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短編小説「悲しみの風景」

 将大しょうたはすでに何度か通りすぎた居酒屋の入り口で、ようやく足を止めると、煙草を一服し、深呼吸をしてドアを開けた。
「おーい、将大!」
 幹事の原田が手を振った。二十年ぶりの同窓会。将大は手を上げて応えた。
「やっと来たか。東京はどうだ」
 将大は口角を上げて笑みを作った。東京での暮らしは六年前に終わっている。今は地方で契約社員として雑務をこなす日々。話せるはずもない。
 「まあな」と濁し、空いた席に座った。
 「久しぶり、将大くん」
 向かいに座った女性が微笑んだ。
 「鈴花すずか、久しぶり」
 自然と声が弾んだ。小学校の時から密かに好きだった鈴花は、短い髪が似合う大人の女性になっていた。彼女は小学校教師で、今は育休中だという。彼女の左手に輝く指輪に将大の目が吸い寄せられる。
 「去年結婚したの」
 少し早く再会していれば、違う未来もあったかもしれない。そんな考えが頭をよぎったが、すぐさま打ち消すように明るく「おめでとう」と言い、将大はビールに口をつけた。
「将大くんの話は聞いてたよ」と鈴花。
「主人がね、よく将大くんのこと話すの。小学校の時からの憧れだって」
「誰だよ、お前の旦那」
つとむくんだよ」
 将大はむせそうになるのをなんとか堪え、咳き込みながら口元を拭った。
「……べ、勉? あいつが?」
「そう、あの勉くん。将大くんのこと、すごく尊敬してるのよ」
 記憶の中で勉の顔が浮かぶ。運動が苦手で、いつも一人で本を読んでいた。将大はガリベンと呼んでからかっていた。
 今回同窓会に来たのは、そんな勉の惨めな姿を見るためだった。
「ガリベンは今何やってんだよ」
 鈴花の表情が曇った。しまったと思い将大は慌てて手を振った。
「い、いや、ごめん。昔の呼び方がつい……」
 謝ると、鈴花はなんだか懐かしいねと苦笑いした。
「IT関係の仕事。今は独立して会社を持ってるの」
 将大は無意識に自分の安物の時計を隠した。月末まであと一万円を切っている財布の中身が頭をよぎる。
「将大くんのおかげなんだって」
「はぁ?」
「勉ね、小学校の時、将大くんに憧れてたの。運動も勉強もできて、みんなを笑わせて」
 そんな記憶はない。むしろ自分は勉をからかい、……いじめに近いことをしていた。
 その時、店のドアが開いた。
「ごめん、遅くなって」
 細身の男性が入ってきた。仕立ての良いスーツに短髪、柔和な笑みを浮かべている。
「おお、勉!」と声が上がる。将大は固まった。勉はこちらを見つけると手を振って近づいてきた。
「将大くん! 来てくれたんだ」
「……おう」
「何年ぶりだろう。中学卒業以来かな」
 勉は将大の隣に座った。かつての面影はあるが、全く別人のようだ。自信に満ちた声と仕草、爽やかな笑顔。対して自分は、弛んだ腹に伸ばした髪、安物のジャケット。
「東京で活躍してるって聞いたよ」
「いや、もう東京には……」
 勉の高級そうな時計が目に入った。何十万もする代物だろう。
「俺のことよりさ。勉こそ、立派になったじゃん」
「将大くんのおかげだよ。将大くんがいなかったら、今の僕はなかったと思う」
 将大は混乱した。
「何言ってんだよ。別に何もしてねぇだろ」
「してくれたよ」勉の瞳が真剣に光る。
「逆上がり。出来なかった時、放課後付き合ってくれた」
 違う、それは勉のできない姿を見て、馬鹿にして笑っていただけだ。
「最初から諦めんなよって言ってくれた。僕、あの時から考えが変わったんだ」
 勉は熱っぽく語った。
「将大くんは勉強もズルするなって。答えを写せばその時はよくても、あとから後悔するって」
 それも勉のノートを途中式まで写すための方便だった。
「怖い先輩に絡まれた時も、自分が囮になって逃がしてくれた」
 むしろ俺が真っ先に逃げた。それを見た先輩にただ追いかけられたのだ。
「将大くんがいなかったら、今の僕はなかった。本当に感謝してる」
 嘘だ、全部でたらめだ。そんなはずない。将大はたまらなくなった。
「ちょっと、トイレ」
 将大はそう言って席を立つと、勉の肩を軽く叩いてトイレへと向かった。冷水で顔を洗う。鏡の中の男は惨めで疲れ切っていた。
「お前はいつも言い訳ばかりだな」
 会社を辞めた時の上司の言葉が頭の中に響いている。
 もう席に戻る気力はなかった。廊下の壁に背を付け天を仰ぐと、宴会場の声が漏れ聞こえてきた。
「本当に将大くんは凄かったよ。僕のヒーローなんだ。あの時の言葉がなかったら、今の会社も立ち上げてなかった」
 勉の声と鈴花の笑い声に、将大は耳を塞ぎたくなった。やめろ。俺にそんな価値なんてない。俺はずっとあの頃の勉を馬鹿にしていた。今日もそうするつもりだった。これ以上二人の前に姿を晒すのが恐ろしくなった。
 将大は出入り口に向かい、会費が入った封筒を「急用ができたので、幹事に渡してください」と店員に押し付けた。
 外に出ると冷たい雨が降っていた。
 窓からこぼれるオレンジの明かりと笑い声を背に、将大は戻ることもできず、暗闇の中、頬を濡らし歩き始めた。

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花澤薫様主催の「タイトルから書く文芸賞(悲しみの風景)」の企画に参加させていただきました。ありがとうございます。


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