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市場は、聞かれるのを嫌う

新規事業の立ち上げで、いちばん最初に「市場調査をしよう」と言う会社は、たいてい失敗する。ながらく経営やマーケティングの現場で見てきて、これは例外がないと言っていい。市場は、問われると本心を隠す。観察されると、まったく別の顔を見せる。これは、その理由を構造から解剖する記事だ。

顧問・アドバイザリー先で、新規事業の相談を受けるとき。最初に出てくる言葉が「まず市場調査から」だったら、わたしは少し身構える。経験上、その事業はかなりの確率で、的を外すからだ。

誤解しないでほしい。市場を理解するな、という話ではない。むしろ逆だ。市場を本気で理解したい人ほど、「聞く」「調べる」という方法から、いったん離れる必要がある。なぜなら——市場は、聞かれるのを嫌うからだ。

これは比喩ではない。構造の話だ。人に「あなたは何が欲しいですか」と問うた瞬間、その人は、本心とは違う何かを語り始める。市場という集合も、まったく同じ振る舞いをする。問いを向けられた市場は、貝のように閉じる。そして、観察されていないときにだけ、本当の姿を見せる。

今日は、この「市場は聞かれるのを嫌う」という現象を、できる限り解像度高く解剖したい。これは、わたしが現場で何度も授業料を払って学んだ、一次情報の話でもある。


「聞く」という行為が、市場を演技させる

問われた瞬間に、人は「答える自分」を演じ始める。これは意志の問題ではなく、反射だ。

かつて、ある食品系の新規事業で、丁寧な調査をしたことがある。数百人規模のアンケートと、十数人のインタビュー。「健康志向の食品が欲しい」「無添加なら多少高くても買う」——きれいなデータが集まった。経営会議は盛り上がった。そして、その声に忠実に作った商品は、見事に売れなかった。

あとから棚の前で観察して分かった。同じ人たちが、実際の購買では、いちばん安い、添加物まみれの商品をカゴに入れていた。彼らは嘘をついたわけではない。「健康に気を使う自分」を、調査の場で演じただけだ。問われたから、立派な答えを返した。それだけのことだった。

市場は、問われると「こうありたい自分」を語る。観察されていないとき、「こうである自分」を生きる。この二つは、別人と言っていいほど違う。

アンケートが教えてくれるのは「市場が、自分をどう見せたいか」だ。「市場が、実際にどう動くか」ではない。この二つを取り違えた瞬間、事業は理想の顧客に向けて作られ、現実の顧客に売れない、という最も古典的な失敗に入る。

「聞く」という行為そのものが、観測対象を変えてしまう。市場調査とは、本心を聞き出す技術ではなく、本心を隠させる装置になりうる。この自覚があるかないかで、新規事業の成否は半分決まる。


本当の市場は、財布とカレンダーにしか出ない

言葉は嘘をつく。だが、金と時間は嘘をつかない。

人が本当に何を欲しているかは、口では分からない。何に金を払い、何に時間を使ったか——その痕跡にしか、本心は出ない。「欲しい」と言ったかではなく、「すでに、似た何かに金を払っているか」。「興味がある」と答えたかではなく、「そのために、現に時間を割いているか」。ここだけが、信頼できる一次情報だ。

顧問先には、こう言うことがある。「ユーザーに聞く前に、その人の銀行の明細とカレンダーを見せてもらえたら、調査の9割は要らない」と。もちろん見せてもらえないから、その代わりに、すでに起きている購買と行動の痕跡を、執拗に追う。

あるBtoBの事業では、見込み顧客への聞き取りを一切やめ、代わりに「競合がどの機能に追加課金しているか」「顧客がどの作業に残業時間を溶かしているか」だけを3週間調べた。出てきた仮説は、ヒアリングで集めた要望リストと、ほとんど重ならなかった。そして、行動の痕跡から立てた仮説のほうが、当たった。

「欲しい」と言われたものを作ると外れる。「すでに金を払っている」ものの隣を作ると当たる。市場が口で要望することと、市場が財布で証明していることの間には、ほとんどいつも、深い溝がある。

意思決定の質は、何を信じるかで決まる。声を信じるか、痕跡を信じるか。ここで痕跡を選べる経営者は、強い。


問いの形が、市場の答えを作ってしまう

「どんな機能が欲しいですか」と聞けば、機能の話しか返ってこない。問いが、答えの檻になる。

市場調査のもう一つの罠は、問いを立てた瞬間に、答えの範囲が決まってしまうことだ。こちらが想定した選択肢の中でしか、市場は答えられない。だから、こちらの想定を超える「本当に新しい何か」は、調査からは構造的に出てこない。出てくるのは、いつも、すでに自分が考えていたことの確認だけだ。

新規事業が「すでにあるものの改良版」にばかりなる会社は、たいてい、問いの形に縛られている。市場に問い、市場の答えに従い、その答えの範囲内で作る。だから、誰も見たことのないものは、永遠に生まれない。市場は、自分が知っているものしか、欲しいと言えないからだ。

ここから先に、この15年で「聞かずに市場を読む」ために実際に使ってきた方法を、具体的に書く。顧問先で実際に回している、観察の設計と、痕跡の追い方と、問いを立てない仮説検証の手順だ。


聞かずに市場を読む、4つの方法

1. 観察を設計する、5つの問い

「市場に何を聞くか」ではなく「市場の何を見るか」を設計する。観察には、調査と同じだけの設計が要る。漫然と眺めても、何も見えてこない。

わたしが顧問先で観察を組むとき、必ず立てる5つの問いがある。
「どこを定点で見るか(売り場・画面・現場の、どの一点に張り付くか)」「何を行動の単位とするか(手に取る・戻す・比較する・離脱する、のどれを数えるか)」
「いつ見るか(顧客が無防備になる時間帯はいつか)」
「何を記録するか(言葉ではなく、動作・順序・所要時間を残す)」
「どう解釈を縛るか(見たい結論に都合よく解釈しないルールをどう作るか)」
——この5つだ。

特に最後の「解釈を縛る」が肝になる。人は、観察ですら、自分の見たいものを見てしまう。だから「3人以上が同じ動きをするまで仮説にしない」といった、解釈に歯止めをかけるルールを、観察の前に決めておく。観察は、見る前の設計で、9割が決まる。

2. 財布とカレンダーの痕跡を追う、実務手順

「すでに金が動いている場所」と「すでに時間が溶けている場所」を特定する。ここに、市場の本心が露出している。

金の痕跡は、3つの場所から読む。競合がどの機能に追加課金しているか(課金されているものは、市場が金を払うと証明した価値だ)。顧客が何を自前で内製しているか(金を払ってでも解決したいのに、買える商品がない領域だ)。どんな代替品で間に合わせているか(不便を金で我慢している場所に、需要が眠っている)。

時間の痕跡は、「顧客がどの作業に残業を溶かしているか」を見る。人が時間を奪われて困っている作業は、口では「まあ慣れてるので」と言う。だが、現に毎晩それで残っている。言葉は「慣れた」と言い、行動は「困っている」と叫んでいる。信じるのは、後者だ。

「不満を聞く」のではなく「我慢の痕跡を探す」。市場は、自分が我慢していることに、たいてい気づいていない。気づいていないから、聞いても出てこない。だが、行動には、必ず滲み出ている。

3. 問いを立てずに当てる「逆引きリサーチ」

仮説を市場にぶつけて検証するのではない。すでに起きている事実から、仮説を逆算する。順序を、逆にする。

普通のリサーチは「仮説→検証」の順で進む。だが、この順序だと、最初に立てた仮説の檻から出られない。逆引きリサーチは違う。まず「すでに市場で起きている、説明のつかない事実」を集める。なぜか伸びている商品、なぜか廃れない古い手法、なぜか特定の層だけが熱狂しているサービス——この「なぜか」を、5つ以上集める。

そして、その「なぜか」をすべて同時に説明できる、ひとつの仮説を探す。事実が先、仮説が後。この順序なら、自分の想定を超えた仮説が出てくる。なぜなら、説明すべき事実が、自分の想定の外から来ているからだ。市場に問わず、市場で起きたことだけを、説明しにいく。

4. 顧問現場で外した失敗と、そこからの学習

正直に書く。わたし自身、何度も「聞いて外した」。冒頭の食品事業だけではない。

あるサービス事業で、ヒアリングで「この機能があれば必ず使う」と全員が答えた機能を、半年かけて作った。リリース後の利用率は、ひと桁パーセントだった。「使う」と答えた人たちは、本気でそう思っていた。ただ、実際に使う場面が、彼らの生活の中に存在しなかっただけだ。意図は本物で、行動が伴わなかった。

この失敗から学んだのは、ひとつだけだ。「使いますか」と未来を聞くな。「先月、似たことをしましたか」と過去を聞け。未来の意志は嘘になる。過去の行動は、嘘にならない。聞くなら、未来ではなく、過去を聞く。これだけで、ヒアリングの精度は別物になる。

「やりますか」と聞くと、人は理想の自分で答える。「先月やりましたか」と聞くと、現実の自分で答える。同じヒアリングでも、時制をひとつ変えるだけで、嘘が本心に変わる。


市場に質問せず、市場を見る

ここまでの4つを貫く原則は、ひとつだ。市場に「これからどうしますか」と問うのをやめ、市場が「これまでどうしてきたか」を見る。

聞くことが悪いのではない。聞いて得た「言葉」を、行動の証拠より上に置くことが、危ういのだ。言葉は仮説の種にはなる。だが、検証の証拠にはならない。種は聞いてもいい。だが、答え合わせは、必ず行動の痕跡でやる。順序と役割を、混同しないことだ。

市場は、聞かれると嘘をつく。観察されると、本当のことを語る。だから、優れた経営者は、市場に質問しない。市場を、見る。問いを向けるのをやめた瞬間に、市場は、ようやく本当の顔を見せ始める。

新規事業の成否は、調査の精度では決まらない。「聞く」と「見る」のどちらを信じたか、で決まる。声の大きいデータより、小さくても確かな痕跡を選べる人が、最後に市場を当てる。市場の声を聞くのをやめたとき、はじめて市場が見え始める——この逆説を引き受けられる経営者だけが、誰も見ていなかった需要を、先に掴む。


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