『ツインテールとドッペルゲンガー』解説③同性愛と作品のテーマ
こんにちは、山田星彦です。
この記事では、私の小説『ツインテールとドッペルゲンガー』について、くわしく解説します。原作を読んだ方は、この記事を通して作品のテーマや作者の意図を深く理解していただけます。また、原作を読んでない方も理解できるよう努めましたので、未読の方もぜひ読んでいただきたいと思います。ただし、解説の中で作品の内容の根幹に触れますので、その点はご了承ください。
③同性愛と作品のテーマ
少女同士の叶わぬ恋
男女の異性同士の恋愛とは別に、この作品では同性愛も登場します。紫のウェアの少女から飛び出したドッペルゲンガーが、その担い手です。そもそも、ドッペルゲンガーは処女喪失の際に、あくまで男性を受け入れることを拒否した人格でした。さらに、その考えが行き着いた自然な結果として、同性であるピンクのジャージの女の子を愛していたのです。
元々、紫のウェアの少女とピンクのジャージの子は、「一生、処女でいよう」という、純潔の誓いを立てていました。しかし、ピンクのジャージの子はその約束を破り、彼氏を作ります。失恋したドッペルゲンガーは、思わずピンクのジャージの子を殺してしまい、その後、最初で最後の口づけをしてから、自らも命を絶ちます。
私はこの口づけと自殺のシーンを、悲しく美しいシーンとして描きました。少女同士の叶わぬ愛に絶望したドッペルゲンガーが、自らの命と引き換えに、「一生、処女でいよう」という愛を完結させたわけです。殺人や自殺に手を染めてこそいますが、そこまでしてでも自ら掲げた愛を貫いた姿には、胸を打つものがあると思います。このドッペルゲンガーの姿勢に、私は純愛の名を与えました。
百合なのか
しかし、このシーンは百合と捉えられる結果となってしまいました。百合作品とは、BLの女版と言ったところでしょうが、BLも百合も、実は同性愛を描いたものではありません。BLで言えば、登場する二人の男性は、互いに愛し合って交流しているというよりも、読者である女性が喜びそうな行動をそれぞれが取ります。それが読者からしたら「愛でる」という感覚になるのです。
一方、この作品の中に、少女を愛でる意図はありません。そもそも二人の姿をほとんど描いていませんし、それどころか、二人とも死んでしまいます。二人の死からも明らかなように、この作品はむしろ百合とは逆で、少女同士の恋愛が破滅した物語なのです。ピンクのジャージの子が男性との恋愛を選んだ時点で、百合的な世界観は破綻しています。
同性愛の悲劇
そもそも同性愛は、異性愛に比べて脆弱なものです。男女が、まさに愛の結晶というべき子供を生み出し、二人の愛を後世に引き継げるのに対し、同性愛は子供を作ることはなく、その愛は自分たちの間だけで途絶えてしまいます。この作品では、若くして二人の少女は死にましたが、たとえ、二人が結ばれて百歳まで生きたとしても、子供を作らない以上、二人の愛が自分たちの世代で途絶えることに変わりはないのです。
これが同性愛の持つ根源的な儚さですが、この作品でも、少女同士の恋愛は悲劇的なものとなりました。一度の口づけをもって、二人の愛は永遠に終わりを告げたのです。しかし、その恋が儚いものだからこそ、美しくもあります。花火が一瞬で消えるからこそ美しいのと同じで、少女の恋も、叶わないからこそロマンチックです。男性に汚されることなく死んだ二人の処女は、そんな「純粋すぎて、この世に存在できないもの」を象徴しているのです。
生と死の交錯
ここまでの、男女の恋愛と同性愛の説明を念頭に置いて、ラストシーンを見てみましょう。ラストシーンでは、二人の処女の死体を遠くに眺めながら、男と女は性交し、最後に子を宿します。ひとつの場面に、滅びた同性愛と、命を繋ぐ男女が同居している構図です。いうまでもなく、それは死と生の対比です。
ただし、ここでの死と生の印象は、世間の一般的なイメージと逆転しているかもしれません。一般的なイメージでは、「死=汚れ」「生=輝かしいもの」と言ったところでしょうか。しかし、このシーンでは、死せる処女を清らかな月明かりが照らし、性交する男女は泥と汗にまみれています。美しいのは死んだ二人の処女なのです。
ですがこれも、この小説では当然です。男性に汚されぬまま、清らかな愛を貫いたのはドッペルゲンガーのほうですし、一方の男女は、欲情や束縛など、相手に自身の欲を押し付け合うという罪を犯しながら、恋愛を成就させているからです。ここに、この作品のテーマがあります。「純粋で美しいものは儚く滅び、汚らわしいものが、醜くも逞しく生き延びていく」。これが、ラストシーンに込めた、この作品のテーマであり、様々な文学作品で取り上げられる普遍的な問題です。
クイズの答え
最後に、先日出したクイズの答えを発表します。問題は、「この小説のラストシーンが、ある有名小説のワンシーンに似ているが、それは何という小説のどのシーンか?」というものでした。
その小説とは、太宰治の『斜陽』です。シーンで言えば、姉が妻子ある男性を寝取る夜です。この行為によって、姉は子を宿しますが、その夜、弟は自殺します。
『斜陽』は、貴族の出である姉と弟の物語です。姉は一見、貴族らしい優美さを持っているように見えますが、物語の後半、男を寝取ったり、その行為を正当化したりと、倫理観の欠落した暴挙に出ます。一方、弟は酒や麻薬に溺れているのですが、それは何とか自分を貴族から庶民へ変化させようとするための努力であり、結局、その苦痛に耐えかねて自殺します。
戦後という、貴族の没落していく世の中にあって、倫理観をかなぐり捨て、醜くも生き延びた姉と、それができず、高潔なまま自殺した弟という生と死の対比が、例の一夜に交錯しているのです。
説明してきたように、『ツインテールとドッペルゲンガー』のラストには、美しいまま滅びた処女の死と、汚らわしくも生き延びる男女の生が対比されています。これは、『斜陽』で描かれた、「汚れを受け入れられず自殺した弟」と「生のために倫理観を捨てた姉」の関係なのです。私は『ツインテールとドッペルゲンガー』のラストを思いついたとき、それが『斜陽』に似ていると思いましたし、『斜陽』とは別のアプローチで、清らかな死と汚らわしくも逞しい生が描けると思い、この作品が良い小説になると確信しました。
終
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