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啖呵を背負った女 ――佐藤愛子と、払わなくてもよかった借金

 日本を代表する小説家、佐藤愛子さんの死去が報じられました。享年102歳。まことに長い、そして騒々しくも見事な人生でした。

(もうすぐ98歳の頃の佐藤愛子さん)


 佐藤さんといえば、男運が悪かった人、という言われ方をよくされます。

 確かに、そう言いたくなる事情はあります。二度目の夫だった作家の田畑麦彦は事業に手を出し、会社を倒産させ、巨額の借金をつくりました。佐藤さんはその後始末に追われ、借金取りに向き合い、原稿を書き、働き、返済に走り続けることになります。

 その顛末をもとにした小説が「戦いすんで日が暮れて」であり、佐藤さんはこの作品で直木賞を受けました。

 しかし「変な男にひっかかったが、それを文学の肥やしにした」とまとめてしまうと、どうにも話が小さくなります。あまりに分かりやすすぎるのです。

 人生の不幸が名作を生んだ。苦労が作家を鍛えた。そういう話は、きれいではありますが、どこか予定調和です。佐藤愛子という人の面白さは、そんな優等生めいた教訓には収まりません。

 むしろ私が注目したいのは、彼女が本来なら背負わずに済んだはずの借金を、言葉の応酬の中で背負い込んでしまったらしい、という点です。

 佐藤さん自身は後年、当時の心理を振り返って、「自分でも理解できない」と語っています。借金取りが面倒だった。金のことで大の男が顔色を変えるな、払えばいいんだろう、払えば、という気持ちだった。もちろん、払える見込みなどなかった。

 それなのに、夫の借金に裏書きをし、3000万円以上(現在価値だと3億円強?)を肩代わりすることになったといいます。

 ここに、妙な迫力があります。

 冷静に考えれば、これは法律問題です。現代の良識ある人なら、まず弁護士に相談するでしょう。「それは私の債務ではありません」「以後は代理人を通してください」「保証も裏書きもしません」。

 この三行で、人生の相当部分は守れます。
 
 令和の私たちは、少なくともその程度の知恵は持っています。紙に名前を書く前に検索します。検索しても不安なら、専門家に聞きます。意地で手形に向かうなど、危険物にマッチを近づけるようなものです。

 ところが佐藤愛子は、そうしませんでした。
 
 相手の言葉に腹を立てたのかもしれません。逃げるのか、払えないのか、女だから無理なのか、といった空気があったのかもしれません。

 あるいは元夫のだらしなさに対する怒りが、債権者への怒りと混ざり合ったのかもしれません。

 いずれにせよ、彼女の内部で借金は金銭問題ではなくなっていきます。それはいつのまにか、面子の問題、啖呵の問題、人間として引き下がれるかどうかの問題に変わっていったのでしょう。

 ここが怖いところです。言葉の上では勝ったつもりでも、紙の上では負けている。啖呵を切った瞬間、法律上の責任が発生する。口喧嘩の熱が冷めたあとも、債務だけは冷めません。むしろ利息をつけて育っていきます。

 佐藤愛子は、借金を背負ったというより、啖呵を背負ったのではないでしょうか。

 これは作家にとって、皮肉な事件です。佐藤さんは言葉で身を立てた人でした。怒り、皮肉、悪態、笑い、居直り。それらを文章に変える腕力において、彼女はほとんど怪物的でした。
 
 ところが、その言葉の力が、この時だけは自分を守る盾ではなく、自分を追い込む罠になった。売り言葉に買い言葉。普通なら「言い過ぎました」で済む場面が、手形や裏書きの世界では済まない。

 言葉がそのまま借金になる。まことに恐ろしい話です。

 もちろん、時代の違いもあります。1960年代後半の日本には、いまのように債務整理や自己破産を生活再建の手段として考える空気は薄かったでしょう。

 女が一人で債権者に向き合うこと自体、いまよりずっと荒っぽく、屈辱的でもあったはずです。

 だからこそ、佐藤さんは理屈より先に怒った。相談する前に腹を立てた。損得勘定ではなく、啖呵で人生を決めてしまった。

 良識ある現代人なら、絶対にこうはしませんし、絶対してはいけません。保証人にも連帯保証人にもならず、手形の裏書きなどもってのほかです。

 人生において、いちばん高くつく言葉は「払えばいいんでしょう」です。これは名文句ではありません。金融事故の入口です。

 それでも、佐藤愛子という作家を考えるうえで、この無茶は避けて通れません。彼女は愚かだった、というだけではありません。彼女は、自分の短気も、意地も、判断ミスも、怒りも、あとから全部ひっつかんで文章にしました。

 借金取りに追われた女が、最後にはその借金取りも元夫も自分自身の失敗も、まるごと文学の登場人物にしてしまったのです。

 だから「戦いすんで日が暮れて」は、単なる苦労話ではありません。男運の悪い女の話でもありません。言葉で生きる作家が、言葉に煽られて窮地に落ち、さらにその窮地を言葉で取り返した物語です。

 戦いすんで日が暮れた。けれど、その夕暮れには、勝利の凱歌だけが響いていたわけではありません。そこには、払わなくてもよかった借金の重みがあり、切らなくてもよかった啖呵の余韻がありました。

 佐藤愛子さんの人生は、見習うには危険すぎます。しかし、読むにはたまらなく面白いのです。


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