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「生類憐みの令」は、天下の悪法なのか?

歴史上の評価ほど、あてにならないものはない。ある時代には「悪」とされたものが、別の時代には「善」と評価されることがある。逆もまた然り。評価とは、絶対的なものではなく、常にその時代の価値観や前提条件に依存している。

たとえば、徳川綱吉による「生類憐みの令」である。1685年に発布されたこの法令は、当時から批判も多く「犬公方」「天下の悪法」と批判され、綱吉のことを「お犬様を優遇した愚かな将軍」と揶揄する声もあった。しかし近年では、動物福祉の観点から先進的な施策として再評価が進んでいる。動物の命を守るという思想は、現代の倫理観と重なる部分が多いからだ。

さらに、この法令は単なる理想論ではなく、公衆衛生の向上にも一定の役割を果たしたと指摘されている。野犬の管理や殺生の抑制は、結果的に社会秩序の安定にも寄与した可能性がある。つまり、かつては「愚策」とされたものが、視点を変えれば合理性や意義を持つ施策として見えてくるのである。

この事実が示しているのは、「物事の評価は固定されていない」ということだ。私たちはつい、「悪名高い」「愚行だ」といったラベルをそのまま受け取りがちである。しかし、その評価は本当に妥当なのか。その背後にある文脈や意図を見落としていないか。別の角度から見たとき、まったく異なる意味や価値が浮かび上がることはないか。

モノの見方とは、ひとつの結論に飛びつく力ではなく、複数の視点を往復する力である。評価を疑い、前提を問い直し、別の角度からも捉えてみる。そのプロセスを経てはじめて、物事は立体的に見えてくる。自分なりに歴史を再評価してみることも、モノの見方を鍛える格好のトレーニングとなる。


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