福山城北側「備後護国神社=備後神社×阿部神社」福山藩主が歴代の祖霊【広島シリーズ/広島福山シリーズ】
福山城北側にあるのは「備後神社」と「阿部神社」が合併して「備後護国神社」となる。
1813年に福山藩主が歴代の祖霊を祀って建てた「阿部神社」と、1868年に福山藩主・阿部正垣公が戦死者の霊を祀る為に創設した「招魂社」から1957年に合併して「備後護国神社」と改称した歴史がある。
そんな歴史なので、備後護国神社の御朱印は、その歴史を反映した二つの印が押される。
変更履歴
2025/07/23:初版
▼備後護国神社
公式HP:https://bingo-gokoku.jp/
アクセス:広島県福山市丸之内1丁目9−2
→由緒
1957年、備後護国神社は後述する「備後神社」と「阿部神社」を合併して「備後護国神社」として設立
祭神は国家公共で殉じた備後六市八郡内の御英霊31450柱以上と阿部神社の御英霊
境内と社殿の大部分は阿部神社より提供されたもの
元備後神社
明治元年、旧福山藩主・阿部正桓公の設立で防長の役石見国益田の戦及び渡島国(北海道)函館の戦に戦死した40柱の英霊を祀ったのが始まり
その後、佐賀、台湾、西南の役、日清、北清、日露、日独の戦、満州、上海、日華事変及び大東亜戦争に至るまで国家公共のため殉じられた御英霊を祀る
1901年、「新宮」と称したものを福山公園地(現福山城跡)に移転し、「官祭福山招魂社」と改称
1939年、内務大臣の指定を受けて「福山護國神社」と改称
1945年、空襲による戦災を受け「備後神社」と改称
1957年、城跡にそのまま存置してあったものを「阿部神社」と合併
元阿部神社
福山藩主阿部家の遠祖・孝元天皇第一皇子高志道将軍、大彦命及び御子・武沼河別命、豊韓別命が主祭神
阿部家中興の祖従五位下伊豫守正勝公を初め代々の祖霊を奉斎したもの
「勇鷹神社」だったが「阿部神社」と改称
→下拝殿
本殿に続く石段の下にある下拝殿。下拝殿の周辺には沢山の慰霊碑が建てられていた。



→本殿・拝殿
備後国出身の護国の英霊、大彦命、建沼河別命、豊幹別命および
阿部正弘をはじめとする歴代備後福山藩主を祀る。






→阿部正弘公像/安産祈願像/宮本武蔵の腰掛け石
阿部正弘は江戸時代末期に活躍した備後福山藩で、日の丸を日本の国旗に
制定した人とか。
1624~1629年、宮本武蔵が福山を訪問した時に座った岩が「宮本武蔵の腰掛け石」で、水野家の家老・中山将監の屋敷にあったものらしい。







→メディア情報
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▼阿部神社
→由緒
1813年、阿部氏の遠祖である大彦命・武沼河別命・豊韓別命と歴代藩主を祀る「勇鷹(いさたか)神社」として創建さ
1877年、阿部神社と改称
1957年、阿部神社の社殿を改築して備後神社と合祀・合併し、「備後護国神社」と改称、現在に至る
→メディア情報
これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。
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