京都の上皇御所「善想寺」民のピンチを救うお地蔵「光明院/満福寺/如来寺」【京都二条城・御所シリーズ/京都ツウシリーズ】
境内は自由参拝だが本堂は期間限定で、過去に「京の冬の旅」で一時公開されている。京都の上皇御所と権威との関係もあり、華道の池坊家と縁が深く、民のためにピンチを救う地蔵菩薩がいる寺など紹介。
平安後期造立「石仏阿弥陀如来」、天台宗開祖最澄上人御作「泥足地蔵尊」、「池坊家元歴代の墓碑」「京都相撲最後の横綱・兜潟弥吉の墓碑」などの各参拝については、いつでも自由に参拝できます。随時お越しください。
変更履歴
2025/06/20:初版
▼善想寺:京都市中京区六角通大宮西入三条大宮町240
公式HP:永代供養による納骨・墓地の分譲 - 京都 善想寺
※本堂内と地蔵堂内以外は自由参拝
→由緒
平安時代中期に関白太政大臣・藤原頼忠の本宅だった場所
979年、上皇の御所である四条後院になり、天元の大内裏火災の際に第64代・円融天皇が一時皇宮にされたとも言われている
981年、内裏造営時に、円融天皇は四条後院に行幸した
1331年、元弘の乱で後院は荒廃
1336年、建武の乱(延元の乱)により後院は廃墟
1542年、想阿善悦上人が洛西疏圃に一寺を建立し、法名から「善想寺」と称したのがはじまり
その後、兵火によって焼失
1582年、関白・豊臣秀吉の命によって現在の場所に移る
想阿善悦の孫弟子・法春上人が再建
1587年、正誉上人が地蔵尊(田植地蔵・泥足地蔵・身代わり地蔵)を滋賀県坂本村から移し、山門の横の地蔵堂に祀られるようになる
三日三晩降雨を祈願した農夫・作兵衛の代わりに田植えをしたことから田植地蔵・泥足地蔵・身代わり地蔵とも
難産の妻に代わって苦しみを引き受け、顔一面に汗をかいていたことから汗出し地蔵とも
1788年、天明の大火によって焼失し、その後再建
地蔵尊は天台宗宗祖の伝教大師・最澄が一刀三礼で自刻したと言われている
本堂宮殿の菊の御紋・鳳凰の彫刻、御神鏡は、朝廷・上皇が祀ることを表している
平安時代後期造立の「石仏阿弥陀如来」、「本尊阿弥陀仏」、最澄上人ゆかりの「地蔵菩薩」を安置する
1658年に、池坊三十二世二代目・専好師が墓地にまつられてから、1908年の四十二世・専正師までの歴代家元がまつられている
では住職が話している記事を紹介します。『京都・善想寺で安産祈願!歴史ある地蔵尊と汗だし地蔵のご利益を解説 - 縁結び大学』です。
→本堂
中尊には「阿弥陀三尊像」ですね
本堂左脇壇に、長野・善光寺式阿弥陀三尊
善光寺式阿弥陀三尊:「一光三尊」であり、脇侍背後は一枚の光背で三尊を覆う
本堂右脇にも「阿弥陀三尊像」が安置されている
「法然上人木像」「善導上人像」も安置されている
お姿は公式HP『京都古文化保存協会 設立50周年記念式 | 善想寺』をどうぞ!





→石仏阿弥陀如来
墓地の一角に安置されている。平安時代後期の四条後院内に安置されたようで、後白河法皇の造立によるものとも。元弘・建武の京都の戦の際には、石仏を守るために土中に埋めたとも。この地に善想寺が創建されて間もない頃に土中より出土したよう。
厚肉彫、花崗岩製(白川の赤石)、高さ1.6m、厚さ70㎝。台座を含めた像高90㎝、光背は自然石なんだそうな。
法然上人の教えを聞き、上皇が四条後院内に造立した。後院とは、天皇の譲位後の御所のことをいいます。本石仏は、高さ1.6m・厚さ70cm、自然石の大きな光背を背に座しており、台座をあわせた像高は90cm。引き締まった慈悲感あふれる表情をされており、重厚で安定感のある、悠々とした石仏です。



■石仏阿弥陀如来
石仏は花崗岩、白川の赤石といわれるもので、その石が石仏に使われる時期は限られ、800年以上前の平安末期から鎌倉初期といわれています。
高さ1.6m、厚さ70cmの自然石の大きな光背を背に台座に座し、像高90cmの阿弥陀仏はひきしまった慈悲感があふれ、重厚で安定感があり、悠々とした弥陀石仏です。
この石仏は、近くの古池の辺りに在ったと伝えられていますが、戦による損壊を逃れるために石仏を土中に埋めたと思われます。800年前のこの場所は、平安末期の古地図にもあるように四条後院(天皇退位後の住まい)の場所であり、浄土教の盛行が偲ばれます。
詳細は公式HP『平安時代後期、石仏阿弥陀如来の造立者は | 善想寺』です。
→地蔵堂:泥足地蔵/田植地蔵/身代わり地蔵尊
伝教大師最澄作と伝わる地蔵菩薩像が安置されている。急病で倒れた百姓の代わりに田植えをしたとか、難産の時に地蔵尊が玉のような汗を流し妊婦の苦しみの身代わりになったと伝えられたなど民衆のピンチに救おうとするお地蔵さんである。
■地蔵菩薩像
本地蔵尊は今から1200年前、伝教大師最澄上人自らお彫りになられた大師一代の念持仏(守り本尊)であり、大師亡き後は滋賀県坂本村にまつられた。この地蔵尊を天正15年(1587)3月23日、当山初代住職がご縁を得て善想寺山門横の堂内にお迎えした。泥足地蔵、汗出し地蔵とも呼ぶ。この地蔵尊に祈願しておけば、もし難産だったとき、お地蔵さんが玉のような汗を出して、妊婦の苦しみを引き受けてくれる「汗だし地蔵」と呼ばれ、また、田植え時に急病になった信者に代わって田植えをし、泥だらけになっていたところから「泥足地蔵」とも呼ばれている。
泥足地蔵/田植地蔵/身代わり地蔵尊
日照りが続いた年に、農夫の作兵衛が日頃より信仰する地蔵尊に三日三晩、降雨祈願すると雨が降り出した。農夫たちは我先に田植えを終えた。作兵衛は不意の腹痛のために、一人だけ植え付けができなかった。翌朝、田に様子を見に行くと、自らの田圃も田植えが終わっていた。聞くところによると、夕方、一人の僧が田に出て植え付けをしていたという。地蔵尊にお参りにいくと、その腰から足にかけて多くの泥が付いていた。地蔵が代わりに田植えをしたことを知る。
汗出し地蔵尊
1808年に、中京堺町の勘兵衛が、難産の妻に代わり、地蔵尊に安産祈願に訪れた。一日一晩祈願してると、無事に安産したと家から知らせが入る。勘兵衛が地蔵尊を拝すると顔一面に汗をかいていた。地蔵尊は、妻の身代わりになり、その苦しみを引き受けていた。



→メディア情報
善想寺|【京都市公式】京都観光Navi
平安京四条後院跡地「善想寺」永代供養塔 - 京都の石屋〔石茂〕芳村石材店
これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。
▼光明院:京都市中京区六角通大宮西入三条大宮町243


創建と宗派:天台宗の寺院
創建は平安時代に遡ると伝えられていますが、詳細な創建は不明
本尊: 阿弥陀如来
▼満福寺:京都市中京区六角通大宮西入三条大宮町242





満福寺は、浄土宗西山禅林寺派の寺院
創建は室町時代にさかのぼると伝えられている
開山は月叟周心(げっそうしゅうしん)とされる
本尊: 阿弥陀如来
禅林寺といえば、永観堂ですね。
▼如来寺:京都市中京区六角通大宮西入因幡町97−97

他力本願です。
▼旅行記
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