京都内裏の門を守護「中山神社(岩神社)」退位後の御所も護る【京都二条城・御所シリーズ/京都ツウシリーズ】
794年、桓武天皇の勅命により、朝夕・内裏の門を守護するように鎮座。嵯峨天皇退位後の冷泉院の鎮守社として崇められた京都を護り続ける古社である。
有名な岡山の「中山神社」はこちらです。三重の「仲山神社」はこちら。中山といえば、こちらとこちら!?
変更履歴
▼HP▼アクセス
公式HP:--
アクセス:京都府京都市中京区岩上町748
▼祭神・本尊と脇時
素戔嗚尊(スサノオノミコト)
櫛岩窓神(クシイワマドノカミ)
豊岩窓神(トヨイワマドノカミ)
▼見どころ
→由緒
794年、桓武天皇の勅命により、スサノオを主祭神とし、朝夕、内裏の門を守護するという櫛石窓神(クシイワマドノカミ)、豊石窓神(トヨイワマドノカミ)の2柱を祀る
石神(いそがみ)神社、岩上神社ともいわれている
扁額に「岩上宮」「岩上大明神」となっている
嵯峨天皇の冷泉院の鎮守社として崇められたよう
1050年、神殿が建立された(『百錬抄』より)
1055年、冷泉院が取り壊され、石上社は残る
1178年、第80代・高倉天皇中宮・建礼門院は、安産祈願にあたり、当社に勅使を遣わした
1214年、二条猪熊が焼亡し、冷泉院内の中山明神も焼失(『百錬抄』より)
1602年、二条城造営により現在地に移転
公家・中山忠親邸宅の跡地に建立されたので「中山神社」と呼ばれた
→ということで、扁額の「岩上宮」「岩上大明神」が本来の社名なのだろう
→大きな石「岩上さん」があったようで、岩上神社(上京区上立売通浄福寺東入ル)に遷されている1788年、火災で焼失したが、その後再建された
社名は、この地が鎌倉時代の内大臣・中山忠親の邸跡であったためと伝えられている
稚日女神(ワカヒルメノミコト)、石上神宮の布留神(フルノカミ)、高岐神(タカギノカミ)、三井寺の新羅明神も祀るとも
石上神宮はこちら
高岐神は「高木」でオモイカネのことだろうか
三井寺の新羅明神は園城寺こと三井寺公式HPに明示的に書かれていますね。端的に、僧・円珍は、宋からの帰国途中、船中に新羅神が出顕し守護したので、北の院の新羅明神を勧請したとも
林屋辰三郎編『京都の歴史2』には「朱雀院の隼神、冷泉院の中山社……の例にならって、殿舎の東北に新日吉社、東南に今熊野社が鎮守の神として勧請された……」とある。また、『日本歴史地名大系・京都市の地名』によれば、「岩神神社跡(現上京区大黒町)町の南東、路地の奥に高さ一・七mほどの赤味を帯びた巨石が祀られており、これが明治維新前まで存在した岩神神社のご神体である。
ほお~新日吉神宮(私のNOTE)、今熊野神社(私のNOTE)の歴史をまさかのとこから知った・・・。ふ、深い・・・京都は深い・・・。これを知っているのと知らないので参拝するのはかなり違うだろうな~。
→境内


中山神社
延暦13年(794)に桓武天皇の勅命により建立されたと伝えられている。
素戔嗚尊)を主神とし、朝夕、内裏の門を守護するという櫛石窓神、豊石窓神の二神を祀る社で、石神(岩上)神社ともいわれる。
嵯峨天皇の後院(退位後の御所)冷泉院の鎮守社として崇められたと伝えられ、慶長7年(1602)、二条城造営により現在地に移転したが、天明8年(1788)の火災にかかり、現在の社は、その後 再建されたといわれる。
社名はこの地が、鎌倉時代の内大臣中山忠親の邸宅跡に当たることに由来すると伝えられる。
京都市


→拝殿・本殿


→稲荷社


→大日尊

→帰る


▼メディア情報
これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。
▼旅行記
京都初詣2025/冬の京都/京都ツウ参り&パワースイーツ/吉野太夫[京都左京⑯中京⑩右京⑬西京⑥下京④]|やんまあ@旅行記
その他
▼セットで行く旅行記
京都ツウしか知らない場所!京都の藤/藤原道真💛明子の家/淀君念持仏/松尾大社展へ!◆京都伏見山科⑧中京⑪|やんまあ@旅行記 (note.com)
▼セットで行くところ
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