伏見城より金毘羅大権現/歓喜天御開帳「宝福寺」陰陽石で秀吉💛淀君→秀頼生誕【京都伏見シリーズ/京都伏見・山科シリーズ】
台座が狐の仏像乱立は伏見稲荷大社(私のNOTE)との関係か?金毘羅大権現&歓喜天&稲荷茶吉尼天とレア仏像が・・・😲
京都の伏見にあり、秀吉と淀君ゆかりの寺は、年に一度だけ御開帳がある。本堂と金毘羅堂からなり、金毘羅堂では、金毘羅大権現、稲荷大明神、不動明王の三尊合体した珍しい三尊と秘仏・雙身歓喜天像が公開される。超レア仏をどうぞ!!
なお、江戸時代には伏見港(淀川の重要な河港)に着く旅人の信仰が篤く「木挽町の金毘羅さん」と呼ばれていた。理由は、豊臣秀吉が宝福寺の住職を伏見城に招き、大般若経を転読させたという歴史を持つ寺でもあるからだろうか。

面白いのは多くの仏像の台座が狐なんですよね~。そう!近くに秦氏の伏見稲荷大社(私のNOTE)があるからだろうと思うのだが真相はいかに!?
永平寺管轄なんですね。京都を追われた名僧が、福井・永平寺で修行をして、京都に舞い戻っている寺の一つですね。
陰陽石(子授けの石)はかつて伏見城にあり、豊臣秀吉と淀君が子授成就の祈願をし、嫡子・棄丸(秀頼)が授かったと言われている。
変更履歴
2025/04/28:初版
▼HP▼アクセス
京都府京都市伏見区西大文字町965
▼見どころ
→入口




慕古之旅
道元禅師が京都から福井へ徒歩で向かわれた旅路を、現代再び巡る旅のこと。
永平寺本山のNOTEは次の通り。

座禅も無料で出来るようですね。外国人に人気の「禅」なので、そのうちここで禅をして、月桂冠などの酒蔵巡りが流行るかもね~。前に酒蔵巡りしたときフランスの方が多かったですね。




(伏見のコーナンは有料です。買ったら数時間無料になりますので買い物もセットでどうぞ)


左:厄除開運 金毘羅大権現
→由緒/歴史
「ほうふくじ」と読む
起源は明確ではない
金毘羅堂には、金毘羅大権現、稲荷大明神、不動明王の三尊合体という、珍しい三尊が安置されている
また、密教では絶対秘仏としているところがほとんどの秘仏・雙身歓喜天像が、年に1度の開帳される
「子授けの金毘羅さん」と呼ばれる堂内には、秀吉と淀君ゆかりの陰陽石・子授け石がある
本堂内には、平安時代の伝教大師作「聖観音立像」が脇侍として安置されている
歴史です。
大椋神社の神官寺だった末寺「瑞応院」として、伏見九郷森村に在ったが、京都アルアルの応仁の乱で焼失
焼失と同時に末寺に寺号を移す
1594年、豊臣秀吉による伏見城の築城に伴って現在の場所に移る
1559年、出雲国野崎浦城主が国を譲り、ここに閑居して、この寺を開基する
開基したときに「久祥院」と改名し、真言宗になる
1599年、薩摩の宝福寺の和尚が招き、真言宗から曹洞宗んなり、今の寺号になる
寺号変更で福井・永平寺関連に遷す
1620年、伏見城内の金毘羅堂をここに移す
1868年、鳥羽・伏見の戦いになり損壊
1973年、金比羅堂が再建され、今の形になる
1996年、道元の入越足跡となる「宇治・興聖寺から福井・永平寺」を行脚する「慕古の旅」が始まる
境内の案内板より
宝福寺
久祥山と号する曹洞宗の寺院で、三十石船で伏見港に着いた旅人がよく参詣したといわれ、「木挽(この辺りの旧町名)の金毘羅さん」として知られている。
もとは真言宗で、伏見奉行所が管轄する九つの村「伏見九郷」の1つ、森村にあったが、応仁の乱(1467~1477)による兵火に遭い、末寺であった。「瑞応院」に寺号を移した。慶長4年(1599)に薩摩国(現在の鹿児島県)の宝福寺の11代住職「日孝芳旭大和尚」を招いて開山とし、「久祥山宝福寺」と称する曹洞宗寺院に改められた。本堂前にある金毘羅堂は、伏見城の学問所前に建立されていたものを、元和6年(1620)の伏見城廃城に伴い、寺社奉行の山口駿賀守が当寺に移転したものといわれている。また、その際、豊臣秀吉と淀君が子授け成就の祈願をして、秀頼を授かったという「陰陽石」や、羅漢像二体なども共に移された。境内には、平成14年(2002)の道元禅師750回大遠忌を前に、宝福寺檀家有志が、平成8年(1996)に禅師の足跡250km(京都から福井県・永平寺まで)を行脚したことを記念する顕彰碑が建てられている。京都市
曹洞宗永平寺派のお寺で、久祥山といいます。もと瑞応院といい、伏見港に着く旅人の信仰を集め「木挽町の金毘羅さん」と親しまれていました。
慶長4年(1599)に薩摩国(鹿児島県)の曹洞宗「宝福寺」に11代住職「日孝芳旭大和尚」を招き、「久祥山宝福寺」と改め曹洞宗開山となりました。
本堂には中国風の釈迦像を中心に16羅漢像を安置し、脇壇にはもと三栖村にあった旧竜谷寺の遺物と伝えられる藤原風の温和な聖観音立像を安置しています。
境内金毘羅堂は、もと伏見城にあったお堂を元和6年(1620)当寺に移したものと言われ、堂内には狐の背中に上に烏天狗を配した珍しい「合体金毘羅権現」像(不動明王と稲荷明神の化身)を安置しています。脇壇の羅漢像と共に極めて異国風なのが特色です。また秀吉公・淀君ゆかりの子授け石とも呼ばれる「陰陽石」を安置し、子授けの霊験あらたかと親交をあつめています。 洛南保勝会
→金毘羅堂
歓喜天と陰陽石に願ったところ、淀君は秀頼を授かったとされる。ここの三尊の台座は、お稲荷さんなのを見逃すね!小さいので凝視ですね!?
写真OKですがズームで撮ったものはボケています。m(__)mいや、仏像がボカシを掛けたんだ。そうに違いなし(と言い聞かせる)
金比羅堂の軒下に、天狗面がある。かつては、面に触れると祟りがあると恐れられていたようだ。



陰陽石(子授けの石)はかつて伏見城にあり、豊臣秀吉と淀君が子授成就の祈願をし、嫡子・棄丸こと豊臣秀頼が授かったと言われている。
なお、陰陽石と金毘羅堂内の雙身歓喜天と合わせて祈願すると子授け率UPなんだそうな。





金毘羅大権現像(合体金毘羅権現)・・・台座はお稲荷さん!不動明王と稲荷大明神を融合!!
※金毘羅大権現、稲荷大明神、不動明王の三尊が合体
※権現=神様×仏像=日本独自創作されたもの雙身歓喜天像・・・台座はお稲荷さん!密教系のアンタッチャブルなので原則、一般公開NG仏像だが、こことあの寺とあの寺は見られる。頭は像で体は人間の2体がハグをしています
変形茶吉尼天・・・台座はお稲荷さん。信濃国の神仏習合神・飯縄大権現に類似するとか



白狐の背に烏天狗が直立し、右手に剣、左手に縄を持つ。背に赤い火焔を背負い、背中より烏天狗の翼がはえている。パッと見は不動明王に似ている。


堂内の壁には仏像の写真が飾られている。なるほど見やすい!!


陳和卿(ちん なけい)は、重源に招かれて東大寺復興に関わっているようだ。秀吉が重宝したのは、名僧・重源と係る寺だったのかもしれない。朝鮮進出だが、大陸への進出に祟らないよう願ったのかも?



では、歓喜天と稲荷荼枳尼を再見仏!!




繰り返しになるが、「変形茶吉尼天」は、飯縄大権現に類似するとか。

最後に僧形文殊菩薩です。


→本堂



上の写真の向かって右手に平安時代の「聖観音立像」が安置されている。平安時代で最澄作とも言われており、かつて、旧三栖村にあった旧竜谷寺の遺仏とか。本堂自身の本尊は釈迦如来坐像です。脇侍に聖観音は珍しいかと思うが、応仁の乱で寄せ集めるなりして出来た三尊なんだろうと思う。
三尊左右の上には羅漢像が安置されている。





十六羅漢は14体しかなかった気がするが、もしかして金毘羅堂の脇侍2体でコンプリ―トなのかな??時代があっていないと思うのだが。。もしくは、私の数え間違い??

右の部屋には大黒天で、檀家などが集まる前にいる感じですね。


▼メディア情報
これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。
▼旅行記
京都ツウしか知らない場所!京都の藤/藤原道真💛明子の家/淀君念持仏/松尾大社展へ!◆京都伏見山科⑧中京⑪|やんまあ@旅行記 (note.com)
その他
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