サンイチイチの思い出コレクション#04 『かけまくもかしこみかしこみもまをす』
サンイチイチの思い出コレクション #04
OOHIRAさん(当時43歳・ライター&ラジオDJ)の記憶
その日は金曜日で、夕方からラジオ番組のある日で、日立市内の自宅マンションにいました。
遅めのお昼ごはんを食べて茶碗を洗っていたら揺れはじまって、これはやばいなって。
地震で揺れてる時は、それほど恐怖感はなかったです。けっこう落ち着いていて、台所の流しとは反対側の壁に寄せてある本棚が倒れてくるかもしれないと思って押さえていました。
そうしたら棚の上に置いた水槽の水がタッパンタッパンと暴れはじめて。これが落ちたら大惨事だと思ってそっちを押さえにいったんです。
その時に思わず口をついてでた言葉が「かけまくもかしこみかしこみもまをす」という祓詞(はらいことば)で、「しずまれしずまれい!」という気持ちでした。
そうこうしているうちに水が出なくなり、電気も止まりました。マンションだから電気が止まってしまうと水が上がってこないんですよ。
日立市は県内の他の地域と比べて電気の復旧が遅かったんですよね。なおかつ私のところは隣が日立製作所の工場で、宅地ではないエリアだったので、市内でも一番最後だったんです。
洗いものの途中になっていたお茶碗は何日もそのまんま、ずっとそこにありました。
あとからでいいと思わずに、食べたらすぐ洗っておけばよかったなと思って。
なので私が震災から得た教訓は、「あとでと思ったあとでは二度と来ない」です。
後に学生に教える仕事にも就くようになるんですが、これは授業でも必ず言っています。
ひと息ついた辺りで、これはちょっとやばいなと。
ラジオの仕事まではまだ時間があるけれど、なにかしらやらなきゃならないことがあるだろうと思い、歩いて局へ行くことにしました。
外へ出たら誰かがラジオはもう止まってるよと教えてくれたのですが、とにかく行ってみることに。
ラジオ局の入っているビルには3時半ぐらいに着いたんですが、建物のなかは停電で真っ暗。しばらくここで待機と言われました。
当時の局長が市議会議員だったこともあり、町が今なにをしようとしているかなどの情報が少しは入ってきていたので、「なんか避難所を設けたっぽいよ」とか、「全域電気が止まってるね」、「水道が止まっているね」と、待機しながら個人のアカウントでツイートをしていました。
そうしたら津波が来るという情報が入ってきて。
その時外に出てみたんですけど、陸から海の方に向かって風がビューッて吹いていて、これは津波にもっていかれてる風なのかなと思ったりして。真偽のほどはわかりませんが。
携帯のバッテリーがなくなると思い、近くのコンビニでモバイル充電用の電池を買いました。
その時にはもう当然レジが止まっていましたから、お店の人は手計算で対応していました。
ラジオの受け持ちは5時からでしたが、今日は放送は無理だということで、帰宅することになりました。
辺りはもう真っ暗。5時過ぎていたと思います。
それまで日立市から入ってくる情報をずっとツイートしていたんですが、いつの間にかフォロワーさんが私のアカウントをフォローするといろんな情報をもらえますよ、というようなことを言われはじめていて。
「私も一被災者として現状を共有しているだけなので、公式の情報として拡散しないでください」と発信したのを覚えています。
そうして歩いているうちに父親は大丈夫かなと思いましたが、デイサービスに出かけていてまだ帰る時間ではなかったので、逆にホームに居てくれたほうが心配ないと考えて帰宅しました。
マンションの前には住人がいて、なんで外にいるのかなと思ったら、中に入れないんですって。
その日私は普通のシリンダーキーで外に出たんです。でもカードキーだけで外に出た人たちは停電で入れなくて。
お隣さんに入れてもらって、ベランダの隔壁をぶち抜いて自分の部屋に入るって人もいました。
家に着いたら主人が先に帰っていました。
ツイートのことを話したら「すっげーうれしそうにやってるね」と言われて「はぁー?」と思いましたが、なんで私うれしそうだったんだろう。。
人の役に立ててるって感じがしたのかな。
夜は真っ暗な中で冷蔵庫にあったものを食べて。テレビも見られなかったので、その夜は津波のことなどなにも知らずによく寝ました。
月が明るかった。
地上に光がないからすごく明るくて。
隣が工場で、非常用電源のライトがずっとついてたので、夜になっても少しは明るかったんです。ちょっとオレンジっぽいような、そういうのが何本も立っていて。
その灯りが、初日だったか次の日だったか、夜中に突然消えたんです。
その時が一番怖かった。
その時が一番「ああどうしよう」と思ったかな。
マンションで許可されている暖房器具は電気のみで、灯油を使うものはNGでした。
まだ寒い時期だったので、住民はみんな服を着て寝てましたね。
大震災の直後は特に、また地震がきたらすぐに出られるようにと、私はコートを着て寝てました。
日立駅前のイトーヨーカ堂ではスプリンクラーが作動して店内が水浸しになって。何日目だったか記憶が定かでないですが、濡れなかったものを露天で販売していました。そういうのを買ったりしてたのかな。
何日かして自衛隊が水を配ってくれて。私は市役所にもらいに行きました。
日立市は山にへばりつくように住宅があるので、そういうところの人たちが水をもらいに下りていくのはたいへんなので、配っていたようです。
配りはじめの頃、なかには我先にという感じの方もいたようですが、数日して私が水に並んだときにはすごくほのぼのとした雰囲気でした。
当時は外出するときにラジオを持ち歩いていたんです。
水をもらいに並んでる時、どこかのエリアで水道が復旧したと流れたので、「どこそこに水が流れるってよ」と言ったら、その場にいる人から「わーっ!」て拍手が上がって。
トイレ用の水は抜かずにおいたお風呂の水があったので困らなかったです。
あれ以来、お風呂の水は次に入る直前まで抜かなくなりました。
自分のラジオ番組が再開したのは、だいぶあとになってからです。
私は全然そういうのなかったんですけど、震災関連の情報を伝える際に、パーソナリティさんによっては感極まって泣いてしまうこともあって。
そういうのはリスナーさんが不安になるから明るくいこうと言われました。
局内ではアニメといえばOOHIRAみたいな認識を持たれていたので、「アンパンマンとか忍たま乱太郎とか、アニメの音源持ってないか」と言われて。
持っていなかったので自分で買って、明るい曲をずいぶん流しました。
あとこれは2011年の震災とは直接関係ないんですが、夫の実家を片付けた時のことです。
義父が亡くなって、夫の実家を私が片付けることになりました。そうしたら義母が準備していた非常持出袋が出てきて。
先に亡くなっていたお義母さんは、以前からちゃんと防災の準備をこころがけている人だったんですね。
その袋の中から「ココナッツサブレ」というお菓子が出てきたんですが、なんと、袋の中身がジャバジャバの液状になっていたんです!
長年かけて空気中の湿気が中に入った?でも外には出ていかない?そんな特性がある包装フィルムなんでしょうか。
いったい何年ものなのかわかりませんが、とにかく「ココナッツサブレ」が水になっていて、「うわぁ!こわぁ!」っていうのがありました。
だからね、防災用品は日頃からちゃんとローリングストックして備えようねって話し。
