大国同士の思惑が絡み合って~
米軍によるマドゥロ大統領拘束を巡って、中国でもこの件が盛んに取り上げられているようですね。
論調はおおむねふたつで、ひとつは当然のように米国批判、もうひとつは「この行動は中国にとって有利だ」というやや屈折した評価に分けられますでしょうか。
中国さんが言うには、「米国が主権国家ベネズエラに対してそれをやるのなら、中国が台湾に対して同様の行動を取ってもよいではないか」みたいな考えでして。
微博(ウエボ)など中国系SNSでは、そうした言説が飛び交っているみたいですね。
中国さん、相変わらずの「無理が通れば道理が引っ込む」論ですがw
中国は「正当化材料」を待っていたのかな?とも思います。
仮に中国が、台湾に対する軍事行動を正当化するための材料を探していたのだとすれば、別に今回のベネズエラ案件を待つ必要ってあったんでしょうか。
台湾を巡る緊張は、ここ数年、中国自身が意図的にエスカレートさせてきたものであり、日本における高市「存立」発言への初動の反応を見ても、
一触即発どころか、開戦前夜の空気を生成してきたのは中国側なんですよね。
という事はですよ。中国が「米国の前例」を待って臥薪嘗胆していた、という見立ては成り立ちませんよね。
ベネズエラは、あくまで後付けで利用可能なお気の毒様でした材料に過ぎないのでは…と思うんです。
それに、ベネズエラと台湾って比べるってのにすでに無理があるんですよ。
大体、軍事的な前提条件がまったく違いますから。
米国によるマドゥロ拘束と、仮に人民解放軍が台湾総統(頼清徳)を拘束する事態を並べること自体が無理筋ですよ。
中国では以前から、中国は特殊部隊による総統らを襲撃する「斬首作戦」を企てている、みたいな報道が散見されるが、本気で実行するつもりなら、この手の報道が出ること自体があり得ないと思うんです。
中国が本気で取り組む(であろう)作戦であれば
・民間SNSからの匂わせ情報は徹底的に封殺される
・それができないほど統制が緩いならそもそも作戦は成立しない
・官製アカウントによる「便衣兵的発信」だとすれば、なおさら非合理
※ひとつのメアドからいくつアカウント作れるのかなぁ、微博は?
現状の情報環境は、威嚇、攪乱、国内向けガス抜きの域を出ていませんね。
それに加えて
「米国がやったのだから中国もやっていい」という、いわば「あいこでしょ」論が成立するのは、両者の力量が拮抗している場合に限られちゃうんですよ。
現時点の米中戦力費を、
海空軍力(海兵隊込み)
同盟ネットワーク(G7はおそらく米国寄り)
宇宙・サイバー領域
を総合すれば、依然として米国側が優位なのは明白です。
中国は急速に追い上げてはいますよ。
上海や石家庄当たりの都市部構想建造物の夜景を見ますと。
百万ドルの夜景(香港)どころか百万人民元の夜景ですもん。
だからといって、そのキラキラピカピカっぷりが台湾を舞台に米国と正面衝突する水準に達した判断できる材料には至っていません。だからこそ中国は、全面侵攻ではなく、長期的な圧迫と既成事実化を選んでいるのではないのでしょうか。
ただし、もう一段深読みすると、別の意味で怖いシナリオも浮かび上がります。
それは、今回のベネズエラ騒動が、米中間の暗黙の了解の上に成り立っているのではないか、米中「プロレス」説、という仮説です。
極端に言えば、
ベネズエラ(油田込み)は諦めるから台湾は中国に任せる
という取引が、すでに水面下で成立している可能性なんです。
もしそうなら、
台湾は最終的に失われ
日本の高市政権は「米国という後ろ盾」を失う
ことになります。
もっとも、台湾とベネズエラでは戦略的価値が釣り合わず、この密約が成立する条件は極めて厳しいのが現状。
とは言うものの、可能性がゼロだと断言できるほど、国際政治は単純ではありません。
ここで思い出されるのが、1989年のパナマ侵攻 - ノリエガ拘束とソ連崩壊の記憶 - です。
米国はノリエガ大統領を拘束して米国内の法廷にご招待
その2年後、1991年にソ連は崩壊
この二つの関係性は、どう読むべきでしょうか。
・どうせソ連は崩壊するからノリエガをやった
・ソ連崩壊が視野に入ったことで中米での行動自由度が増した
後者のほうかなって思います。
重要なのは、米国としては瀕死の大国との対峙よりも、この時点で「国家元首を拘束できる」という前例を作ったという事実が重みを増します
マドゥロ拘束はその延長線上にあるのかもしれません。
前例は、誰のためのものでしょうか?
前例は、正義を保証するものではありません。
だが、次の行動を考える者にとって、強力な「言い訳」にはなります。
今回の出来事が、台湾情勢にどこまで影響するかは分かりません。
しかし少なくとも、われわれは「前例が積み上がる瞬間」をリアルタイムで目撃しているのです。
それが、いつか教科書や歴史書の片隅でどんな名前を与えられるのかはまだ分かりません。
それらの書籍が洛陽の紙価を高めるか
本棚の片隅でホコリを被るかは今後の世界情勢次第なのです。
