「その死にあずかるもの」ローマ書6章7章~ちょびっと聖書 a little Bible
12/15(木)
<気づき>
ローマ書6章
・4わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。
・ 11このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。
・13また、あなたがたの五体を不義のための道具として罪に任せてはなりません。かえって、自分自身を死者の中から生き返った者として神に献げ、また、五体を義のための道具として神に献げなさい。 14なぜなら、罪は、もはや、あなたがたを支配することはないからです。あなたがたは律法の下ではなく、恵みの下にいるのです。
私たちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかる者となりました。これは、今まで縛られていた罪に対して死に、キリストの命のために生きることを意味します。死んだ者は律法の下ではなく、恵みの下にいるのです。
ローマ書7章
・4ところで、兄弟たち、あなたがたも、キリストの体に結ばれて、律法に対しては死んだ者となっています。それは、あなたがたが、他の方、つまり、死者の中から復活させられた方のものとなり、こうして、わたしたちが神に対して実を結ぶようになるためなのです。
・6しかし今は、わたしたちは、自分を縛っていた律法に対して死んだ者となり、律法から解放されています。その結果、文字に従う古い生き方ではなく、“霊”に従う新しい生き方で仕えるようになっているのです。
・13それでは、善いものがわたしにとって死をもたらすものとなったのだろうか。決してそうではない。実は、罪がその正体を現すために、善いものを通してわたしに死をもたらしたのです。このようにして、罪は限りなく邪悪なものであることが、掟を通して示されたのでした。
律法が悪いものではなく、律法によって人間の心の中に巣食っていた罪があぶりだされます。人間の心には神の律法を喜ぶ心と、もう一つ罪の性質の心が一緒に存在するという状態です。哀れな存在としての人間であることをパウロは、語っています。
<祈り>
今日の聖書箇所からは、洗礼によって私たちはイエス様と共に死に、イエス様と共に生きていることを確認しました。死は私たちを罪の奴隷から解放し、新しく恵みの元に生きるというとんでもない恵みをあたえてくださいました。キリスト者を天国人と呼ぶこともできると思いますが、もはや律法の元ではなく、キリストの恵みの中に生きられるという存在に代えられました。この世の価値観に左右されることなく、御国のために生きられることを感謝します。教育や学びではなく、死という断絶によって私たちは古い自分から断絶され、イエスキリストの目的に接ぎ木されたことを感謝します。
~ちょびっと聖書 a little Bible
※「ちょびっと聖書」は、毎日2章読みながら気づきと疑問を書き進めております。
※本日は、目を止めていただきありがとうございます。聖書の言葉は人生に大きな変革を起こす種です。また、お会いできると幸いです。
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