思い出(ツイキャスからの、SNS黎明期、Ustreamもあった、配信で、あの芸能人との出会)
何から話したらいいのか……
いろいろありすぎる。
もう、16年も前の事だし、正確には思い出せない。
でも、私の人生の、分岐点では、あったね。
フリーランスを、13年もやって、リーマンショックなんかの不景気で、収入もなくなり、元嫁に、家を追い出され、独りになり、再就職するも、あっち系の会社だったので、嫌気がさして辞めて。てのが、大まかな、コレまでだね。
Perfumeは、好きだった、2002年の、インディーズデビューだから、メジャデビューした、2005年ごろからだね。私が気になり始めたのは、チョコレートディスコからか。だから、2007年ごろか、まあ、その辺の時期は、私が、元嫁から追い出されるか、どうかの、頃だね。
元嫁のマンション家で、仕事しながら、大音量で、流してたな(w。
なんだろ、好きになった。Perfume の デビューストーリーも好きな理由だったな。若い女の子が、広島から、のし上がって行くストーリー。なぜだか好きになった。もう、20年も経つんだね。彼女たちも、大人になって、永久凍結したね。
さて、ツイキャスなんだけど、もう、きわきわまで、追い詰められて、やけっぱちになって、始めた、ツイキャス。
SNSの、黎明期、なんだか感じる事が、あったんだね。配信とか、Twitterとか、なんだか、時代が変わってく気がした。
ツイキャスは、配信もしたけど、観るとも多かった、いろいろな人がいたよ。各個人が、発信しはじめた。
名前が思い出せない。
各自の、悩み事や、今の状況とか想いとか、いろいろ。
音楽を流しながら、FMラジオみたいな、ナレーション配信の女の子。とか、薬剤師の大学入学にむけて、勉強してる女の子。家が、薬局って言ってたな、結局彼女は、試験に落ちて、入学失敗したんだけどね。
常連さんとかも居て、私が、配信してるときは、いつも来てくれた。
仕事の風景を、配信してた。たまに、個人的な意見も配信した。何を言ってたのかな?思い出せないわ。
夜中、から、朝までの配信。何十人も、観ててくれた。あの頃は、すべてが、空しくて。何やってもチカラが入らなかった。ツイキャスでの配信が、私の心を、救ってくれたのかも知れない。
コインランドリーに行った時に、待ち時間で配信したり、スクーターに乗りながら配信したり。楽しかった。
そんな事やってると、タイムラインに、観たことある人が来た。『伊藤麻衣子』さん。
彼女は、ガジェット好きで、有名だった。最近始まった、ツイキャスや、Twitterに、興味があったんだと思う。
当時は、そんなに配信してる人達多くなかった。今とは比べものにならないけど、個性的な人達多かったわ。
私は、配信のなかで、たぶん、自分の心境とか、いろいろ話してたんだと思う。
○のうと、思ってたって事も、話したんだと思う。
全部は、話きれない、記憶に残ってることだけ、話そうと思う。
同時接続で、配信を観に来てくれる人が、増えた。60人くらい、Twitterのフォロワーは、1,000人くらい居たかな?
多いときは、配信を観に来てくれた人、100人越えてた。
仕事の風景を、配信してたので、私が、何をやってる人なのか、すぐにわかったんだね。
結構、からんでくる人も多かった。
ケンカにも良くなったよ。訳わからないけど(w。
SNSつきもののケンカだね(w。
『伊藤麻衣子』さんの、Twitterの、アイコンを、作ってあげる事になった。伊藤麻衣子さんの、顔をデザインして、イラスト起こして、アイコンを作った。私らしさを、意識して、作ったアイコン。一時使ってくれたけど、その後どうなったろ?
私は、意識してなかったけど、かなり変わった人って、感じで、観られてたんだね。
iPhoneの裏で、いろんな、物語もあった。
ある女の子、結婚相手を探して、大阪に来るって配信をしてた。で、いろいろな人を、巡って。私の所にも来るっていってた。ま、面白いこと聞けるかもって、スケベ心もあったのね、住所を教えて、私の所に、来た。1階のインド料理店で、カレーを、ごちそうして。いろいろと、話を聞いた。どんな男達だったのかとか。結局どうなったのか、その後の配信で彼女は、病院に居た。病院から配信してた。なんでも怪我か何かしたらしい。結婚相手探しに、独りで、大阪にクルマで来るなんて、今では、怖くて出来ないと思うよ。
SNSって、すごい広がりを、みせてた。
Ustreamも黎明期。配信番組もあった。ツイキャスの独擅場は、許さない感じだったね。で、三上さんて、IT関係のジャーナリストやってる感じの、三人組が、ツイートジョッキーって番組もやり始めた。
今、ジェミニさんに聞いたら。「津田 大介」さんも居たのね。津田さんは、日本にTwitterを持ち込んだ、第一人者ってふれこみだった。今の津田さんは、お勧めできないけど、当時はすごい人だった。また、後で登場すると思う。
『平野友康』って人が、デジタルステージって会社で、「BiND」って、ホームページ用のソフトウエアを作って。SNSで、売り始めた。
すごいうねりみたいなモノが、インターネットを、SNSが、変えようとしてたね。
【つづく】
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ただいま、無職です。ゴメンね。ありがとうございます。