209.旅日誌-完結-
11月中旬、嫁さんと沖縄を訪れた日々。その後編。ただの日記。
レンタカー屋を出発した我々は夕暮れの高速に乗り、沖縄市へ向かった。観光地だからなのか、はたまた仕事が終わる時間だからなのかよく分からないが、やたら混雑している。そしてやはり多少運転が荒い気がする。高速に乗る前の下道で車線変更しようとした際は"譲れぬ想い"というものを強く感じた(入れてくれない)、高速でも下道でも前方車両を煽りまくる車を多々見かけた。
そんな荒さを感じつつ、高速上から沖縄の街並みを見ながら走っていたのだが、一つ気が付いた事があった。やたらと白い家が多いのだ。"家と言ったら白っしょ!"という概念が存在するのだろうか。ほとんどが白である。不思議に思い、後々調べた所によると《日中の日差しが強く、太陽熱を緩和させるための対策が必要。白色によって太陽熱を吸収しにくくなるため、沖縄には白い家が多い》との事だった。生活の知恵に伴う文化だったようだ。
ようやく沖縄市へ辿り着くと、すぐメシ屋を探した。昼時は飛行機に乗っていたので11時頃に仙台空港で小洒落た店の名前も知らない横文字のメシを食って以来何も食べていない。空腹なのである。夕飯前に何か腹に入れなくてはと街の中を探索したが、大通りには松屋、吉野家、マック、ガスト、大戸屋が立ち並んでいた。地元でも食えるメシ屋の数々。天下一品を見かけた時に少し心が揺らいだが、やはり旅路でそれらを食う事に対し《ここでこれ食ったら負け》という概念が食欲を抑制する。探せば様々な店があったのだろうがそんな事している時間もなく結局、メシは断念してホテルへ向かった。
チェックインし、キョロキョロ周りを見渡しながら部屋に向かっていたのだが、とんでもなく綺麗なホテルである。部屋のキー無しにエレベーターが使えない堅牢な作り、部屋の風呂の他に大浴場、屋上にプールとバー。妙に充実してるなと思ったのだが、聞く所によるとこのホテルは四つ星のホテルらしい。よく分からんが何かがすごいという事なのだろう。言われてみれば、フロントのスタッフも"四つ星っす"的な顔つきをしていた様に思う。
部屋に荷物を置き、一息つく間も無く嫁の兄が迎えに来てくれた。久々の再会。そして車に乗せてもらい移動を開始する。相変わらずこれから何があるのか分からずただ身を任せると、兄夫妻の家で飼い猫と戯れた後、徒歩で兄夫婦とお勧めの居酒屋に入る事となった。しかも予約済みである。至れり尽くせりである。
嫁の兄とは同い年で隣の高校なのだが、こういう関係になるまで一切面識も接点も無く、互いの認知も無かった。それもそうである。向こうは進学校に通い、部活も勤しむ文武両道のスタイル。こちとら工業高校でいかに勉強も部活もせず日々を謳歌するかしか考えてこなかったスタイル。当時相見える事のなかった両者だが、こんな形で出会う事になるとは分からんものである。その奥さんは沖縄の人で美人さんで気立も良く、心配になる程周りに気を使う人だ。非常にナイスカップルである。
2夫婦4人で和気藹々(わきあいあい)と沖縄のメシを喰らいながら酒を飲みまくっていた。全てが旨い。メシも酒も店員の優しさも全て最高である。結局そこで3時間くらい飲んでいたのだが、その終盤に私はタバコを吸いに外に出た。夜の9時過ぎ。涼しげな外気に触れながら夜空を眺める。
おもむろに携帯を手に取ると数件の連絡が入っていた。酔った頭で一つ一つを確認していくと唐突に衝撃が走った。何度も見直したが冗談や嘘の類では無い。そこには世話になっているバーのマスターが亡くなったという旨が書かれていた。ぽっかりと胸に穴が開いたような気持ちでしばらく虚無感に包まれたが、今ここで嘆こうがその虚無感に寄り添おうが何か事態が変わるわけでもない。全ては福島に帰ってからだ。その思いは心の端に置き、一旦切り替える事にした。
それから4人でホテルの最上階のバーで酒を飲む。プールもあり、気温的には全然入れるのだが開放期間が終わっていたので入れず。まあ解放していても特に入るつもりもないのだが。なんなら水に入って酒を飲んだから何なのかとすら思っている。
こうしてようやく1日目が終わった。ここまでの旅程は何となく分かっていたが、ここからは未知の領域である。
この調子で全てを書いたら5週分になりそうだったので、ここからはギュッとまとめる。
2日目も朝9時から嫁兄夫婦が迎えに来てくれた。わざわざ休みを取ってくれたらしく、なんと一日中エスコートしてくれるらしい。本当にありがたい限りだ。そして嫁兄運転で丸一日色んな場所に連れて行ってもらった。嫁の行きたい場所と嫁兄が連れて行きたかった場所、5、6箇所。だいぶ詰め込まれている。更に運転を変わると言っても変わってくれず、私は末っ子感丸出しで後部座席に居座り続けた。もはやどこをどう走っているのかも分からない状態。
だが、道中の節々に『(あれ、ここ見た事あるな)』『(あれ、ここのコンビニ来た事ある気がする)』と薄っすらと記憶の残像と重なる場所が散見された。そしてふと思い出した。初期の投稿で沖縄に来た日の事を書いた事があったが(過去投稿参照)、その時に寄った場所達だ。それと同時に苦虫を噛み潰す様な記憶が蘇る。
海に流された仲間の帽子を取りに海に潜った結果、邪険な扱いをされたあの日。あの後、パンツが海水でびしょびしょになり、ズボンも履けず、後部座席にビニール袋を敷き、パンツを着用しながら自然乾燥を試みたあの時間。だがこちらの状況はガン無視で次々と店に寄られ、コンビニやメシ屋をTシャツとパンツ姿で訪問したあの苦い記憶。そんな事を思い出しながら外の景色を眺めていた。
車は延々と走っている。あまりに予定を詰め込み過ぎて『(いやもう、どっか1箇所くらい諦めてもいいんじゃないだろうか)』という誰も口にしない思いが車内に蔓延していた(と思う)のだが、定められた儀式の様に全ての工程を我々は乗り切った。全てが終わったのは夜7時であった。まあ私はただ後部座席で色んな場所に運ばれただけなので『(俺達やりきったな!)』的な表情は取れなかったが。達成感はあった。それより全部ちゃんと楽しかった。そして最後にアメリカンビレッジでメシと酒を喰らいホテルに帰ってその日を終わらせた。
翌朝、14時台の便に向け10時頃にホテルを出て、近くの旨いハンバーガーとポテトを食ってから沖縄市を出発した。疲れ切った顔のレンタカー屋に車を返し、空港で土産物を物色していると、嫁から兄夫妻が見送りに空港まで来るという旨を伺った。沖縄市から空港までそこそこの距離がある。さすがに世話になりっぱなしの挙句、見送りなどという御足労を掛けさせるのは申し訳なく思い『いやいや、もう十分良くしてもらったからそこまでしなくて良いって伝えて』と言ったが、既に空港近くまで来ているらしく、我々は再び合流をした。
とりあえず昼メシを食う事になったのだが、先程ハンバーガーとポテトを食ったばかりである。だが特に問題は無い。食べたい時に食べたい物を食べたい分だけ取り込める胃袋が私にはある。最後は沖縄らしく、沖縄そばとタコライスを同時食いした。
そして最後に夫妻に手土産までいただき、何度も何度も手を振って別れを告げながら我々は保安検査を潜り抜けた。便の遅延で1時間の待ちぼうけを食らったが、無事我々は沖縄の地を飛び立った。帰りの機内で珍しくウトウトしてい所、何故か後ろの席の子供に髪を触られまくるという体験をしたが、そんな妨害工作にはめげず、しっかりと睡眠をとって帰った。
そして夜18時、仙台空港に到着。機外へ出て即座に思った。
『(さむうう!!)』
30℃→10℃の落差。このまま半袖でいたら怪訝な目で見られるだろう。私は長袖を着用した。
荷物を受け取り、我が車に乗り込むと福島への帰路へ着いたはずだったが、腹が減ったので一度仙台方面へ北上し、天一食って帰った。
夜9時台に自宅へ到着し、いただいた手土産を食う。暴飲暴食だが問題無い。こういう時のために私の胃袋はある。そして酒を飲みながらこの3日の思い出を振り返っていた。
その場所の楽しみ方、メシ、酒、色々な物事が旅の醍醐味としてあると思うが、それらを謳歌する大前提は"心の解放"である。この土台あってこそ全てを楽しめるのだ。旅へ行ってもあの事もこの事もと普段の生活の様々な事を脳裏に描き、どこか日常の延長線で旅の場にいる事もあるが、今回はそれがなく心を解放して純粋に楽しめた。風土、文化、気候が非日常を作り出し、それに浸れたのかもしれない。良き旅路だった。
そして発見が一つ。私は甘味にほぼ興味が無い。唯一上げるとすればハーゲンダッツくらいだったが、ここにもう一品追加される事になった。仲宗根食品の"ジーマミー黒糖"である。なんだろうかあれは。延々と食っていられる。新たな出会いである。
おわり
