親が行う教育は顧みて反省して常に進化しているか
私が抱いてる子は、数何前の小学6年時に「サッカーを取ります」と親子で挨拶に来て、ボクシングをやめた子である。
もう16、17歳になってると思う。
辞めた後、遊びに来た事もある。
「サンドバッグ叩いていいよ」と言うと、喜んで叩いていた。
昔から私は子供には礼儀を教え、親御さんには「ボクシングだけが人生じゃない。子供がやりたい道に進ませるべき」と言い続けた。
子供の夢は常に変わる。YANAGIHARAジムにいる間は、礼儀や躾を教える。
その後、他の競技に行っても、他の同じ歳の子よりしっかりした子である方がいいに決まっている。その一心であった。

我ながら感心するが、私はこうした軸が絶対にぶれない。
勿論もっとこうした方がいい、と言う意見は聞く。修正もする。
次に私はお金では動かぬ。これでお金はかなり損をしたかも知れぬが、お金で信念が動くようでは教育どころか、矜持を捨て格好悪い人生を送る事となる。そこまで落ちぶれて生きたくはない。
先日父兄に集まっていただき、今後子供のコースに力を入れるので今よりコースを分け、金額設定も変えると説明した。
北九州で、一番子供の躾と礼儀に力を入れている教室。それがYANAGIHARAジムだという自信がある。
それでも、いや、だからこそ更にグレードアップする。プレッシャーを此方が感じる位でなければ、更なる高みは達成出来ぬ。
ボクシングとは関係ないカリキュラムも入れ、昔からそうであったが、新しく入会した親御さんには子供の事は何でも相談に乗るので、いつでも連絡してほしいと、いう事も伝えた。
日本の政治が悪いのは、政治家が悪い事を繰り返すから。
しかし我々指導者、教育者、そして親は、繰り返すどころか常に考え、進化しないといけない。
子供は親の道具ではない。だから親がやりたくない子に、ボクシングを無理矢理続けろ、という考えは反対である。
しかしボクシングをしたいと言う子が、このジムは辞めたい、と言わしめるジムならば、会長だ、指導者だと名乗る権利はない。
YANAGIHARAジムはアットホームだ、と常々言われる。
子供がジムに入った瞬間から、私はこの子達を、自分の子供と思うのでそう言われるのか分からぬが、本当に嬉しい。
更に親とジムの連携と子供の指導、躾に数千万円の開発費をかけ、あるシステムを導入しよう、という企画も進行中である。
この様な事は、商売だけを考えていたら絶対に出来ない。
しかし、この企画が成功したら子供が真っ直ぐ育つ、と思ったら、それは大きな考え違いである。
子供は家庭において、そこにいる時が長いので一番大切である。特に幼少期は、自分がどう見られてるかを一番感じる時期である。
例えば嘘をつく理由が、自分に振り向いて欲しい場合もあるし、例えば自分の起こした悪さを、兄や弟に擦りつける嘘の場合もある。
この見極めはジムと家族が連携しないと難しい。子供が悪くなるのは、間違いなく親のせいである。
しかし悪くなったが、これを反省し自分が悪かった、と自分を顧み元に戻る素直さを持つ事も、親の愛と敬の賜である。
だからこそ親も我々も、常に自分自身を振り返り、子供に自分の背中を見せる。
そして次は、もっと大きな背中を見せる為にどうすべきか。この様な事を考えねばならんと思う。
親は子の為には、自分の命もいとわない。そうであるならば、親が子に出来ない事など何も無い。
子の為なら何でも出来るという、親の行為こそが利他的である。
利他的になれば、子供に因果応報の意味をも教えた事となる。
そこには義、つまり正しい思考に基づく行動に依拠せねばならぬ。
まずは親子、次に自分の子供の友達、その周りとどんどん広げていけば、志の同じ人が集まり、そうでない人は去るか淘汰される。
子供を教育するには親が、そして指導者が、常に何がベストかを考え試行錯誤を繰り返す。
顧みて反省すべき事はする。その部分は直ぐに修正する。
こうして書けばそんなに難しい事でも、大した事でもない。
問題はやるか、やらないか、だ。ただそれだけの違いしかない。
YANAGIHARAジムはやる。
決めたら信ずる道を凛として、進むだけの事である。

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