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ワシントンから松山へ。100年前のジャーナリストが託した平和への願い

昨日、私は「シドモア桜」の植樹祭に
参列しました。

先日までその存在を知らなかったのですが、
それは100年以上前、
日本の桜をこよなく愛した
アメリカ人女性ジャーナリスト、
エリザ・シドモアさんにちなんで
名付けられた桜だといいます。

この桜のルーツは、
アメリカ・ワシントンの
ポトマック河畔に咲き誇る桜にあります。

1912年、日米友好と世界平和の願いを込め、
横浜港からワシントンへと贈られた苗木が
その始まりです。

シドモアさんは、明治期に何度も日本を訪れ、
当時の日本の姿を写真や文章で
克明に記録した人物です。

『人力車デイズ・イン・ジャパン』などの
著書を通じ、日本の文化を
欧米に広く紹介しました。

彼女がとりわけ愛したのが、
東京・向島の隅田川沿いに咲く桜でした。

その美しさをアメリカの人々にも見せたいと、
彼女はワシントンへの植樹を
政府に働きかけ続けました。

その情熱が実を結ぶまでには、
実に27年もの歳月を要したといいます。

時を経て、今度はそのポトマックの地で育った
**「日米友好の証」**である桜を里帰りさせようと、
「シドモア桜の会」が発足。

横浜を中心に、日本各地へその苗木を広める
活動が続けられています。

今回、松山にシドモア桜が
植樹されることになったのには、
深い理由があります。

シドモアさんは著書『日露戦争下の日本』の中で、
松山の人々がロシア人捕虜に対して注いだ
温かい慈愛の精神を、
一人のロシア人将校の妻の日記という形式で
世界に紹介していたのです。

こうした歴史的な縁(えにし)により、
松山市の晩翠荘
の一隅に
シドモア桜の苗木が植えられました。

横浜からは「シドモア桜の会」の関係者や、
日本さくらの女王も訪れ、
華やかな式典となりました。

春を感じる穏やかな青い空の元、
人々の温かいまなざしの中、
シドモア桜は松山の地に根付きました。

若木を見つめながら、
100年の時を超えてシドモアさんの
平和への願いが、ここ松山の地にも
根付くことに深い感慨を覚えました。

現在、地球上では様々な紛争が絶えませんが、
市民レベルの小さな交流の積み重ねが、
いつか大きな平和へとつながることを
願わずにはいられません。





**今日は私の記事を読んでいただいて、ありがとうございます。明日も日常や身近な話題をお伝えします。お楽しみに**

また明日お会いしましょう。💗





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