長曽我部盛親眠る 「蓮光寺」快慶?駒止地蔵オモロ【京都ツウシリーズ/烏丸四条五条シリーズ/京都駅周辺シリーズ】
2023年「京都浄土宗寺院 特別大公開」へ!!本尊は伝快慶作の三尺阿弥陀立像で、本尊右には面白い風貌で大きい「駒止地蔵」が!そして、長曽我部盛親のお墓があった!
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2025/03/12:初版
▼HP
▼アクセス
京都市下京区富小路通六条上る本塩竈町534
▼祭神・本尊と脇時
※後述「▼見どころ」参照
▼見どころ



智恩院を本山とする浄土宗の寺で、「負別如来」と呼ばれる本尊の阿弥陀如来と地蔵堂に安置される「駒止地蔵」で知られている。
本堂に祀られる本尊は、鎌倉時代を代表する仏師、快慶の作と伝えられる。その昔、快慶が東国の僧の求めに応じて阿弥陀如来を作った際、あまりの尊い出来映えに自ら護持したいという気持ちを止められず、僧の後を追いかけた。山科の辺りで僧に追いつき懇願すると、僧も大いに感銘し、箱を開いたところ、仏像が二体に分かれていたという。二人は感涙し、それぞれ一
体を背負って東西に別れたと伝えられる。この本尊はその一体であるといわれ、「負別山」という山号もこれにちなんだものである。僧が持ち帰ったもう一体の仏像は、「笈分如来」と称され、仙台市泉区にある阿弥陀堂に安置されている。
駒止地蔵は弘法大師(空海)の作といわれ、もとは六条河原の処刑場に祀られていたと伝えられる。鴨川の氾濫で埋もれていたが、平清盛が乗る駒(馬)が六条河原に差し掛かったとさ、急に馬が動かなくなり、その場所を掘ってみると、この地蔵が出てきたことからその名が付いたという。
境内には、関ヶ原の合戦や大坂夏の陣で活躍した武将、長曽我部盛親の墓がある。

1492年、天台宗真盛派開祖・真盛上人を開基とし、高野山の苅萱堂を模して下京区新町高辻に草庵を結んだ
当初「萱堂」と称し、天台宗に属していた
1591年、豊臣秀吉の命により現在の富小路通り六条に移り、真盛上人の弟子・玉譽光順上人が浄土宗に改め、二世順譽蓮光上人のとき寺号を蓮光寺と改称した
1644~1647年、大阪城を設計した中井大和守の帰依を受けて本堂を建立
1701年、勧修寺二品法親王より山号「負別山」の染筆を下賜され、現在も本堂に掲げられている
1788年と1864年、京都の大火災と「蛤御門の変」で焼失
1896年、本堂再建された
1983年、本堂の改修と書院、庫裏の再建
仏師快慶作と伝えられる負別如来が安置されている
弘法大師御作の駒止地蔵尊が安置されている
土佐の長曽我部盛親公のお墓がある

→本堂:本尊負別如来(阿弥陀如来立像)




本尊阿弥陀如来は、仏師快慶作と伝えられ、寺伝には次のように記録されている。
大法師康慶の弟子快慶安阿弥はある夜、夢の中にて聖僧のお告げを受けた。「東国より客僧来たりて、仏像の彫刻を求められるにつき、その望みを叶えられるべし」霊夢にたがわず、翌日1人の旅僧が安阿弥を訪ねてきた。「我は奥州湯殿山に庵室を結び居る覚明なり。かねてより護持すべき御本尊なき事を嘆きおるところ聖僧の夢告により、上洛して安阿弥に尊像を請えとのお示しにて参上せり」
こうして、お互いに霊瑞の符号に驚き、かつ喜んで、明春三月には本尊彫刻を成就する約束をした。
安阿弥も今度の彫刻は仏勅と思い、一刀三礼のもとに約百二十日をかけて御身丈二尺七寸の新像を完成させ、持仏堂に安置して礼拝していたが、その相好は円満殊勝であり正に仏力の賜と感銘一入にて、我方の護持し奉りたいと思念した。時過ぎて約定の日に覚明は来訪したが、安阿弥は偽って「この度の御本尊は霊告によるものなれば、一刀三礼丹誠を抽んでのことにて容易に成就し難く明春の今頃まで待ち給え。」と言う。覚明は落胆しながらも翌年に再び上京したところ、今度は安阿弥も偽りようもなく本尊を覚明に贈った。覚明は本尊の尊容に大変歓喜して帰途についたが、一方、安阿弥は今一度御本尊を拝し奉りたいという気持ちを止められず、覚明の後を追った。滋賀県との県境、山科の追分でおいついて、今までの委細を覚明に述べて心より謝り、御拝致したく懇願した。
覚明は事の次第に大いに感銘し、唐櫃の蓋を開こうとすると、たちまち内より光明赫然放出し、紫雲がたなびいた。両人思わず伏して礼拝をして、おそるおそる内の様子を伺うと、不思議なことに一体の尊像がいづれがいづれとも申されず、二体に分身していた。
この不思議に両名は感涙にむせび、仏意の御はからいと、各々一体ずつ背負い、覚明は東国に、安阿弥は当地に帰った。爾来、この奇瑞を喜び、この本尊を負別如来と崇敬するようになった。
現に宮城県仙台市泉区福岡に当山と同様の縁起を伝える尊像が奉安されている。なお、仙台の尊像は「笈分(おいわけ)如来」と称されている。
http://www.renkouji.info/





→駒止地蔵と稲荷社



石造の地蔵尊。この地蔵尊は、弘法大師作で、六条河原の刑場に祀られていたと伝えられている。鴨川の氾濫で埋もれていたが、1158年、平清盛の乗馬が急に動けなくなったので、あたりを掘ってみると、地蔵尊が出てきたとか。。。



よこに聖観音立像が安置されています。


→長曽我部盛親公のお墓

大阪夏の陣に敗れた土佐の長曽我部盛親公の五輪供養塔がある。1615年の大阪夏の陣に敗れ、盛観公41才、法名を領安院殿源翁崇本大居士と諡し、太刀、鎧(片紬)、鐙等がこの寺にあるよう。

高知良いな~!また行きたいな~。。
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