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私とno+e


■私の読書事情


私が本の虜になったきっかけは、星新一さんと筒井康隆さんでした。なんて面白いんだろう。
「くだらないこと正義」の元凶の方々です。

そこから手に取って読んだのは、主に推理小説と海外文学でした。
江戸川乱歩、エラリークイーン、パタリロ(え?推理小説ですよ?)、アガサクリスティー、ポワロポワロポワロ。性格もポワロになっていきました。
小説ではないですが、『刑事コロンボ』を愛していて、「うちのかみさん」になりたい人生でした。

海外文学について語るとドストエフスキーしますので割愛しますが、今でもこんな感じの読書事情です。

けっして読まないジャンルがありました。エッセイと日記、随筆です。
それと、日本文学もあまり手に取りませんでした。

■私にとって、書くこととは

こんな読書ばかりしてきた私にとって、note向きの記事を書くことは、とても難しいのです。

読むのは好きです。それも海外文学ばかり。しかも普段は数字遊びばかりしている。そんな私に書けるわけがないのです。特に、エッセイと、日記は。
語彙力もない。国語はいつも5段階評価の2でした。

エッセイを書くクリエーターの方々のプロフを見ると「書くのが大好きです」とたくさんありますが、
私にとって、書くことは、泳げないのに足のつかないプールで泳ぐようなもので、難しく苦しいのです。


■苦しいのに、なぜ、書くのか

書き始めたきっかけについては、シャーロックホームズが私の服装から推理してくれると思うので、ここでは省きます。

noteを始めてから、それまで読んだことのなかった、日記やエッセイのジャンルを読むようになりました。

面白い、とにかく面白い。なぜ今まで読まなかったのか。人生の半分、いや、物語を読めるようになってからの換算で
(54-8)÷54×100=約85%は損をしていた気がします。

なんて洗練された言い回しで、文章を書くんだろう。
それらの文章に、長年かけて培った、匠の職人技を感じて、私はすっかり虜になってしまいました。

私がこの感覚を説明するうえで、どうしても思い出してしまうのが、モームの『月と六ペンス』です。私の大好きな本のひとつです。
絵描きのチャールズストリックランドの絵を見て、主人公が言う言葉があります。

「とにかく君が、何かを言おうとしているのはわかる。だが、それにしてもだよ、その表現方法として絵を選んだということは、果たして賢明だったろうかな?」
(中略)
何か彼(チャールズストリックランド)をしっかり捉えている力からの解放を求めて、必死にもがいている彼の姿だったがーー

モーム「月と六ペンス」より

エッセイや日記に取り組んでいる理由は、この一節にある気がします。

理論のスッキリ感でなく、創作のワクワク感。
見つけた、なんでもないものが、じつは珠玉の1点モノであることを表現したい、伝えたい。しかも、なぜか自分の畑ではない場所で。まるで陸上動物が水中に憧れるように。

私も書きたい、けれど、書くのは苦痛。
それでも、日々の生活のなかに文章のネタを見つけることが、いつの間にか中心になっていた。気の利いた言い回しを考えることに夢中になってしまった。
そして、うまく書けたかもしれないと思えたときの高揚と、それを読まれる期待。

おそらく私は、もうこれに抗えないのだと思います。



◼️これから


チャールズストリックランドは結局天才でしたが、私は……くすん。

最初は、うまい文章を書こうとして飾り立ててもみました。素敵なエッセイや日記を読みあさっては、羨ましい反面落ち込んでいる自分がいました。

だけど、
もうやめたやめた!やーめた!
私にはできない。苦しくなる。

でも、書かずにはいられない。



だから



私はこれからも、

駄文を書く!!

だっふんだ!!!




「書きたい」の4文字を1550字余りで伝えてみました。

では、よい週末を!



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