医療はなぜ市場に向かうのか #6 おわりに
医療をめぐる議論では、国家は国民の命を守る存在であるという前提が置かれます。これ自体は誤りではありません。しかし、日本の医療制度の歩みを丁寧にたどると、国家の役割は決して単純なものではなかったことが見えてきました。
戦後日本において最優先されたのは経済成長でした。軽武装と経済復興を軸とする国家方針のもとで、医療は独立した政策目標というよりも、社会の安定を支え、労働力を維持するための基盤として位置づけられました。国民皆保険の実現はその象徴的な成果ですが、それは無制限の医療提供を保証するものではありませんでした。医療は理念ではなくあくまで制度として設計され、診療報酬という価格、保険給付の範囲、医療提供体制の配置といった具体的な選択の積み重ねによって形づくられてきました。そしてそこで重視されてきたのは、常に最善を追求することよりも、より良い医療を模索しつつ、持続可能性を維持することだったのです。
「守る」から「調整」へ
高度成長期には目立たなかった制度の綻びが、低成長と高齢化の進行とともに次第に表面化していきました。医療費の増大、財政負担の拡大、人口構造の変化といった現実の中で、国家はもはや医療を単純に守る存在であり続けることができなくなります。その結果として進められてきたのが、制度を通じた医療の調整でした。
こうした政策判断は、ときに冷淡に見えるかもしれませんが、それは弱者を切り捨てる思想から導かれたものではなく、限られた資源の中で社会全体を維持しようとする現実的な判断の積み重ねとして理解する必要があります。この現実主義は、戦後日本の国家運営そのものに通底してきた態度です。国家は医療を放棄したわけでも、全面的に統制したわけでもありません。制度を設計し直しながら、その範囲と形を調整し続けてきたのです。その結果、医療は守られる対象であると同時に、管理される制度としての性格も強めていきました。
制度を引き受けているのは誰か
では、その制度を引き受けている主体は誰なのでしょうか。日本の医療制度は、国民皆保険という言葉で語られることが多く、世界的に見ても高いアクセスと比較的抑制された医療費を両立してきた成功例と評価されることがあります。しかし、その制度を支えている主体の姿は、必ずしも明確ではありません。
医療現場では、慢性的な人手不足や長時間労働が続いています。制度改革の必要性は繰り返し指摘されながらも、抜本的な再設計は進まず、負荷は現場に集中し続けています。それにもかかわらず、この状況が社会全体の大きな争点として噴き上がることはほとんどありません。私たちは不満を持ちながらも、制度の根本に関わる判断を引き受けていないのです。
私たちは医療に不満を抱いていないわけではありません。待ち時間や説明不足、地域格差、救急医療の逼迫など、医療に対する多くの不満が日常的に語られています。しかし、医療費負担をどこまで認めるのか、延命治療をどこまで支えるのか、医療提供体制をどう再設計するのかといった、本来社会全体として引き受けるべき問いに答えを出す動きは、具体的な議論には広がりませんでした。「何とかしてほしい」という言葉だけが残り、責任の所在は曖昧なまま、負荷だけが積み重なっていきます。
この態度は、無関心とは異なります。人々は医療に強い関心を持っています。自分や家族が病に直面すれば、それは切実な問題となります。感謝や共感を示すことは、現場を支える力になるかもしれません。どこまでを社会として支え、どこからを個人の選択とするのか、その判断が現場を救うきっかけになるかもしれません。それでもなお、決める立場には立とうとしません。判断は専門家や行政、現場に委ねられ、医療制度は誰かが何とかしてくれるものとして存在し続けると思い込んでいます。
立場を取るとは、声高に主張することではありません。すべての医療が無条件に受けられるわけではないと理解することや、いつか選択を迫られる可能性を自分の問題として考えること、現場に無限の献身を期待しないこと。こうした静かな認識こそが、一つの立場なのです。専門家に委ねることは必要ですが、委ねることと何も引き受けないことは同じではありません。制度の帰結が、最終的に自分の老いや死に返ってくる以上、完全に他人事ではいられないのです。
成熟とは不完全さを引き受けること
日本の医療は今も機能していますが、その回し方は確実に変わりつつあります。本来であれば誇るべき制度であるにもかかわらず、どこかに不安が残るのは、この状態が永続しないことを私たちが直感しているからかもしれません。
医療をめぐる成熟とは、制度が完成することでも、すべての不満が消えることでも、すべての命が救われることでもありません。選択肢が増え、情報があふれる現代において必要なのは、すべてを選ぶ主体ではありません。選ばなくてよい領域と、選ばなければならない領域を見極める主体です。どの言葉を信じるのか、どの不安を引き受けないのか、どこまでを委ねるのか。それらを自分の言葉で説明できること。それが、医療・市場・国家が交錯する時代における、最小でありながら確かな主体です。
不完全であることを前提に、それでも納得できる形を社会全体で引き受けていくこと。その姿勢こそが成熟なのかもしれません。そのとき初めて、個人はようやく無理のない場所に立つことができるのです。
本稿は決して完璧な地図ではありません。しかし、立ち位置を見失わずに進むための羅針盤として、わずかでも役立つのであれば、これ以上の喜びはありません。
医療はなぜ市場に向かうのか #0 はじめに
医療はなぜ市場に向かうのか #1 第1章 日本の医療はどんな前提で成立したのか
医療はなぜ市場に向かうのか #2 第2章 日本の医療はいつ市場に向かったのか
医療はなぜ市場に向かうのか #3 第3章 医療はなぜ市場に向かうのか─静かに入り込む選別の論理
医療はなぜ市場に向かうのか #4 第4章 国家・財政・人口─なぜ誰も守ると言わなくなったのか
医療はなぜ市場に向かうのか #5 第5章 私たち個人はどこに立てるのか─選ばされる社会で、引き受けるということ
医療はなぜ市場に向かうのか #6 おわりに
