過去の傷を抱えたまま生きてきたあなたへ。「赦し」とは、自分の人生を受けて立つことなのかもしれない
今日は少し、個人的な話をしたいと思います。
先日、父と母の食事会に同席しました。
離婚した2人の10年ぶりくらい?の会食。
どうなることやらって思っていたけれど。
…父も母も相変わらず。
もはや高齢者に求めるものはないけれど。
「やっぱりな」という軽い落胆。
変わる意志のない人はそう簡単に変わらない。
けれども、そこには多くの気づきのあった時間でもありました…。
父も母も昔のままでした。
会わなかった時間、2人の関係性は止まったまま。
繰り広げられる会話、パターン、関係性は、
昔をそのまま再現していた。
しいて言えば、年を取ったおかげか、
規模が小さくなって、被害が少なかった(笑)。
そこで見た父の姿、母の様子は、
自分のなかにもあるもの。
改めてまざまざと見せつけられて。
嫌悪感、怒り、憐れみ、悲しみ、
そして愛する気持ち。
いろんな感情がわいては通りすぎていった。
でも、そんな自分を、
さらにみつめる冷静な自分がいて。
わたしの内側はものすごく静かだった。
責めることも、肯定することもなく。
ただ冷静に見つめていました。
父と母。
そしてその2人を内側に取り込んでいた自分を。
父にも母にもそれぞれの人生があって、
それぞれの弱さがあった。
2人もまた、幼い時の心の傷を抱えて、親になった。
家族としては失敗してしまったけれど。
それは、両親にとっても、
辛いことだったんだよな。
そんなことをつらつら思いながら、
ビールを飲んで。
親のしたことを「許して」はいない。
けれど、「赦して」いるのかも。
私は、以前よりも自分自身を
受け止められているのかもしれない。
そう思えました。
人を赦すことは、自分を赦すこと。
「赦し」。
これまで考えたこともなかった。
わたしは、その過程のどこにいるのだろう。
まだだいぶ先なのか、あと少しなのか、
わからない。
けれども気づけば、確実に進んでいたんだな。
わたしは、ここまで
人生を歩いてきたんだ。
生きていると、辛いことも悲しいことも喜びも、
ほんといろいろある。
どん底に落ちて、這い上がれない時も
何度かあった。
そして、親2人のそれぞれのどん底も見てきた。
人生って、それらを抱えたまま、
最後の瞬間に笑っていられれば、
それでいいのかもしれない。
それは、行為を「許す」ということではなく、
存在を「赦す」ということ。 自分も他人も。
そして、「赦し」とはきっと、
「自分の人生を受けて立つ」
ということなんだろう。
それは、
被害者というポジションを
抜けるということでもある。
被害者でいるうちは、
人生の主導権は相手(親)にある。
被害者でいるうちは、
相手への依存から抜けられない。
主導権を握り直して、自分らしく生きるためには、
「自分(の人生)を受けて立つ」
という覚悟が必要。
そのためには、
何よりもまず
「どんな自分も受け入れる(自己受容)」
なんだよな。
人生なんて、ほんの束の間。
すぐに消えてしまう
流れ星のような、一瞬のきらめき。
命は、強くて、そして はかない。
悔いなく生きたいな。
改めてそう感じた夜だった。
もし今、過去の傷で苦しんでいるのなら。
無理に「許そう」としないこと。
まずは自分の感情を感じきることが大事。
それは、
自分をいたわること。
自分を受け入れていく自己受容の過程。
そうやって少しずつ自分を受け入れていった先に、
「赦し」はふっとやってくるのだと思う。
本当の気持ちがわからない。
変わりたいのに変われない。
そんなときは、何かを足すよりも、
自分の感情に耳を澄ませることが
必要なのかもしれません。
「自分の本音をもっと知りたい」
「本来の自分とのつながりを取り戻したい」
そう感じている方へ。
自分の気持ちがわからなくなってしまった私が、
感情を取り戻すために、実際にやってきた
実践ワークをまとめています。
ワークを積み重ねることで、
私は、
自己否定や人の目線を気にすることが減りました。
自分の本音を
人に伝えることもできるようになって、
人間関係で悩むことも少なくなりました。
自分らしく生きるためには、
まずは自分の気持ちと向き合うことから。
