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滋賀長浜に豊臣秀吉「豊国神社/出世稲荷神社」黒壁スクエア【滋賀湖北シリーズ/長浜シリーズ】

 長濱市民は織田信長よりも豊臣秀吉が好きだから、江戸時代に辛抱して明治に「豊國神社」復活させた!言っておきます!出世稲荷は本殿裏まで必ず行くんだよ!!

京都の豊国神社はこちら

京都の出世稲荷(私のNOTE)と満足稲荷(私のNOTE)もどうぞ!!

変更履歴

2025/07/04:初版


▼HP▼アクセス▼祭神・本尊と脇時

※後述「▼見どころ」参照

▼見どころ

▽由緒・歴史

  • 1574年、豊臣秀吉は長浜城の建築と商家の町並み造りに着手

  • その後10年、長浜に善政を施し、大阪や京都に移住されてからも長浜町民との交流は絶える事なく続いたとする

  • 1598年、秀吉は伏見城で逝去し、長浜町民は京都の豊国廟にならって豊國神社を建立
    私の豊国廟NOTE:京都のひな祭り/流し雛/桃の節句2025年◆右京⑭西京⑦東山⑯|やんまあ@旅行記

  • 徳川幕府時代のため、豊臣秀吉を神格化することは許されず、豊国神社は京都と共に取り壊された

  • それでも豊臣秀吉の神像を隠し祀った人が多かったとか

  • 1792年、彦根藩へ「えびす宮」を建立する許可を願い出て「長濱恵比須神社」を建立し、豊臣秀吉を裏に隠して祀ったそうな

  • 1846年、もう良いんじゃないの?隠さなくても大丈夫と思ったかは分からないが、豊臣家の一字をとり『豊神社』と書いて『みのり神社』と呼んでいた

  • その名残が東の外堀に架かる「みのり橋」であるようだ

  • 1920年、市民の思いで「豊國神社」と名乗れるように改称

  • 境内には、江戸時代中期の建造物である本殿や、また、瓢箪池や虎石、加藤清正公銅像などがある

  • 1月に「十日戎」、10月に「豊公まつり」がある

  • 以上、ガチで秀吉を愛する神社!!

▽共通参道・境内部分

 南側の参道です。出世稲荷神社は元々「長濱恵比須神社」なんでしょうかね。豊臣秀吉により「出世」になったのでしょうかね。

 東側の参道です。

「天正元年(1573)信長の進攻により小谷城の浅井家が滅亡し、湖北が秀吉公の知行地になると翌年長浜城と城下町の造営に着手し、それ以降楽市楽座の制度と地租税三百石免除の恩典で、江戸時代を通じて長浜の商家は大いに繁栄しました。  慶長三年(1598)秀吉公が逝去されると、町民は太閤さんの恩徳を慕って豊国神社を建立しましたが、江戸時代になり太閤さんを神格化することが禁じられて取り壊され、秀吉公の御神像は町役人の家々で守り継がれた時代が続きましたが、寛政五年(1793)「えびす宮」の建築許可をうけ、奥に御神像を安置して密かにお祀りしていました。現在の神社名は、明治維新後に晴れて復帰した名称です。」

▽豊国神社/長濱恵比須神社:滋賀県長浜市南呉服町6-37

 豊国神社は、滋賀県長浜市にある神社で、豊臣秀吉を祀る。前述の通り、長浜に愛され続ける神社で、2023年に長浜開町450年記念事業として秀吉と長浜の歴史を祝うほどの愛され模様。

 祭神は次の通り。

  • 豊臣秀吉

  • 加藤清正

  • 八重事代主命

  • 木村長門守重成

 向拝は檜皮葺き庸破風づくり、神明造りで千本・勝男木(鰹木)を置き鋼板葺き、江戸時代中期の建造物。彫刻に注目!!

 拝殿前に「えべっさん」ことコトシロヌシと父・オオクニヌシこと大黒さんですね。豊国神社は、江戸時代は「恵比須社」で、徳川の世になってからは「表向きの御祭神」の役割を果たした。

▽出世稲荷神社:豊国神社境内

 京都の絵師による四季の花鳥の図が描かれているようだ。神社公式HPでは「周囲に敷石の回廊を有し、「お百度めぐり祈願」の様式をそなえている」とある。

 拝殿には80枠の格天丼がある。京都の絵師・徳力富吉郎画伯の四季の花鳥図。徳力富吉郎氏は人間国宝です。

 本殿裏です。ここは秀吉神像を隠し祀った場所なのかも?

▽瓢箪池、磐座「虎石」など

「豊国神社の前身である豊国社は、慶長4年(1599)の京都における豊国社の造営を受けて創始されました。それは、慶長5年(1600)8月18日のことで、現長浜八幡宮のお旅所内に社(やしろ)を置いて、「豊国大明神」と称しました。しかし、元和元年(1615)に「大坂の陣」で豊臣家が滅亡すると、長浜の豊国社も廃止に追い込まれていきます。  その後、寛政4年(1792)に至り、お旅所にあった豊国社の旧地に、蛭子神(えびす)社と合わせて豊国社が祀られ、弘化3年(1846)には秀吉公250回忌にあたり、社前に石燈籠や釣燈籠が奉納されています。明治維新になって豊(みのり)神社と改名し、明治25年(1892)には社地を現在地附近に移して、大正9年(1920)に豊国神社と改名しました。  曳山祭の起源を秀吉公に求めるように、長浜町人の秀吉公への信仰は根強いものがあります。左図のように、個人宅でも秀吉像を持ち、それらを礼拝する慣行があったようです。この町民たちの秀吉公への信仰の核となったのが、この豊国社であったといえます。」

 長浜城内に庭園が造られたときに、加藤清正公が寄進した庭石が秀吉のお気にいりだった。1615年に長浜城を廃して彦根城へ移築する時に、毎晩鳴き叫ぶので、豊国神社へ戻したとさ。

長浜城内に庭園が造られたとき、加藤清正が寄進した庭石が太閤さんのお気にいりでした。元和元年(1615)に長浜城を廃して彦根城へ移築する時この石は大通寺へ移設されましたが、毎晩々々「いのうーいのうー」と虎が吠えるように鳴き叫びますので、豊国神社へ戻したところ静かに鎮座したと言います。以後「霊石虎石」と呼ばれて瓢箪池の畔にあります。

公式HP

▽天満宮

▼メディア情報

んっ??クラファンしていた?

これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。

▼旅行記

滋賀湖北⑥◆元伊勢だ!長浜ブラリ旅|やんまあ@旅行記

▼セットで行くところ

▼仏像展

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▽由緒



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