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和歌山から京都へ和歌の神「新玉津島神社」松尾芭蕉の師匠【京都ツウシリーズ/烏丸四条五条シリーズ】

京都市下京区、マンションに囲まれた一角にひっそりと佇む古社。そこには、文章上達の神として知られる「衣通郎姫」が祀られています。この珍しい祭神は、和歌山県の玉津島神社から勧請されたもの。衣通郎姫は、允恭天皇の后であり、絶世の美女、そして優れた歌人としても知られています。後鳥羽天皇の勅命により、藤原俊成が邸宅に創建したのが始まりで、和歌所としても機能し、『千載和歌集』編纂の地となりました。平忠度との逸話や、北村季吟が宮司を務めた歴史も持ち、歌道との深いつながりを感じさせます。

和歌山の「玉津島神社」はこちらのNOTE

変更履歴
2025/08/29:初版


▼HP なし

▼アクセス

京都府京都市下京区玉津島町
(京都府京都市下京区烏丸通松原西入ル玉津島町309)

▼祭神・本尊と脇時

衣通郎姫
→和歌の神
を和歌山から勧請
→衣通姫尊は『日本書紀』に出てくる女性で、允恭天皇の后で和歌の名人であったり、絶世の美女とも

衣通姫尊(そとおりひめのみこと)は、第十九代允恭天皇の妃で絶世の美人であられ、その麗しさは名のとおり「衣を通して光り輝いた」と伝えられ、又殊のほか和歌の道に秀でられたことはよく知られています。 衣通姫尊は、第五十八代光孝天皇の勅命により当社に合祀されました。 これは天皇の御夢枕に尊が現れて、「立ちかえり またもこの世に跡垂れむ 名もおもしろき 和歌の浦波」との一首を詠じられた故事によるもので、これより玉津島の神は、住吉大神(攝津)・柿本大神(明石)とともに〝和歌三神〟の一つとして、朝廷はもとよりひろく一般文人墨客から崇められてきました。 後世、後西・霊元・桜町・桃園・後桜町・後桃園・光格・仁孝天皇の御代においては、「法楽和歌会」と称し、玉津島の神に和歌を奉納する歌会が宮中で催されました。 これら当社に奉納された天皇御宸筆になる御製御短冊は、現在も重要美術品として保管されています。

本宮公式HP
https://tamatsushimajinja.jp/tamatsushima/

▼見どころ

→由緒

  • 1186年、後鳥羽天皇の勅命により、藤原定家の父で平安末期から鎌倉初期の歌人・藤原俊成(としなり)が、五條大路(現松原通)烏丸から室町にかけての自分の邸宅地に、和歌山県和歌浦の玉津島神社に祀られている歌道の神「衣通郎姫(そとおしのいらつめ)」を勧請したのがはじまり

  • 1183年、後白河法皇の院宣により、藤原俊成はこの邸宅を和歌所として『千載和歌集』を編纂

  • 同年、木曽義仲が京に攻め入り、平家一門は都落ちするが、平忠度(たいらのただのり)は、危険を顧みずこの屋敷に引き返し、「一首なりとも選んでほしい」と自分の秀歌の巻物を献じた

  • 1417年、足利尊氏が社殿を修復

  • 境内に和歌所を設けて、歌道伝道の際には勅使がつかわされたよう

  • 1434年、焼失し、応仁の乱の兵火でも焼失

  • 1683年、『源氏物語湖月抄』などの古典注釈の第一人者で、松尾芭蕉の師・北村季吟(きぎん)が、約七年間、この神社の宮司として住む

  • 北村季吟は野洲の出身

  • 北村季吟は『万葉集』の注釈書「万葉拾穂抄(しゅうすいしょう)」の編纂に励む

  • 1730年、境内に開運天神社が出来た

  • これらの由縁から、今も多くの人が短歌、俳句、文章の上達祈願に訪れ ているそうな

→境内

 この神社は、文治2年(1186)後鳥羽天皇の勅により、藤原定家の父で平安末期から鎌倉初期の歌人として名高い藤原俊成が、五條大路(現在の松原通)烏丸から室町にかけての自分の邸宅地に、和歌山県和歌浦の玉津島神社に祀られている歌道の神「衣通郎姫」(そとおしのいらつめ)を勧請したことに由来する。
 それに先立つ寿永2年(1183)、後白河法皇の院宣により、藤原俊成はこの邸宅を和歌所として「千載和歌集(せんざいわかしゅう)」を編纂し始めた。 ちょうどその年、木曾義仲が京に攻め入り、平家一門は都落ちするが、門下の一人である平忠度は、危険を顧みずこの屋敷に引き返し、「一首なりとも選んでほしい」と自分の秀歌の巻物を献じた逸話は有名で、俊成は、その中から次の一首を選び、千載和歌集に載せたという。
 さざなみや 志賀の都は あれにしを       
                むかしながらの 山さくらかな
 江戸時代には、「源氏物語湖月抄」などの古典注釈の第一人者で、松尾芭蕉の師である北村季吟(きぎん)が、約7年間、この神社の宮司として住み、万葉集の注釈書「万葉拾穂抄(しゅうほしょう)」の編纂に励んだ。 これらの由縁から、今も多くの人が短歌、俳句、文章の上達祈願に訪れている。

 

 「北村季吟先生遺蹟」との石碑が由緒の左にある。参拝時は誰?と思っていたが・・。やっぱ、事前に調べておくべきだった。

→秋葉神社、天満宮

 参道の奥、拝殿・本殿の手前に秋葉神社と天満宮が鎮座。秋葉神社の祭神はカグツチだろうけど、近畿でカグツチといえば「愛宕社」とあるべきと思うが、関東に多い秋葉神社となっている。

 秋葉神社は焼失した歴史からカグツチを勧請したのだろうが、もしかしたら江戸から勧請か?前述の通り「1730年、境内に開運天神社が出来た」ようなので、この天神が、今天満宮となっているのかも。

→本殿

 神社を後にしますが、なんか磐座と思わせる石があった。

▼メディア情報

これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。

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▼セットで行くところ

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