【ASDの子育て】なぜ癇癪に嫌悪感を抱くのか考えてみた
発達特性のある我が家の子どもたちを育てているなかで難儀するのは癇癪への対応です。
言葉の遅いASDのばっけ君(5歳)の癇癪はルーティンから外れることなので、ルーティンをしっかり守るのと、何か新しい物事をやるときはルーティン化する前提で組めば対応ができます。問題なのはAPDのうるいちゃん(9歳)の癇癪です。学校や家でなにか嫌なことがあったりしたとき、突発的に自分の要望を出し、それが通らないとひっくり返って泣くくらいの癇癪になります。
このうるいちゃんへの癇癪への対応が非常に面倒で辟易としているわけですが……。なぜ私がここまで子どもへの癇癪に嫌悪感を抱くのか改めて考えてみました。
それは私の母の存在です。娘の癇癪に母の影を感じるから嫌なのです。
母は私が幼少期から不機嫌で私や家族をコントロールするのが当たり前でした。天候や気温の変化などに弱くすぐ「暑い」「寒い」などと不平を漏らします。食事の準備こそしてくれましたが、面倒くさがりで怠惰なので母が使った後の台所はグチャグチャです。私は幼少期から興味もあったかと思いますが、皿洗いや米研ぎを覚えます。すると、丸っとそれが全部私の担当の仕事になりました。しかも、私が皿を洗い始めるとこれみよがしに「あれもこれも」とコンロの上に置いてあった鍋などをどんどん追加でシンクに入れていきます。私が不満げな顔を見せると「どうせ洗うんだから、ついででいいじゃない」と怒ってきます。
冷蔵庫の中もグチャグチャ。食事のちょっと余ったおかずをタッパーに入れずに皿のままラップをかけてしまっています。その割に吝嗇家でもったいない精神もあるので、お刺身に付いてくる小分けのわさびやガリがビニール袋1袋分くらい出てきたり、使いかけの調味料でドアがパンパンになっていたりします。そして、冷蔵庫の奥からは食べ忘れたりして駄目になった食材がよく出てきます……。冷蔵庫が食材でパンパンになるとセンサーが開いていると感知せずに冷蔵庫内の電気がつかなかったりします。これを「もうちょっと片付けようよ……」と言っても「だってできない~」と茶化されて終わります。
仕方なしに私が食事を作る際には冷蔵庫のあるものから献立を組み立てるのですが……。そこにも割って入ってきて「コレもあるよ」「アレもあるよ」と言って使って欲しい食材を出してきます。ほぼ料理を作り終わっている状況でも、さも「作れ!」と言わんばかりに出してくる時もあります。「今日のメインとは方向性が変わるから」と断ると「せっかく私が出してやったのに」という態度でへそを曲げます。
母はそうやって自己中心的に傍若無人に振る舞い、精神的にコントールして私や家族を動かしていました。今思うと母のわがままに単に付き合わされていただけだったなと思います。母にとって私は都合よく動く労働力に過ぎなかったわけです。思春期になった頃には私もキレ返していたりしたのですが、対応は変わらないのでもう母に何かを期待するのは諦めました。
娘の癇癪をみていると、家族や近しい人たちへ自分の不機嫌をぶつけても問題ないと覚えてしまうことを危惧しています。バウンダリーが希薄にならないようにするために。娘の癇癪には対応してあげつつも淡々とやるしかないかなと思っています。
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