無印良品みたいな人間がいちばんやることやってんのよ。
我ながら今日の話ほど中身がなくてまとまりがない記事もない。
コーラックが効かないときなど気を紛らわせたいときに読んでほしい。
つまらなすぎて逆に詰まったなんて苦情は受け付けない。
小学生の時、あまりにも太い便で家のトイレを詰まらせ「細切れにウンチしなさいよ!」と母・菫に怒られたことがある。そんな理不尽な。
昔から、オシャレになりたかった。
ここでいうオシャレとは、毒にも薬にもならなず全体のトーンが落ち着いており、女子はマニッシュなショートカットで明け透けに言ってしまえば「栗原はるみ」っぽく、男子は胡散臭い丸眼鏡をかけて味の違いもたいして判らないくせに珈琲専門店に顔を出し、よくわからない文庫本を片手に持っている「いとうせいこう」のような、そんなスタイルのことである。言っておくが悪意はない。
栗原はるみのプリンって食った気がしないのに、なんとなくのおしゃれ感というか小慣れ感が鼻につく。悪意はない。だって美味しいもの、高いけどさ。

いとうせいこうもなんとなくのおしゃれ感でずーっといいポジションを確保し続けているのが謎。

リリーフランキーは一歩間違えれば西成の裏路地にいそうなのに、それっぽさがずーっと続いている不思議。

突きたての餅のようにもちゃくちゃ御託を並べたが、端的に言うと私の中のオシャレっぽさとは「無印良品」なのだ。なんて浅い。浅すぎて浅田美代子である。
元は西友の傘下でちょっとした雑貨を売る程度だったのに、いつのまにかロンドン・アメリカ・韓国・台湾等にも店舗を構える超ビッグ企業となり「丁寧な暮らし」の始祖鳥のような存在になってしまった。ド田舎を飛び出した可憐で清楚な少女が、一年後には全身バレンシアガのポカ女(※1)になって戻ってきたぐらいの喪失感がある。
※1…ディズニー映画「ポカホンタス」みたいな女を指す。主にアメリカ西海岸に留学して戻ってくると高確率でポカ女になるらしい。美容室の技術が日本と違い安易に切ると酷いことになる。そのため、どうあがいても最終的にはワンレンのポカホンタスになる側面があるらしい。

MACの美容部員してそう。
ボロクソに言っているが、私は今でも無印良品を愛している。無印良品週間のお知らせがスマホに通知されると小躍りするし、たいして買いもしないくせにフラフラと店舗に行ってしまう。ケルト音楽のような民族音楽が店内に鳴り響き、どこを通ってもゼラニウムやローズマリーみたいな香りがする店内に、たちまち私の心はときめきメモリアルGay's Sideになる。
なぜ私がここまで無印良品が好きなのかというと、姉・菖蒲の影響を受けまくったからだ。私と1X歳離れている彼女は、それこそ無印良品が出始めたぐらいの時に20代~30代を過ごしてきた。
物心ついた時には家にいなかったが、彼女の1人暮らしの家に2度ほど遊びに行ったときは、モデルルームのようにきれいに整えられた広い1LDKにえらく感動した。正直、栄養関係の学校に行くよりもインテリアデザイナーとかになったほうがいいレベルだと思った。彼女から下賜された雑貨やシールなどは今でも大切に持っている。
当時の無印良品は今ほど高価格帯でもなかったのもあるが、使われている収納ボックスやラック、家財なども全て無印良品やそれっぽいものになっていた。全体のバランスが整った生活というのは、こんなにもかっこいいんだと心の底から姉を尊敬した。
そんな姉も結婚し、蝦夷北部で幸せな家庭を築いている。業者もびっくりするぐらい緻密で大ボリュームのスクラップブックを作成し、そんじょそこらの建売よりも使いやすいシンプルで素敵な家を建てた。これ以上、彼女の許可なく詳細なことは書けないが、目まぐるしい日々を一生懸命に身を粉にして生きている凄い人だ。
学生時代を過ごした蝦夷東部には、無印良品が存在しなかった。というか元々は店舗があったのだが、あまりにも過疎が進みすぎていて私が進学した前の年に撤退していた。どこまでも間の悪い男である。結局、オンラインで買うにしても蝦夷というのは沖縄と同じ扱いをされる上に、住んでいたのが下宿で備え付けの家具も多かったので、無印良品への愛は自然と封印されることになった。
大学を卒業し、社宅に住み始めたあたりから徐々に歯車がおかしくなった。無印良品の家具や小物を買いそろえるようになり、今日までそのほとんどが現役である。衣装ケースですら無印良品でそろえたかった私は、考えたくもないけれど、かなりの額を無印良品へと投資したと思う。今となっては、そこら辺のホームセンターで売っているよくわからない英字が左上にプリントされたやっすい衣装ケースで十分だった。あの時の自分に声をかけられるなら「どうせあんた貧民層に落ちぶれるんだからやめときな。どっちかというと無印良品顔じゃなくてアイリスオーヤマ顔よ。」と言ってやりたい。でもきっと言われても無印良品買うんだろうな、「なんだこのババア」と思いながら。私はそういう男である。

エアコンなんてものはなかった。

玄関の目の前が非常階段という意味の分からない部屋だった。
言うまでもなく、何回か転げ落ちているが労災にはなっていない。
ほんとは無印良品でバイトしたかったし、なんなら正社員で働きたかった。大学時代を過ごした蝦夷東部の町にはどちらもあるわけがなく、私は絵にならない就活でも使えないような変なバイトしかしていなかった。やったバイトと言えば、山姥みたいなリーダー格からいびられ続けた郵便局のお歳暮の仕分け、2月の真冬に夕張まで出張で行かされたガソリンスタンドでのクレジットカード勧誘員、豪雨に吹っ飛ばされながら漁港で光る棒を振りつづけたお祭りの駐車場警備員、3曲に1曲は広瀬香美が流れるスポーツショップの店員ぐらいである。特にスポーツショップのバイトでは、どんくさい私はバイトリーダー葛西(43)からよく怒られていた。有線から流れる広瀬香美の押しつけがましいポジティブボイス越しに葛西(43)の説教を聞くのが何よりも嫌だった。「こいつの顔ってカメムシの裏側に似てるよな」とか「火点けちゃえば死ぬもんな、葛西だけに火災っつって。」と思いながら「そっすね~」と空返事し、見えない角度で中指を立て続ける日々だった。もうこの時からうだつの上がらなさが垣間見えている。
モチ米が餅になるような高速バスに5時間揺られ、実家のある蝦夷市へ帰省すると真っ先に行くのは無印良品だった。その度に「都会の大学生ってなんでこんないい場所でバイトしてるんだよ…」と羨ましくなったし、そういうステータスがある子たちのほうが社会をスイスイさながらスイミーのように泳いでいるように思えて、何も前に進んでいない自分が惨めに思えて仕方がなかった。そして私は心の中で「結局、無印良品みたいな人間が一番やることやってんのよね。」と毒づきながら、不揃いバウムクーヘンをかごに入れてレジに並んだ。無印良品パスポートのアプリがなかなか開かずにモタモタして焦っていると、店員の男の人が私のことをチラッと見て「大丈夫ですよ~」と声をかけてくれた。
会計後、何の気なしにゲイの出会い系アプリを開いたら、直近5mにその店員さんがいた。自己紹介文にはとてもじゃないがnoteに書けないような過激で破廉恥な言葉が並んでおり、画像アルバムなんてほぼ肌色な「きみたちキウイ・パパイア・マンゴーだね」状態だった。そっと「イイネ」を押して私はスマホをポケットにしまった。何がイイネやねん。
ちんたら下るエスカレーターの手摺を掴みながら私は思った。
「やっぱり無印良品みたいな人間がいちばんやることやってんのよ!」
その日食べた不揃いバウムクーヘンは、何だかちょっぴりほろ苦かった。
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