忌部氏か大伴氏か「鳴神社」分かる人は分かる古社で良い神社であることを【和歌山シリーズ/和歌山市周辺シリーズ/和歌山紀北シリーズ】
平安時代「延喜式」にも載る古社!!
古代忌部郷に属することから、本来の祭神は紀伊忌部の租・天太玉命であったと思われるが、諸事情で祭神を速秋津彦命・速秋津姫命として復興した模様。今も昔も政治力で変わっています。大伴氏が関係している地域でもあり豪族の氏神が混在するところでもあるようだ。
そしてNOTEを書いていて思った。「夢神社」って謎だらけだな・・
元々は日前神宮・國懸神宮(私のNOTE)や伊太祁曾神社(私のNOTE)と同列の神社です!!
変更履歴
2025/08/12:初版
▼HP▼アクセス
公式HP:
アクセス:和歌山市鳴神1089番地
※道は狭いですが、隣の公園が駐車場でもあります。
▼祭神・本尊と脇時
▼見どころ
→由緒・歴史
創建は不明(『紀伊続風土記』より)
1585年、豊臣秀吉の紀州攻めにより衰微
1719年、仏教を排除して紀州藩による社殿が再建
その際に「然るに祀る神を定めらるるに至りて速秋津彦命、速秋津比売命となし本殿を両殿に作らしめ給へり」とあり、現在の祭神が改められたとする
1996年、奈良県橿原市忌部町に鎮座する「天太玉命神社」から「天太玉命」を改めて勧請
元来の祭神は忌部氏の祖神である天太玉命とも(『延喜式神名帳』の名草郡条より)
忌部氏は朝廷祭祀の技術集団
境内地は忌部の出島
→鳴武神社


由緒
当社は五世紀頃創建された古社で御祭神は武甕槌命である
古来から「壺の御前」と称され広く世人から崇敬され親しまれてきました
当社はもともとこの地にあり社殿も有していたが天正年間の兵火により喪失していたところ江戸期になり紀州徳川家によって社殿跡地に「鳴武神・慶安庚寅」と刻まれた石祠が建立され再建されました
以来三百六十有余年を経過し今日に至っております
この石祠も長年の風雨により近年は損傷も殊の外はげしく此の度石祠を覆い守るための社殿を再建し往時の姿に復することと致しました
これを機に御祭神が新しい社殿のもと長く安らかに祀られていくことを祈願するものである
現在は境外になる場所に「鳴武神社」が鎮座している。「壺の御前」とも呼ばれているそうな。百済から渡来して酒造の技術を伝えたという耆閣大王の第四王女を祀るとする伝承もあるが、現在は春日大神の1柱である「タケミカヅチ」となっている。

→境内:割拝殿



→拝殿・本殿
割拝殿をくぐると左右に社殿が並び、二棟の本殿が並んでいる。左は天太玉命、右は速秋津彦命・速秋津姫命を祀る。社殿背後の御神木が良い感じだ。

本来の主祭神は諸説あるが、神社に行くと、この諸説を大事にしている社殿構成ですね。
主祭神は、水門の神とし「速秋津彦命」「速秋津姫命」を祀るとする説
社名「鳴(ナル)」とは鳴水・鳴滝という谷から流れる水の意であり、川の流れに関連するものとしている(江戸時代後期の地誌『紀伊続風土記』より)
社前に鎮座する「鳴武神社」の傍らにある流れを「鳴武流」と呼んだ(江戸時代後期の地誌『紀伊続風土記』より)
紀ノ川が古くこの地付近を流れていたらしいことを指摘(江戸時代後期の地誌『紀伊続風土記』より)
主祭神は、忌部氏の神とし「天太玉命」を祀るとする説
忌部氏に関わるものとして本来の御祭神は「天太玉命」であろうとしている(『紀伊続風土記』より)
名草郡の「御木郷」「麁香郷」に忌部氏の末裔がいる(忌部系の史書『古語拾遺』より)
紀伊国名草郡に「忌部郷」が記されており、当社付近に忌部氏が居住していた(『倭名類聚抄』より)
紀伊名草郡の忌部郷に記される「誰戸郷」は「神戸郷」の誤記で、忌部神戸なら、神戸であったとなる(『倭名類聚抄』より)
主祭神は、雷神とする説
主祭神は、大伴氏の氏神「天雷命」を祀るとする説
山梨県笛吹市に鎮座する「浅間神社」の社家を務める古屋家の系図であり、1979年に初めて公開されたものに記されている(『古屋家家譜』より)

左側の本殿は「天太玉命」が祀られている。千木は内削ぎで鰹木は四本なので女神になるが「天太玉命」って男神じゃなかったっけ??


右側の本殿には「速秋津彦命」「速秋津姫命」の二柱が祀られている。こちらの千木は外削ぎで鰹木は五本なので本来は男神である。


ということで西は「速秋津姫命」で東は「速秋津彦命」を祀っていたと解釈するのが正しいのかもしれない。そこに忌部氏の祭神を持ってきたということは、忌部氏の力が強い地域だったのだろうか?いや、氏子の中心人物にに忌部氏の末裔だったのか??政治的な配慮で構成を変えたのかもしれない。
→摂社・末社「香都知神社/堅真音神社/天照大神宮/春日社/夢明神社/稲荷社」





香都知神社
祭神は火の神・カグツチ
旧地は鳴神社の東方200mほどの地で、現在は「逆松社」と称する小祠が鎮座している
『延喜式』の写本によって「鳴神末社」とあることから、古くから鳴神社と関係の深かった
『古屋家家譜』によれば、高皇産霊尊の孫に「香都知命」が記されており、大伴氏が奉斎し祖を祀ったとも解釈できる
「香都知命」は鳴神社の祭神であるという「天雷命」の父
ということで、鳴神社は忌部氏で香都知神社は大伴氏で仲良くやっていたのかもしれないなと思う。京都でいえば賀茂氏と秦氏が婚姻関係を結んだと同じように。
堅真音神社(かたまおと神社)
祭神は「神吾田鹿葦津姫命」なのでコノハナサクヤヒメで良いでしょう
旧地は鳴神社の北方300mほどの地
創建・由緒は不明
『紀伊国神名帳』には「正一位 有眞音大神」の名で記載されている
「有眞(ありま)」とは地名であり、『倭名類聚抄』紀伊国名草郡に「有真郷」が記載されている
江戸時代にはかなり荒廃し、社殿が無く石碑が建つのみだったよう
1907年、鳴神社に遷座
前述の「香都知神社」と相殿になる






→本殿左

▼メディア情報
これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。
▼旅行記
◆和歌山⑰◆和歌山の知られていない古社と熊野本宮大社展in和歌山県立博物館|やんまあ@旅行記
その他は次の通り。
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