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仏教系学園ラブコメ小説 「ダーリンはブッダ」 第十五回 スイトルさん 3

スイトルさん 3

 その頃の僕は、もうスイトルさんなしには生活できないほど彼を崇拝していた。だけどスイトルさんは、僕のそういう態度をすごく軽蔑した。
「おまえはすごくいい物を持っている。なのに、それを見ようともしない。ちゃんと、気付け。どれだけ素晴らしいものを持っているか、ちゃんと気付け」
 って、そればかり言ってた……。
 僕は、気付こうにも自分が何を持っているのか全然わかりゃしなかった。僕は、邪魔な自我を持て余していつも苦しんでいたし、スイトルさんはいつも拾ってきた人のことや猫のことばかり考えていて、自分自身をどうにかしようっていうのが全然無い人だった。
 
 どうして僕は、何かをどうにかしようとしてしまうんだろう……。ただ、そのままに、ありのままに、何も考えず自分が吸い取り紙のように世界から水を吸って、訪れた人の感情を吸って、その世界の色に染まりながら生きてしまえばいいのに、自分というものが介在すると、全ては恣意的になってしまうんだ。

 そんな邪魔な自分のせいで、すべての物事を自分の思い通りに通そうとして、通らない自分の境遇を恨んだり、中途半端な義理の両親を恨んだりした。
 その恨みの炎で自分の身が焼かれて、苦しんでいるのはいつもしょぼくれてみすぼらしくなった自分だった。
 スイトルさんのベッドの前で、体育座りをして、どうにもならなさに伏せっていると、スイトルさんの彼女がベッドの上から声をかけてくれた。


「冴馬はね、もっとバカになればいいのよ。踊りもしないで考えてばかりいたら、そりゃあ頭もおかしくもなるってものよ。私は自分で死にたくなるのを自覚している自殺志願者だから、ちゃんと死なないように予防策を立ててあるのよ?
 見て、赤いマニキュア。きれいでしょ? きれいに塗れたら、ヒールを履いて踊りに行くの。バカみたいに見えるけど、髪はいつも盛っていたいの。可能な限りに逆毛を立てて、可愛いアイテムを全部盛り込んでいたい。
 そうしていると、死のうとする時間より、少しだけオシャレに使う時間の方が長くなるから、死なずに済むのよ。
 冴馬はさあ、本当に普通の服が似合わないね。彼のお下がりも本当に似合んない。ほら、いっそのことこれでも巻けば? カーテン。服よりずっと、似合うと思うよ。」
 僕は頭からカーテンを被って、彼女と笑った。 
 スイトルさんの彼女は生きづらいものをたくさん抱えていたからスイトルさんは可能な限り、彼女の生きづらさを吸い取っていた。
 彼らはベッドで抱き合ったまま眠り、眠る前には何度もキスをした。
 明け方になる頃には彼女の体は透明に見えるほど透き通っているのに、スイトルさんが仕事に行くと、途端に彼女は曇りガラスのように濁り始める。きっと、スイトルさんなしには生きていけないと、自分に呪いをかけていたんだ。
「僕では何か、役には立たないの?」
 スイトルさんの留守に彼女に聞くと、彼女は笑って言った。
「冴馬が? 冴馬がこんな醜い私のことを救ってくれるの?」


 そう言って「おかしい」と言って笑っていたんだけど、途中で疲れて、僕に抱きついて言った。
「冴馬じゃ、ダメなの。冴馬は、すごく暖かいよ。大好きよ。だけど、ダメなの。抱きしめられた瞬間に、何もかも消えてくれるのは、本当に好きな人にしかできないことなの。
 冴馬も、そういう女の人を探してね。私は、ダメな女だから……。」


 それを聞いているうちに、彼女は死んでしまうんだろうな……って思った。どうしてもスイトルさんの彼女からは、初めて会った時から死の予感しか受け取れなかった。そして多分、スイトルさんも自分では吸い取りきれないことを知っていた。
 彼女は実家に帰って、睡眠薬をたくさん飲んで自殺した。
 多分、早めに次の世界に行きたかったんだと思う。自分の生きるこれからの何十年という時間を前に、足がすくんでしまったんだ。
 僕たちは、彼女がいずれ自殺するだろうと知ってて、それを止めることができなかった。
 
 彼女のお葬式に、僕たちは出られなかった。家の人達にひどく毛嫌いされて、「娘が死んだのはアンタ達のせいだ」と塩をかけられた。
一番、彼女を愛していたのはスイトルさんだったのに……。
 だけどスイトルさんはその葬式の様子を、路地に立ってずっと見ていた。
「よく見なさい。よくよく、見てみなさい。」と、神さまに言われているみたいに。


 「人は、自分の見えるところまでしか、見ようとしないんだよな。もっと言えば、自分に都合のいいところしか見ようとしないし、見れないのが人であって、それが人の限界なんだ。だけどシッタールダはもっとよく見ろって言ったんだ。俺たちが何に囚われているかを……。

 人は、ものすごく単純にできていて、俺たちは「喜び」によって心が支配されてしまうのだと。悲しみじゃなくて喜びの方に、心が支配されてしまうんだと。その歓喜に振り回されない術を持つって、難しいな。苦しい気持ちが生まれるのは、必ず喜びの後なんだ。

 彼女は必ず死ぬ人だってわかっていたけど、こんなに早く死ぬなんて思わなかった。だけど、俺は、物事はただ起こるって思っているんだ。そこに理由なんてあった試しがない。
 物事はただ起こって、それを俺たちはただ受け止めるんだ。あの両親泣いてただろう?

 多分、しばらく俺のことを恨んで大好きだった彼女のことばかり考えて暮らすだろう。
 人って自分を幸せにするのがすごくヘタだからな。そのどうにもならない死から離れるには、諦めるっていうのが、大事なんだと俺は思うよ。
 諦めないと流れないんだよ。お前がうちに来て晩飯にサモサを食べるようになったのも、前の生活を全部諦めてくれたからだし、当たり前みたいに昼の間彼女と一緒にいてくれたこと、感謝してるよ。」
 スイトルさんは言った。
 その時僕は、ひどく自分が受け入れてもらっていると感じた。ずっと以前から僕の真っ黒な部分を吸い取ってくれていた彼は、僕を、どうにかすることを諦めてくれていたんじゃないかってふと、思ったんだ。
 目の前にいる僕をスイトルさんは自分の望み通りにしようとは決してしなかった。
 だから、僕はすごく、楽だったんだ。

 僕には僕であるどうしようもない理由があったし、その理由をスイトルさんはとても、大事にしてくれた。スイトルさんは僕をスイトルさんの望むように変えようとはしなかったんだ。
 その人がその人である理由を大事にするっていうのが、彼が僕を受け入れるっていうことなんだと思った。


 どうして僕は、あんなにも自分の両親を自分の思い取りにしようとしていたんだろう。
その人を変えようなんて本当は、恐ろしいことなのに。「変えられてたまるか」って、自分のことなら思えるのに、自分に近くなれば近くなるほど、その基本を忘れて相手をコントロールしようとしてしまうんだ。あまりにも、自分に近い存在だから、自分と同一視してしまうんだね。本当は別の人間なのに……。

 僕は僕のことを育ててくれた義理の両親のことも、生みの両親のことも自分と分けて考えられなかったんだ。
 いつも、どこか親のせいだという思いがあった。ひょっとして、自分と親を分けて考えられれば、自分も相手も、生きやすかったのかな……って思う。
 分けて、離れて、あの人達の成り立ちを考えて……自分の成り立ちを考えて。それから付き合えば良かったのにね。だけど心の狭い僕がそれをやるには、宇宙よりも遠く離れなければいけなかったんだ。


 スイトルさんの彼女は、とても優しかった。僕と同じ量かそれ以上の虚無感を持っていて、それを減らそうっていう気持ちが全然無い人だった。
 ただその重さを感じて、ぼかしていれば良かったんだけど、きっとそれから続く長い時間というものを考えてしまったんだろうね。本当は明日にでも、自分は死んでしまうと考えていたけど、ふと永遠に生きるかもと考えて恐ろしくなったんだ。
 彼女が死んで、僕たちはこの生活が終わったのだと気が付いていた。そして、ある朝スイトルさんは、部屋からいなくなってしまったんだ。
 
 しばらくの間、僕は半狂乱でスイトルさんの名前を呼んで知ってる場所を探し回った。
だけど、スイトルさんはいなくて、アパートの部屋はそのままにあって。そのどれもがスイトルさんの匂いに包まれていた。
 僕はいつまでもそこで待っていたかった。だけど、スイトルさんが決して帰ってこないことも知っていた。それで、僕はその部屋から以前にスイトルさんの彼女が似合うと言ってくれたカーテンを一枚だけ頂いて、北から来たウーファーさんと一緒に旅に出たんだ。
 
 彼らはほとんどの距離を、歩いて移動した。お金がかかるから、特急の電車になんか乗らないで、普通電車で乗り継いで北国まで移動した。着いた先からは歩いて農場まで出かけていった。
 僕の服はすぐにぼろぼろになった。彼らは自分の頭と身体を石けんなんかで洗わなかった。動物みたいに、水で洗うんだ。そうすると本当に、人は太陽の匂いになっていく。


 僕は、スイトルさんが今、インドにいるような気がする。インドか……東南アジア。仏教の盛んなところで魚でも売って、それとなくうまくやっている気がするんだ。
 あまりにも似合いすぎるからやらないって以前は言っていたけど、その似合いすぎることをやる時が来たから、もう日本にはいないんだと思う。
 しばらくの間、僕は山で農業の手伝いをして働いていた。そこから見る夕陽はとてもきれいで、スイトルさんに見せたいと思った。そうしたら、突然にその夕陽をスイトルさんも見ていると気付いたんだ。
 ああ、この夕陽を、今、スイトルさんも見てる。

そう思った時に、僕は、自分の勝手な心で、人を決めつけて生きてきたことをすごく後悔した。
 こんなに美しい夕陽を、みんなが見ているとは思わなかったんだ。きっと、スイトルさんは、僕が見たこともないような美しい夕焼けを見て、僕に見せたいと思っている。それを感じて、僕は山を降りたんだ……。
 
 山から降りて、僕は初めて本当の母親に会いに行った。その時はもう、僕はスイトルさんの部屋にあったカーテンを着ていたんだけど、僕のお母さんはずっと僕を見て泣いていた。それが、嬉しくて泣いているんだってことがよくわかった。僕が生きていることをこんなに喜んでただただ、泣いてる人がいる。
 お母さんを見た時、やっと僕は、世界に許されたと思ったんだ……。
 


 冴馬と私は自分の大切なことを、ぽつりぽつりと話しながら夜の道を歩いて帰った。
 私は、冴馬が普通の人みたいに小さなことにいちいち傷ついてきたことに感動を覚えた。冴馬も私と同じ世界を生きているんだと思えたから。「君一人じゃない」と、冴馬の物語は私に語りかけていた。


 あまりにも大変な人生だったけど、冴馬は彼の先生に出会って、なるべくして冴馬になったんだと感じた。そして、あんまり普通に喋るから「ふうん」と思って聞き流していたけど、冴馬ってもう経験者なんだなと感じてドキドキした。


 群青色の夜の闇を冴馬と一緒に歩いて帰る。走る車の音すら切なく響く。今、冴馬の見ている景色を、私も見ている。月が私たちを照らしている。そのことは私が一生分生きていけるくらい、すごいことだったのだ。



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