サルタヒコ終焉の地2社巡り「阿射加神社×2」ヤマトヒメ伊勢神宮へ!#松阪シリーズ#三重北シリーズ】
紀元前13年の創建!?サルタヒコ💛アメノウズメが結婚して生活をしていた地域である三重だが、古事記・日本書紀共に急にサルタヒコは溺れて御隠れになる。。。そして、アマテラスの鎮座地を探して伊勢に向かうヤマトヒメの話も残る見逃せない神社である。
なお、サルタヒコ💛アメノウズメは次のNOTEをどうぞ!!
変更履歴
2025/08/07:初版
▼阿射加神社×2の関係は?
サルタヒコが阿邪訶(あざか)の地にいた時、漁をしていると、比良夫貝に手を挟まれ、海に引き摺り込まれて溺れ死んだ!?という突然謎の死をする記紀ミステリーです・・・
サルタヒコが海に沈んでいる時の名を「底度久御魂(ソコドクミタマ)」で、吐いた息の泡がブクブクと浮き上がって来る時の名を「都夫多都御魂(ツブタツミタマ)」で、泡が水面で弾ける時の名を「阿和佐久御魂(アワサクミタマ)」と呼んだ
「椿大神社(私のNOTE)」では、伊勢の阿邪訶にて溺死したサルタヒコは、高山土公神御陵に葬られたとされている
阿射加神社は、阿坂山の東麓、小阿坂町と大阿坂町にそれぞれに鎮座している
阿坂山は左右対称の神奈備であり、麓の神社はこれを迎える形で大神神社(私のNOTE)、御上神社(私のNOTE)、上賀茂神社(私のNOTE)、伏見稲荷大社(私のNOTE)などと同じ「神の山」がキーワードなのだろう
この神社には伊勢に天照大神を鎮座させた倭姫命(ヤマトヒメ)と深い関わりがある
中世にはこの辺り一帯が伊勢神宮・外宮の領地だったようで、伊勢神宮と関係が深い神社でもある
ヤマトヒメが現在の津市にアマテラスをお祀りしていた頃、この山に伊豆速布留神(イツハヤフルノカミ)がいて悪さをするので、いさめる為に外宮祀官・度会氏の祖である「大若子命(オオワクゴノミコト)」が祈ったのが阿射加神社の始まりと言われている
『皇太神宮儀式帳』に、ヤマトヒメが藤方片樋宮においてアマテラスを奉斎していた時に、垂仁天皇の使者である阿倍大稲彦命(アヘノオオシネヒコノミコト)が阿佐鹿悪神(アサカノアラブルカミ)を平定したとある
『倭姫命世記』には、「阿佐加之弥子(阿坂の峰)」に伊豆速布留神(イツハヤフルノカミ)がいて通行の邪魔をするので、その心を和ませるために山上に神社を造営し、外宮祀官度会氏の祖である大若子命(オオワクゴノミコト)に祈らせた
同書の一書にも、「阿佐賀山」に荒神がいて、現内宮への巡行を阻むので、天日別命(アメノヒワケノミコト)の子孫である「大若子命」に、神社を建立し鎮めたとある
実は、伊勢神宮より古い紀元前13年の創建・・・オオ~
『延喜式』には「阿射加神社三座」とあり、両社は3座の中の2座で、別に1座があるとする説もある
私見では山頂にあるのだろう、いや、あったのかもしれない・・・。
一帯は伊勢神宮の外宮の御厨とされていたが、1339年の神宮の神領目録『給人引付并神領目録』には、これが「大阿射賀御厨」・「小阿射賀御厨」と2分されている
ともに近世まで「龍天明神」と俗称されるなど共通した信仰を有するものもある
先に祭神比べしておきましょうか
小坂阿射加神社:猿田彦大神、伊豆速布留神、竜天大神
大坂阿射加神社:猿田彦大神、伊豆速布留神、底度久神
醍醐天皇の時代には、皇大神宮(内宮)、豊受大神宮(外宮)と並ぶ由緒ある神社
阿坂は鎌倉時代には小倉百人一首の選者である藤原定家の領地でもあった
▼阿射加神社(三重県松阪市小阿坂町120)
一の鳥居をくぐり、参道を進むと二の鳥居に続いて石の神橋がある。三の鳥居をくぐった先が拝殿・本殿。
阿射加神社(アザカジンジャ)の文化財
阿射加神社は、平安時代初期には県内でも数少ない延喜式内大社格に列せられていた古舎で、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)を祀る。御火試・粥試神事および小阿坂かんこ踊りは、現在、境内で毎年一月十四日に近い土曜日の夜に行われている。また、境内の社叢は松阪市指定天然記念物に指定されている。
小阿坂(こあざか)かんこ踊り
県指定無形民俗文化財 昭和四十八年三月三十一日指定
以前は豊作の秋に踊られていたものであるが、今は神事が行われる夜、大どんと火に照らされて、着物姿の子どもたちを中心にして豊作祈願や神への感謝を込めて踊りが神社に奉納される。勢子(せこ)入りから始まる踊りには大羯鼓(かっこ)・小羯鼓・貝吹・采(さい)持ちうちわ踊り役があり、赤采持ちが踊りをリードする。
御火試(おひだめし)・粥試神事(かゆだめししんじ)
市指定無形民俗文化財 昭和四十年十二月十四日指定
夜七時頃から大どんと火が境内で焚かれ、調舎ではその年の豊作を祈る御火試・粥試神事が行われる。御火試は月数を書いた十二本の樫の割木の先を囲炉裏(いろり)で焼き、月数を記した板の上に置いて、灰の色を観察しながら一年間の天候を占う。粥試は早生(わせ)・中生(なかで)・晩生(おくて)の印を付けた笹竹の管三本を入れた小豆粥を焚き込み、管に入った小豆や米粒の量により稲の作柄の吉凶を占う。
阿射加神社社叢(しゃそう)
市指定天然記念物 昭和六十三年四月二十六日指定
神社境内の叢林1.45ヘクタールの指定地にはスダジイ・ヤマモガシ・ミミズバイ・サカミ・タブノキなどの常緑照葉樹が繁茂している。このような叢林は現在では数少なく、伊勢平野丘陵部のかつての植物的自然をうかがい知る貴重な植生である。
→境内










→神門
→拝殿・本殿
祭神は猿田彦大神、伊豆速布留大神、竜天大神を三柱。







→大若子社/調舎
右手奥には大若子社と調舎がり、祭神は「大若子命」。調舎では御火試、御粥試と称する農耕神事が行われる。



→天日別神社/八雲神社/謎の祠&磐座?
もと八幡神社と称していたが、境内社の貴船神社など5社を合祀して改称した。

八雲神社は大正元年に愛宕神社・津嶋神社・秋葉神社・山神社など9社を合祀した。八雲??出雲なら、ここで小競り合いが起きたのか?ふと思い出したのだが、サルタヒコは出雲・佐太神社(私のNOTE)周辺で生まれている。
公式のyoutubeを紹介しておきます。





→お祭り「かんこ祭り」
三重県松阪市小阿坂町の阿射加(あざか)神社(松本明徳宮司)は13日午後6時から、境内で市指定無形民俗文化財の御火試(おひだめし)、粥試(かゆだめし)神事を行い、今年の天候や稲作の吉凶を占った。
(中略)
この日はまずかんこ踊りが行われ、太鼓や笛のお囃子(はやし)と共に、法被や浴衣姿の子供たちを含む地域住民約30人が輪になって、今年1年の平穏と、豊作を祈って踊りを奉納した。
(中略)
その後、社務所前に竹などを組んで作られた高さ約8メートルのやぐらにどんど火がたかれ、それぞれが持ち寄った正月飾りやお守りなどを天に返した。
御火試と粥試は社務所隣の調舎(ちょうや)で行われた。御火試は、1月から12月までを書いた12本のカシの割木の先をいろりで焼き、その焼け具合に応じて今年1年の月ごとの天候を占う。灰の色が白ければ「晴れ」、黒い炭の状態であれば「雨」、その中間であれば「半晴れ(はんぱれ)」となる。今年は1月「半晴れ」、2月「半晴れ」、3月「晴れ」、4月「半晴れ」、5月「雨」、6月「晴れ」、7月「半晴れ」、8月「晴れ」、9月「雨」、10月「半晴れ」、11月「晴れ」、12月「雨」となった。
粥試は、早生(わせ)、中生(なかて)、晩生(おくて)の印を付けた長さ15センチほどの竹筒を3本入れて小豆粥を炊き、筒に入った小豆や米粒の量によって作況を占う。早生と中生は「大々豊作」、晩生は「大豊作」となった。
その後、氏子たちは、食べると夏病みしないといわれる粥を分け合って食べた。
→メディア情報
これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。
▼阿射加神社(三重県松阪市大阿坂町670)
「かんこ踊り」が踊られていたが、今は途絶えている。。。
→境内








→割拝殿



→拝殿・本殿
祭神は「猿田彦大神」「伊豆速布留神」「底度久神」です。





→摂社・末社


→帰り参道






→メディア情報
これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。
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