八朔のおいしさをつい忘れがちなわたしへ
母から大量の八朔が届いた。大の八朔好きの母は近年八朔を注文するようになり、去年に引き続き、わたしと妹それぞれに送ってくれた。
正確にはわからないが、ダンボールで届いた八朔は20個ほど。ご近所に知り合いが少ないこともあり、結構な量に怯んだ。友人と会う予定があるといった夫に持たせ、会社のひとにもと半ば無理やり持って行ってもらった。
そして昨日、夜食のあとに食べ改めて思ったのは、八朔ってほんっとうにおいしい。届いた翌日に食べたときは酸っぱ!と思った八朔だが、朝イチのえらく敏感になっている舌に刺激が強かっただけだった(いつも飲んでいるコーヒー、朝イチのひと口めで苦さに驚くことが多々ある)。八朔がこんなにおいしいことをすっかり忘れていた。毎度、食べて思い出すのだ。
わたしが実家に住んでいたころ、まだ母は八朔を注文しておらず、季節になるとスーパーで買ってきた。夜ごはんのあとに「八朔食べる?」と聞かれ、要らんと答える。八朔にそそられる気持ちもあまりなく、皮を剥くことを面倒くさがるわたしに、母はいつも薄皮まで剥いてわたしてくれる。そして、あんなに興味0だった八朔をひと口食べると、決まって「え?おいしい、、!」と感動してしまうのだ。
夫と八朔を食べ、そんなことを思い出した。母は大人になったわたしのためにも薄皮を剥いてくれていた。甘やかされ過ぎて育ったわたしだが、今は夫のために薄皮を剥いている。
いらないという夫のため皮を剥く。この気持ちをわかってほしいと思い、八朔を強要する。好きなひとには自分の好きを共有したい。八朔のおいしさを知ると、皮を剥いてあげたくなってしまうのだ。
ほんまおいしいよな?を連発するわたしと、一度食べると止まらなくなるという夫。彼の故郷・トルコに八朔はないのに、わかってるやんと大満足のわたし。
かつての母も同じ気持ちだったのかな。手や、手についた皮の香りを嗅ぎながら想像する。もう二度と八朔のおいしさを忘れまいと誓った。
そんなこんなで、まだ10個以上我が家にある八朔も食べ切れると確信した。今日会った友人に八朔の話をすると、「八朔はおいしいよ〜」と言っていた。荷物になるからと遠慮して持って行かなかったが、やはり彼女には八朔を送ろうと思う。
