全国唯一?商売繫盛「繁昌宮(繁昌神社)」祟りに注意【京都ツウシリーズ/烏丸四条五条シリーズ】
平安時代前期の古社!平等寺と仏光寺からSABARでランチしに東から西に!なんかあるな・・と偶然出会った。商売繫盛の神社に行って、商売繫盛している店へ!?


あと妻のオススメのとこ。



変更履歴
2025/08/28:初版
▼HP▼アクセス
京都府京都市下京区繁昌町308
▼祭神・本尊と脇時
田心姫命、市杵島姫命、湍津姫命
▼見どころ
藤原繁成の邸宅の庭に「功徳池(くどくいけ)」という池があった
901年から922年に安芸国(現・広島)の宮島(私のNOTE)から市杵嶋姫命、田心姫命、湍津姫命の宗像三女神を邸宅にある功徳池の中島に勧請したのが始まり
豊臣秀吉が霊験にあやかり、東山にある「佐女牛八幡宮社(若宮八幡宮社)」近くに移そうとしたが、祟りによって現在の場所に戻された
1864年、「禁門の変(元治の大火)」により社殿が焼失
江戸時代には、功徳院と号し、真言宗の僧によって管理され、毘沙門天を本尊としていた
明治の神仏習合により神社だけが残る
かつては「班女神社(はんにょじんじゃ)」と呼ばれていましたが、いつしか訛って繁昌神社と呼ばれるようになったとか
イチキシマは「弁財天」を指すことから、商売繁盛の利益があるとも
書物に「班女と繁昌は同音の為、男女参拝し子孫繁栄を祈願する」と書かれていることから、縁結びの神としても信仰され、良縁成就のご利益がある
御朱印は、拝殿の左にある社務所に書置きされたいます
「繫昌の宮」「京の弁財天」「班女ノ社」「半女社」などとも呼ばれている
繁昌神社の見どころは飛地になっている末社・班女塚(はんじょつか)である
班女塚については『宇治拾遺物語』に記されている。
『宇治拾遺物語』には「長門前司女、葬送の時、本所にかえる事」と云う説話があり、遺骸を運び去ろうとして葬ろうとしたが根の生えたように動かないので、そのまま埋葬して塚をつくった。」とか
「班女」と同音の「半女」は未婚女性のことを指し、長門前司の娘も半女のまま亡くなったことで当初は破談・縁切りの神社として知られていたよう
ただ、「班女」と「繁昌」が同音であるため、男女の子孫繁栄を祈願する社と解釈され、現在の良縁にご利益のある神社となったとさ
毎年5月には繁昌神社の例祭「神幸祭」が行われる
この例祭は第2次世界大戦の影響で中断されていましたが、2013年から復活して神輿の巡行が再開されている











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