した方が売上は上がる。
営業日数を増やした方が売上機会は増える。
でも、僕はその逆を選びました。
なぜなら、僕が一番大事にしたかったのは、御来店していただいたお客様に全力でオモテナシをすることだったからです。
料理を作ること。
料理を説明すること。
食材の背景を伝えること。
空気を読むこと。
会話の温度を合わせること。
ワインを出すこと。
お客様の表情を見ること。
その日の時間を、特別な記憶にすること。
それをすべて全力でやろうとした時、僕が120%で向き合える人数は、最大で6人でした。
だから、6席にしました。
売上だけを考えれば、もっと席数を増やすべきだったのかもしれません。
でも、席数を増やせば、一人ひとりに向き合う密度は確実に下がります。
僕が作りたかったのは、ただ満席になる店ではありません。
来てくださったお客様が、
「また来たい」
「ここは特別だ」
「あんな店は他にない」
そう思ってくださる店です。
個人店が生き残れるか、生き残れないか。
僕は、その答えはとてもシンプルだと思っています。
リピート率。
これがすべてです。
東京には、次から次へと新しいお店ができます。
話題のお店も出てきます。
おしゃれなお店もあります。
資金力のあるお店もあります。
お客様が新しいお店に行ってみたいと思うのは当たり前です。
飽きられる可能性があるのも当たり前です。
だからこそ、僕の店は「比較対象の中の一軒」になってはいけないと思いました。
美味しい店。
雰囲気のいい店。
高級な店。
おしゃれな店。
その中のひとつでは弱い。
目指したのは、特別枠です。
「あの店は別格」
「あんな店は絶対にない」
「あそこだけは、また行きたい」
そう思っていただけるだけの存在意義を作ること。
それは、内装の豪華さだけでは作れません。
お皿の値段だけでも作れません。
立地だけでも、広告だけでも作れません。
最後に残るのは、人です。
どれだけ目の前のお客様に本気で向き合ったか。
どれだけその時間に命を込めたか。
どれだけ「この店でしか味わえない体験」を作れたか。
僕にとって、6席という数字は、効率のための数字ではありません。
全力でオモテナシをするための限界値です。
暇だったから、料理を一から見つめ直せた
独立したばかりの頃、店は暇でした。
予約が入らない。
お客様が来ない。
不安になる。
でも今振り返ると、その暇な時間があったからこそ、僕の料理は変わりました。
料理人は、まず自分が修業時代にやってきたことをやります。
それは当たり前です。
先輩から教わったこと。
店で覚えたやり方。
イタリアで見てきた料理。
自分が正しいと思っていた技術。
でも、ある時こう思いました。
本当にこれが正解なのか。
もっと美味しくできるはずではないか。
今まで当たり前だと思っていたことは、本当に当たり前なのか。
そこから、僕は一つひとつ見直しました。
使う塩を変えました。
世界各国の塩を試しました。
パスタ生地に使う小麦粉も変えました。
配合も変えました。
こね方も変えました。
火入れも、塩の当て方も、ソースの考え方も、全部疑いました。
それまで「そういうものだ」と思っていたことを、もう一度、一から見つめ直しました。
結果、料理はまったく変わりました。
常識を、常識だと思わないこと。
当たり前を、当たり前で終わらせないこと。
疑問を持ち続けること。
そこから、自分だけの料理が生まれていきました。
料理には、正解があるようでありません。
もちろん、基本はあります。
技術もあります。
先人たちが積み重ねてきた文化もあります。
でも、それをそのままなぞるだけでは、自分の料理にはなりません。
なぜこの塩なのか。
なぜこの小麦粉なのか。
なぜこの火入れなのか。
なぜこの組み合わせなのか。
なぜこの余白を残すのか。
その一つひとつに、自分の答えを持つ。
料理は、技術だけではありません。
料理は、思想から生まれます。
「修業先でやっていたから」
「昔からそう教わったから」
「なんとなくこの方が美味しいから」
その説明で終わる料理と、
自分の中で考え抜き、疑い抜き、選び抜いた料理は、まったく別物です。
自分の命が吹き込まれた料理には、存在感が出ます。
躍動感が出ます。
エネルギーが宿ります。
それは、レシピだけでは作れません。
一皿に一つ、エピソードを添える
僕は、料理を出す時に意識していることがあります。
それは、一皿に一つ、エピソードを添えることです。
重たい想いを語りたいわけではありません。
お客様に長い説明を聞かせたいわけでもありません。
でも、何もない料理は、記憶に残りにくい。
美味しかった。
綺麗だった。
高級食材だった。
それだけでは、東京にいくらでもある店の中に埋もれてしまいます。
だから僕は、一皿ごとに小さな入口を作ります。
なぜこの食材なのか。
なぜこの火入れなのか。
なぜこの組み合わせなのか。
なぜこの味の着地点なのか。
この料理に、どんな背景があるのか。
すべてを長く説明する必要はありません。
ただ、一つでもエピソードがあると、お客様の記憶に残ります。
「あの時の、あの話の料理」
「あの食材、そんな背景があったんだ」
「あの一皿は、そういう考えで作られていたんだ」
そうやって料理は、ただ食べて終わるものではなくなります。
記憶に残る体験になります。
僕は、料理に何もないということはあり得ないと思っています。
なぜなら、その一皿には、食材があり、生産者がいて、季節があり、技術があり、自分がそこに辿り着くまでの経験があるからです。
何もないのではなく、言葉にしていないだけです。
料理人がそれを言葉にできた時、料理はただの食べ物ではなくなります。
その店でしか食べられない、一つの記憶になります。
言葉は、一番安くて強い付加価値だった
僕は、もともと特別にトークスキルがあったわけではありません。
人前で話すことも得意ではありませんでした。
むしろ苦手な方でした。
でも、ある時気づきました。
料理の説明や食材の説明をすることで、お客様の満足度が上がる。
それを、目の前で感じることができたのです。
だったら、やるしかない。
そこから僕は、必ず一皿に一つのエピソードを添えることを自分に課しました。
慣れていなくても話す。
反応があっても話す。
反応がなくても話す。
自分の義務として、必ずやり抜く。
毎日やっていれば、少しずつ慣れてきます。
少しずつ言葉が自分のものになっていきます。
少しずつ、お客様の反応も見えるようになります。
これが、僕のやり方になりました。
そして今では、うちの店の大きな特徴になっています。
お金をかけずに付加価値を上げる方法。
それが、言葉の力でした。
高い内装を入れるよりも、
高いお皿を買うよりも、
広告にお金を使うよりも、
まず自分の言葉で一皿に熱量をまとわせる。
それは、小さな個人店にできる一番安上がりで、一番強い武器だと思っています。
料理を作業にしない
一皿にエピソードを添えることは、お客様のためだけではありません。
自分自身のためでもあります。
なぜなら、料理を作業化しないためです。
毎日同じ料理を作っていると、どうしても作業になりそうな瞬間があります。
仕込みをして、火を入れて、盛り付けて、出す。
ただ流れとしてこなしてしまえば、一皿は完成します。
でも、それではただの食べ物になってしまう。
これは僕の自論ですが、レストランの料理は、作業になった瞬間にエネルギーを失います。
輝きが消えます。
ファーストフードが悪いと言いたいわけではありません。
でも、レストランにはレストランの役割があります。
一皿に背景があること。
一皿に熱量があること。
一皿にその店でしか味わえない理由があること。
それがなくなったら、料理はただの消費物になってしまいます。
だから僕は、毎回話します。
この食材をなぜ使うのか。
この火入れにした理由。
この塩分にした意味。
この組み合わせにした背景。
この一皿が生まれたきっかけ。
言葉にすることで、自分自身もその料理にもう一度向き合うことができます。
料理を作業にしない。
一皿一皿に、ちゃんと命を入れる。
そのためにも、僕にとって言葉は必要でした。
技術だけでは、もう選ばれない時代
外食に行くと、僕が考えている「一皿に一つのエピソードを添える」ということを、意図的にやっている店はかなり少ないと感じます。
もちろん、食材の説明をする店はあります。
産地を伝える店もあります。
料理の構成を説明する店もあります。
でも、それをお客様の記憶に残すための戦略として、毎皿意識してやっている店は多くない。
なぜなら、料理人は修業時代に、プレゼンの重要性をほとんど教わらないからです。
教わるのは、技術です。
仕込みの速さです。
段取りです。
効率です。
スピードです。
ミスをしないことです。
もちろん、それらは料理人として大切です。
でも、目の前のお客様にどう伝えるか。
一皿の価値をどう感じてもらうか。
記憶に残る言葉をどう添えるか。
自分の料理の背景をどう話すか。
そこは、ほとんど教わらない。
だから、意識しなければできるはずがありません。
今の時代、SNSを見れば、情報はいくらでも手に入ります。
料理の技術も、盛り付けも、食材の扱い方も、考え方も、調べればかなりのことが分かります。
昔は、修業先に入らなければ知ることができなかった情報も、今はスマホひとつで見られる。
プロしか知らなかったような知識も、素人が簡単にアクセスできる。
これは料理の世界だけではありません。
どの世界でも同じです。
表面的な知識や技術の情報格差は、どんどん縮まっています。
では、どこで差をつけるのか。
なぜ、その店を選んでもらえるのか。
なぜ、また行きたいと思ってもらえるのか。
その答えは、情報にないものだと思っています。
誰かの真似ではないもの。
誰も知らないもの。
見たことがないもの。
その人にしか作れない空気。
その店でしか味わえない体験。
つまり、特異性です。
未知の世界は、情報の外側にある
お客様が本当に心を動かされるのは、知っているものを確認した時だけではありません。
むしろ、
「こんなの初めてだった」
「今まで行った店と違った」
「説明を聞いて、料理の見え方が変わった」
「なぜか忘れられない」
そう感じた時です。
そこには、未知の世界があります。
でも、未知の世界は、流行りを追いかけているだけでは生まれません。
みんなが見ているものを見て、
みんなが真似しているものを真似して、
みんなが良いと言っているものを取り入れても、
そこに特異性は生まれにくい。
だから僕は、あえて一般的な情報を遮断することも大事だと思っています。
もちろん、勉強しないという意味ではありません。
世の中を知らなくていいという意味でもありません。
でも、自分の軸がまだ固まっていない時に、流行りの情報を入れすぎると、無意識に真似をしてしまう。
気づかないうちに、誰かに似てしまう。
結果、東京にいくらでもある店の一つになってしまう。
だからこそ、時には情報を入れない。
あえて見ない。
流行りを追わない。
自分の中から出てくるものを待つ。
これも、小さな個人店にとっては真逆の発想です。
多くの人は、成功している店を見に行きます。
流行っている店を見る。
有名店を見る。
SNSで話題の料理を見る。
人気店のやり方を研究する。
それも大切です。
でも、そればかりしていると、自分の料理がどんどん他人の答えに寄っていくことがあります。
僕が作りたいのは、誰かの正解をなぞった料理ではありません。
自分の中から出てきた料理です。
自分の疑問から生まれた料理です。
自分の経験と思想が混ざった料理です。
そのためには、外の情報を入れるだけではなく、内側を掘る時間が必要です。
チェーン店の真逆にヒントがある
スピード重視。
効率重視。
回転率重視。
マニュアル化。
作業の均一化。
それは、大きな店の勝ち方です。
でも、小さな個人店がそこに寄せてしまうと、自分たちの一番大事な輝きを失ってしまう。
だから僕は、迷った時ほど真逆に考えます。
早く出すのではなく、丁寧に出す。
多くのお客様を入れるのではなく、目の前のお客様に深く向き合う。
効率を上げるのではなく、体験の濃度を上げる。
作業にするのではなく、毎回ちゃんと熱量を込める。
誰にでも合わせるのではなく、自分の店に合うお客様に届ける。
チェーン店やファーストフード店の考え方と真逆に進むと、自然と小さな個人店の勝ち筋が見えてきます。
大きな店にはできないこと。
効率化された店にはできないこと。
マニュアル化された店には出せない空気。
そこに、小さな店の存在意義があります。
僕の店は、効率のいい店ではありません。
毎日全力でやれば、2回転の営業は無理です。
精神的な消耗も大きいです。
対人を本気でやれば、かなり消耗します。
だから、非効率です。
でも、その非効率さこそが、お客様にとっての特別な価値になる。
僕はそう考えています。
ブルーオーシャンは、遠くにあるものではない
ブルーオーシャンという言葉があります。
多くの人は、誰もやっていない特別なことを探そうとします。
でも僕は、ブルーオーシャンは必ずしも奇抜なことをしなければ見つからないものではないと思っています。
お金をかけなくてもいい。
派手なことをしなくてもいい。
特別に変わったことをしなくてもいい。
目の前にある当たり前を、疑うこと。
自分が今までやってきたことを、一度解体してみること。
自分が本当に全力でできる人数を見極めること。
一皿に一つのエピソードを添えること。
料理を作業にしないこと。
お客様にとっての特別枠を目指すこと。
その中に、自分だけの道はあります。
僕にとって、ブルーオーシャンは遠くにあるものではありませんでした。
暇な店の中で、
自分の料理を疑い、
店の在り方を疑い、
常識を疑い、
効率化の逆を考え、
目の前のお客様に全力で向き合い続けた先にありました。
小さな個人店は、弱くない
僕は、席を減らしました。
売上を増やすためではありません。
店を守るためです。
料理の質を守るためです。
お客様との時間を守るためです。
自分が120%で立てる状態を守るためです。
その結果、店は強くなりました。
来客ゼロだった店は、予約困難店になりました。
料理だけで戦っていた僕は、料理と言葉と設計で店を作るようになりました。
これは、成功談ではありません。
むしろ、失敗から始まった話です。
でも、だからこそ伝えたい。
小さな個人店は、弱くない。
小さいままでも、勝てる。
大きくしなくても、強くなれる。
必要なのは、誰かの正解に合わせることではありません。
自分の店を知ること。
自分のお客様を知ること。
自分の限界を知ること。
自分の弱さを知ること。
自分の勝ち方を作ること。
僕は料理人です。
でも、料理だけを作っているわけではありません。
店を作っています。
時間を作っています。
お客様の記憶を作っています。
そして、自分の人生の勝ち方を作っています。
効率化を捨てたら、店は強くなった。
それは、単なる経営判断ではありません。
大きく見せることをやめ、
自分のサイズで勝つと決めた、
ひとつの生き方の選択でした。
