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あとがき#011 『アルコ』に見出す人間の創造と感性の相似

不思議な出会いはまるで『もののけ姫』のような─

別の世界(時代)で暮らすふたりが出会う。
ジブリ作品でよく見られるような、日本人に馴染み深いコンセプトが、フレンチの空気感をまといながら描かれる美しさが自然と目を引く。
おまけに昨今は逆に珍しさすら感じる“2Dアニメーション”が、不思議な没入感を抱かせるように思う。
僕たちの現実世界において様々な技術の発展がある中で、古典的な手法が人々を魅了し続ける理由がわかるような気がする。


謎のシュールさはまるで『クレヨンしんちゃん』のような─

ジブリ作品ではおそらく登場し得ないような、例の三兄弟。
静かできれいな物語に突然として現れるシュールな光景がとてもおもしろい。
それでいて、その静かで美しい雰囲気を全く邪魔することなく騒ぎ立てている光景がものすごく不思議に感じる。
目ざとかった役から学ぶことがある、というのは、クレヨンしんちゃんのそれとよく通じるものがあった。


無私の目覚めはまるで『タチコマ』のような─

未来にはロボットとの共存がつきものだ。
例に漏れずこの作品でも、ロボットが家族の一員かのような存在で溶け込んでいる。
抑揚のない声にもかかわらず感情が伝わるというのは、現代の僕たちも着実にロボットという“生命体”が常識になっているからなのだろうか。
そんな無機物の塊が自身の損壊という死を認識していること、そしてそれを承知の上で、物理的に弱い人間を優先する行動は、タチコマの最後を彷彿とさせる。
ロボットにも命が宿っていることを人間はどこかで理解している証拠かもしれない。


無償の愛と絆はまるで『インターステラー』のような─

家族というのは、何故にこんなにも絶対的な概念なんだろう。
家族のためなら、自分の目標も、自分の理想も、自分の夢も、そして自分の時間さえも顧みない。
時間というのはとても貴重で、残酷なものだ。
この世界では、同じ星のなかであっても、時代の行き来を繰り返すことで時間の進み方に影響を及ぼしてしまうらしい。
そこまでしてでも、家族に会いたいと思う、それが理性と分別を与えられた人間でも避けることはできない本能なんだろうか。


人間の想像力は把握ができないほど豊かなものでありながら、面白いほどの共通点が見られる。
人間が人間たる所以のように。

そしてそれは、個性として評価されるべきだ。

意図する相似も、意図しない相似も、ひとつの個性として存在できる世界を望みたい。

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