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絵日記 2023/10/31 「自己愛」と「自己肯定感」は別物だと思うので


サスノハラ

 こんにちは。今日の一枚目は一枚絵。これに関してもAIピカソくんにアイディア元となる画像を生成してもらい、それを参考に全体を作りました。
 今回は「歩道橋」というプロンプトから背景を生成してもらったんですけれども、だいぶ複雑な景観が出てきたことが言え、それを元に作画するのもなかなか大変だった。結果としてだいぶディテールを削ぎ落とした大雑把な描写にとどまりましたが、これだけ入り組んだオブジェクトが並んでいるとこれくらいの手数でもそこそこの出来に見えているなと思います。


スカル

 二枚目はピンタレストで見かけたAIイラストを参考に作ったもの。これと同様の題材のものを何ヶ月か前にも一度描きましたが、その際は仕上がりに色々と不満が出たので今回はリベンジみたいなつもりで挑みました。
 結果として前回描いた時に比べればだいぶ描写の精度が上がったなと思いますね。数ヶ月前に比べれば多少なり画力が向上しているのでしょう。
 まだ厳密に見た時に気持ちの悪い部分が多いというか、ライティングに嘘をつきまくっているので、ここら辺もう少し正確性を上げられるようにしておきたいですね。


 さて、昨日は宣言通り、一枚+αで作業を辞めにして、続きを夜間作業に持ち越したんですけれども、そこでまた眠れなくなってしまい結局完徹してしまいました。生活リズムがわんぱくすぎる。お前はもうそんな無茶ができるほど若くはねえんだよ…。
 結果二日間で六枚を生産する運びとなりました。こちらに載せていないストック分が四日分くらいあるので、それらを載せ切った段階で昨日描いたものもお目にかけられると良いなと思います。

 今日は午後から仕事が入っているので、良きところで仮眠を取らねばですね。あまりにも寝不足で体調が悪化するようであればお休みしますか。(ガバガバリスクマネジメント。


 先日、「自分を愛せる人っていいよね」という話をしましたが、今回はそれをもうちょっと掘り下げてみます。
 絵日記の表題の通り、私は「自己愛」と「自己肯定感」というものは別物だと思っている。自己愛がなくても自己肯定感は成立するし、自己肯定感が低い人の中にも強固な自己愛を持ち得ている人がいる。
 どちらかといえば自己愛はネガティブなもの、自己肯定感はポジティブなもの、という感覚でその言葉を使い分けています。

 私が思う「自己愛」とは、「自分はなんて可哀想なんだろう」という己に対する憐憫である。
 辛いことが度重なると、この自己憐憫は己のしんどさを食らってどんどん大きくなります。「自分一人がなぜこんな辛い目に遭っているのか」「世界は不平等だ」「不平等だからこの世で私だけが不利益を被っている」という気持ちにさせられる。
 結果として自己愛は、「誰かに自分を肯定してほしい」という感情に自分を駆り立てる。自分で自分を愛してあげられるだけの客観的幸福が足りないので、他人から幸福を授受することで心の隙間を埋めようとするんですね。

 なので、自己愛は拗らせると自他に対する執着や精神の病を生む。絵描きが陥りがちな、「もっと大量に、不特定多数からの承認がほしい」という気持ちも、この自己愛が肥大化し続けた結果です。
 私もずいぶん長いことこの状態で生きてきましたが、当然のようにしんどい。このタイプにありがちなのが、他人からどれだけ承認を得ても愛情に対する飢えが満たされないという流れであり、結果として次から次へと承認を得続けていなければ立ち所に病み始める。
 自己愛タイプにとって、他人からの承認はそもそもその場しのぎのおやつみたいなものであり、それをいくら食べてもお腹は膨れないんですね。

 ではどうすればいいかというと、「自己肯定感」の方を育ててやればいいと思うんです。
 私が思う自己肯定感は、自分で自分を愛してあげられている状態。他人がなんと言おうと、どんな承認を与えられようと逆にどんなに貶められようとも、自分には一定の価値がある、自分の価値は自分が一番よくわかっている、という心の持ちようです。
 これを獲得してしまえると、ちょっとやそっとじゃ自分に対する評価が揺らがなくなる。結果として精神的にめちゃくちゃ安定しますし、自分で自分に常時承認を与えられるわけですから常に幸福感と自信に満ち溢れる無敵状態になる。

 私も昔は自己肯定感がごっつ低かったんですが、この何年かこれを育むことに成功して、結果としてだいぶ安定した感情の入出力ができるようになった。
 私の場合は並行して自己愛の方もかなりの量持ち得ているので、いまだに辛いことが重なるとぐらっときてしまったりするんですが、まあともあれ多くの人に勧めたいのは、「自己愛」ではなく「自己肯定感」を育むことです。

 この自己肯定感は、そもそもが「自分はなんてすごいやつなんだ」という感情ではない。それはどちらかといえば自己愛に分類される感情ですね。
 自己肯定感とは、「自分はこういう長所があってこういう短所がある人間だから、こういうことが得意で逆にこうしたことは苦手としていて、周りには概ねこういうふうな人だと思われている」という自分に対する分析、理解を尽くした状態です。
 私も自分のことを徹底的に分析し、掘り下げることで強固な自己肯定感を築いてきた。そもそもが人間には長所があり短所があるのが当たり前なので、短所にばかり目を向けても落ち込むばかりで何にもならないし、逆に長所ばかりひけらかそうとするのも自分を実際以上に大きく見せようとしてしまうことから健全ではないわけです。
 これは自分ばかりではなく他人に対する態度にも言えることで、とにかく好きになった誰かを盲信してしまう、とか、ひたすら他人の粗ばかりが目につく、という人は、まず長所と短所のバランスを見極める練習から入るといいのではないかと思います。長所の裏には必ず短所があるし、短所の裏返しが長所なので、多少なり深読みする癖をつければ他人の風評や自分の感情に強く流される状態は脱せるはず。

 要は、「人間誰しも完璧ではない」ということをよく理解するのが近道なんですね。自分が尊敬してやまない人だって人間なので、一端の悩みを抱えてそれを誰にも打ち明けられずにいるのかもしれない。自分が嫌いでたまらないあの人だって、自分の知らないところで多くの人に救いを与えているかもしれない。
 そういう無限の「かもしれない」を、単に可能性としてでも持っておくことで、思考が極端なとこにびょーーんって飛んでっちゃうのを防ぐことが出来る。

 そして、自分にも「かもしれない」を適用する。自分は人付き合いが苦手だと思い込んでいるが、本当にそうだろうか??? 人付き合いが苦手だ、という自己評価で自分の能力を決めつけてしまっていないだろうか。本当は人と接するのが好きで、ただ単に今まで自分と話の合う人にあまり出会ってこなかっただけではないだろうか。
 そう考えると、人付き合いが苦手だ、という短所は氷解します。あとに残るのは無限の可能性を秘めた自分だけになる。
 この状態が「自己肯定感が高い」状態であるわけですね。「死ぬ気でやれば自分でもなんとかなるだろう」くらいの楽観性を持てるわけです。

 楽観主義になれると生きるのがめちゃくちゃ楽です。人間の悩みなんて、五割以上は無駄ですからね。起こる可能性の低い未来や、勘違いの短所長所に延々振り回され続けているだけで、本当に間に受ける価値のある問題なんて普段無限に湧いてくる悩み全体の一割もないんじゃないでしょうか。
 自己愛が爆発して苦しいって人は、自己肯定感を育んで楽観主義を実践できるようになると楽になれるのではないかなと思います。

 というわけで、そろそろ仮眠をとりますかね。流石に眠い。
 今日はなんだかんだ三千文字以上も書いてしまった。長文を読んでいただきありがとうございます。
 おやすみなさい。

 ではまた次回。