諦めないという才能〜世界一のダイヤモンド〜②
こんにちは。
作詞家・作曲家兼経営者の山田智和です。
前回の記事では、乃木坂46さんとの最後の大勝負について書きました(が、途中で気力・体力ともに尽きました)。
前回の記事はこちらからどうぞ↓
しっかり充電し、今回はその続きを書いてみようと思います。
他人がやらないことを全部やってみる〜バカバカしい編〜
来年は経営者となり、おそらく今後はもうなかなか楽曲コンペに参加することも難しくなるだろうと思っていた、2024年の夏。
乃木坂46さんの表題曲に選んでいただく
という長年の大目標を達成するとしたら、2024年の冬がラストチャンス。
わたしはここに全振りすることを決めました。
しかし、他の作曲家さんと同じことをやっていては、これまでの自分と同じことをやっていては、きっとそれは叶わない。
すごくバカバカしいことから真面目なことまで、わたしはあらゆることにトライしてみました。
まず、バカバカしかったり、「それ、意味ある?」からまいります。
☆駐輪場や靴箱のロッカーの番号は全部46を選ぶ
いやー、我ながら大変バカバカしいですね!(笑)
☆体中の血を紫色に染める
これはまったくワケがわからないと思いますが、具体的には、
・のぎ動画に入会し、過去の動画をひたすら見まくった
・神宮の会場設営の日雇いバイトに入った
などです。
とにかく乃木坂46を浴びまくり、乃木坂46の空気に触れまくり、体中の血をイメージカラーの紫色に染めてやろう、と。
ちなみにわたしがバイトを頑張ったそのコンサートの最後には、わたしが楽曲提供させていただいた「誰かの肩」という楽曲で盛大に花火が上がっていました。
あとにも先にも、そんなときにそんなことをしていた作曲家はわたしだけだと思います(笑)。
他人がやらないことを全部やってみる〜真面目編〜
もちろん、ちゃんと真面目に楽曲制作も進めていました。
「コンペ情報が来てから着手しても、1週間で作れてもせいぜい2曲。その2曲が秋元先生の“今のモード”に合わなければ、終わる。」
と考えました。
「とにかく悔いのないようにしたい。」
その一心で、コンペ情報がくる前から、楽曲制作を始めました。
大体3ヶ月ぐらいかけて。
「どんなオーダーが来ても打ち返せるように」と、ジャンルはばらけさせました。
他のコンペには参加せず、乃木坂さんに全振り。
1曲できればすぐに次の曲。
できる限り、クオリティは高く、数は多く。
当時お世話になっていた作家事務所のディレクターさんにも、
「次がラストチャンス。すべてを賭けて絶対に決めますので、どうか力を貸してください。」
と、すべてのデモ楽曲にディレクションをお願いして。
デモ段階から作って直して作って直してを繰り返す。
着地すれば、すぐ次のデモ制作へ。
まぁしんどかったですね・・・。
でも、「ここで決める」と決めていたので。
やりきるだけでした。
弾は出揃った
そして3ヶ月後。
8曲の夢を込めた弾が揃いました。
1回のコンペに書き下ろし楽曲を8曲、もはや異常者です(苦笑)。
そして計算通り楽曲コンペはやってきて、込めた8曲の夢の弾丸、すべてを一気にぶっ放しました。
そしてここでも、普段はやらないことをやりました。
秋元先生に直接LINEをして、想いを伝えたのです。
「今年1年間、乃木坂46さんのことだけを考えて制作をしてきました。そして最後に、自分の今持てるすべての力を込めて作りました。必ず、今回提出させていただいた楽曲の中に、乃木坂46さんのお力になれる楽曲があるはずです。」
と。
デモ楽曲はお世話になっていた作家事務所さんからすでに提出していただいていたので、今さらできることは何もないのですが、せめて気持ちだけでも伝えておきたかったのです。
あとはもう、ただ祈るばかりです。
夢のかけら
それから約2週間。
何の連絡もありませんでした。
これまでの経験上、そこまで空いて何もないということは、まさに何もないということです。
「あー、ダメだったか・・・。ま、でも、これだけやって通用しなかったのなら、もう仕方がない。さ、会社の準備を始めよう!」
とわたしは気持ちを切り替え、経営者としての動きをスタートさせました。
企業の経営者さまにお会いしたり、行政の方にアプローチをしてみたり、今行っているアーティスト以外への楽曲提供ムーブにシフトしました。
あまりに忙しすぎて、初めて尽くしでワケがわからなすぎて、わたしはもうすっかり乃木坂さんに出した8曲のことはすっかり忘れてしまっていました。
しかし。
神様は最後の最後に、わたしの夢のかけらを、そっと拾ってくれました。
クリスマスプレゼント
忘れたころに、わたしのもとにクリスマスプレゼントが届きました。

37thSgのカップリング曲として、わたしの8分の1の純情な結晶である「世界一のダイヤモンド」という楽曲が収録され、リリースとなりました。
残念ながら、最後まで表題曲という夢は叶いませんでした。
それでも、「もうこれ以上は無理!!」という努力を積み上げての結果、わたしは大満足で、
「この曲が、自分にとっては立派な表題曲だ」
と胸を張ることができました。
不思議と悔しさもなく、とにかく「やりきった」という充実感に満たされながら、わたしの2024年最後の大勝負の幕は閉じ、経営者としての新しい夢、「すべてにテーマソングを」を掲げ、静かに歩き始めました。
諦めないという才能
わたしに才能があるとすれば、それは、
諦めないこと
これだけです。
曲作りの才能も、上を見ればキリがありません。
表題曲をバンバン決めている作曲家の方々と比べれば、わたしなど到底足元にも及びません。
それでも、諦めない、この精神力・それに伴う行動力だけは、他人に誇れるものだと思っています。
小学校の時にやっていた柔道で、香川県代表として全国大会に出られたこと。
中学校のときにやっていたソフトテニスで、これも香川県代表として四国大会に出られたこと。
東京の大学に合格できたこと。
教員免許を取って先生になれたこと。
作曲家になれたこと。
そして、乃木坂46さんに楽曲提供ができたこと。
すべては、諦めなかった結果だとわたしは信じています。
諦める勇気や方向転換も、ときには大切です。
自分が壊れてしまう前に、その場から逃げ出すことも必要です。
でも。
「ギリギリまで、もうちょっとだけ頑張ってみませんか?」
と、わたしは思います。
成功は、あとその1mm先で待っているのかもしれません。
もうあとすぐそこまで来ているかもしれません。
もうちょっとだけ頑張って手を伸ばしてみる
わたしはこれからも、いかなる状況においても、そんな風に生きていこうと決めています。
