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【読書】理由は述べられてないけど、なぜそうなるかは想像しやすい話

お品書き

今回は、私の積読ゾーンから、新潮新書の「メディアはなぜ左傾化するのか-産経記者受難記-」を取り上げます。

著者は、三枝玄太郎氏。元々は産経新聞の記者だったのですが、本書の冒頭にもあるように、いわゆるリストラにより退職。

現在は、フリーのジャーナリストとして、YouTubeやXなどで、活動しています。

最初からこう言うのも…

まず、私の読解力不足なのかもしれません。

本書を読んでだけで、

メディアが左傾化した理由

には、到達できなかったです。

副題の

産経記者受難記

は、三枝氏の経験がふんだんに盛り込まれているので、特に事件記者としての苦労話であったり、最後には肩たたきに合うところなども含め、興味深いものがありました。

"記者"という生き物を知る

本書でも述べられていますが、三枝氏は学生時代はいわゆる反体制派を気取りつつ、バブル世代当時の学生よろしく、軟派な学生生活だったことを告白しています。

少なくとも、三枝氏に関して言えば、新聞記者になろうとする点では変わった学生かもしれません。

しかし、いわゆる右でも、左でもにないフツーの学生が記者になったとことがわかります。

そして、その後の記者生活においても、現場に軸足を置きながら、時には誤報であったり、時には情報発信元とケンカになったりなどの繰り返しだったようです。

ただ、記者としてのプライドというか、あり方というか。

本書を読み進めていくうえでカギになりそうな部分だったのは、

朝日や毎日新聞の記者の中には、明らかに活動家系の記者がいる。その記者が事件を担当する官庁を経験したという話は寡聞にして知らない。別に事件持ち場をやらなければ新聞記者ではない、といった時代錯誤なことを言うつもりはない。ただ、その記者が書く記事、書く記事、いつもそうした「界隈の人々が喜ぶ記事」ということは、その記者がそれ以外に書きたい記事はないのだろうか、と邪推してしまう。

本書 P43-44

という三枝氏が考える「記者という職業のあり方論」なのかなと、私は考えます。

この部分を踏まえて、読み進めていくと、本書のタイトルと三枝氏の意図が合致し、理解できるのではないかと感じました。

あたらめて本書の構成

本書の構成を改めてみると、こちらになります。

1 「会社を辞めろ」と言われた日
2 心情左翼なのに産経新聞に入ってしまった
3 NHKも新聞も殺人犯の言い分を垂れ流していた
4 古参の刑事が語る「冤罪論」を聞く
5 記者クラブで顰蹙を買う日々を過ごす
6 被告人の親族に怒鳴られる
7 殺人鬼の無罪を信じた共同通信の記者に驚いた
8 記者クラブの掟を破って朝日記者の嫌がらせに遭う
9 人権派記者は警視庁には来ない
10 警察幹部の目の前で取材メモを踏みつけた
11 取材協力者のおばさんはひたすら怪しかった
12 歴史教科書を巡るマッチポンプに呆れる
13 「沈黙の艦隊」の担当で幻聴に悩まされる
14 住民運動の主は後ろ暗かった
15 民主党の政治とカネにメディアは甘かった
16 左派と右派の対立は激化していった
17 マッド三枝、沖縄を行く

タイトルだけでも察しはつきますが、NHK、共同通信、朝日新聞には当たりがキツい内容です。

また、本書でも割と重要な位置にあるのは、

住民団体≠世論
人権派の非常識

がよく回想されています。

もちろん、これは三枝氏が経験した記者活動の中の一例である点には留意する必要があると思います。

しかし、報道しない自由の元で、私たちに正確な報道がない事情の背景を知る良いきっかけになると考えます。

一例を挙げると

まず、

自分の金銭のトラブルから暴力団員2人をライフル銃で射殺した

人物が

暴力団員殺害後に逃亡し、ライフルのほか、実弾とダイナマイトを持って、(寸又峡温泉の)旅館の経営者と宿泊客ら13人を銃で脅して立て籠もる

事件を起こしました。

この事件に駆けつけた警察や報道陣に対し、犯人は、

この事件の前に起こした別の事件で取り調べを受けた際、朝鮮人差別発言をした刑事に謝罪させるよう要求

しました。

この事件は1968年に発生し、犯人が金嬉老(きんきろう、改名後は権嬉老)です。

私は、金嬉老が警察官から朝鮮人差別を受けたことについては同情します。

しかし、

  1. 暴力団員2名殺害しなければならない

  2. 人質立てこもりをしなければならない

合理的な理由とは全くないと思います。

はっきり言えば、ただの逆ギレで、筋違いも甚だしいと考えます。

また、この籠城劇は、当時リアルタイムで放映されたようですが、この姿勢についても、私は疑問を持ちました↓

新聞社の横並びから外れると右派なのか?

三枝氏の受難記を見る限り、産経新聞の居心地は大変よかったようです。

多分、“権威ある”新聞社だったら、三枝氏の記者クラブでの振る舞いを見ていたら、おそらく別部署に異動させていたでしょうね。

記者クラブの問題については、田中晋様も大変参考になる記事を掲載していただいていますので引用させていただきますが↓


排他的な要素、悪い意味での横並びの要素がある記者クラブと、三枝氏とは折り合いが悪かったことは想像に難くないです。

加えて、某新聞を上位下達のお役所的であるから官僚組織と馬が合うと発言したり、

あるライターと一緒にいた灘高・東大法卒の天才弁護士が三枝氏に対して、

「産経新聞みたいな右翼の会社にいると、自由がなくて大変でしょう」

本書P196より

と言われた後で三枝氏が

「左翼が自由で、右翼が抑圧的っていうのは、ちょっとステレオタイプに過ぎませんかね。塾で習ったんですか? そうするとカンボジアのポル・ポトや中国の毛沢東、ソ連のヨシフ・スターリンも自由主義者だったのかな」

本書P197より

と返したりなどを見ると、三枝氏の中にある元々の体制に対する反抗の精神が見て取れます。

そのあたりは、

「右翼の新聞だから抑圧的」-何度、「高学歴な」方々から言われたか。

本書P197より

という発言も踏まえると、産経新聞の

  • 新聞社としては自由闊達すぎる社風

  • 官僚的ではない社風

が、結果として、三枝氏を事件記者に成長させた背景かなとも、私は感じました。


新聞の問題だけではなさそう

新聞の発行部数の減少については、smartbb様も記事にしていただいていますので、そちらを引用しつつ↓

肝心の中身のクオリティが落ちていることも遠因だと、私は考えます。

新聞の取材については三枝氏も指摘しているように、

新聞の発行部数低下

リストラ

取材態勢の縮小

取材力の低下

はじわじわと効いているんでしょう。

その穴埋めに、特定の主張だけを記事として掲載するのは、経費節減の面では正義なのかもしれません。

しかし、報道という側面で見れば、かなり疑問符がつくと思います。

であれば、ネットが全能か?

このあたりは、DJムッチー様が大変興味深い記事を掲載していただいてますので、そちらを是非ご覧いただきつつ↓

ネットという媒体があるからこそ、新聞の良さはあるだろうと、私は考えます。

今回の三枝氏が受難記の内側にある背景を書籍にしたことで、新聞報道の別の側面を俯瞰できうるかもしれないと、私は強く感じました。

(了)

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山田太朗(仮名) 最後までお読みいただき、ありがとうございます。よろしかったら、「いいね」やフォローもお願いします。