祇園祭発祥「素盞嗚神社」ここから廣峯と京都八坂へ!備後国一宮【広島シリーズ/広島福知山シリーズ】
祇園祭&茅の輪くぐり発祥!蘇民将来伝説!!スサノオといえば廣峯神社から八坂神社(私のNOTE)としたが、素盞嗚神社から廣峯神社に遷座させたとする。つまり、この「素盞嗚神社」から「梛神社」を経由し「八坂神社」に牛頭天王は移ったということである。
本NOTE公開翌日に公開する「吉備津神社」も、ここと同じ備後一宮である。この2社の優劣がつけられないは「無言の神事」の繋がりだろうか。無言の神事は、備後国一宮・吉備津神社の神官が神霊を乗せた神馬を率いてここに来社し、幣帛・神饌を供えて祝詞を奏上、引受神官には無言のまま礼をして帰社するというもの。何らかの政治的な戦いがあり和睦したのか?キビツヒコ(桃太郎)がスサノオに降参したのか?(負けたけどXXするので許して!毎年一回は来ますなどで許してもらったとか?それが「無言の神事」なのか??)
この話だが出雲にも似た話がある。一宮・出雲大社(私のNOTE)はお祭りをするための道具を一宮・熊野大社(私のNOTE)に訪れて貰いに行くが、熊野大社の下級の神職に駄目だし・説教された後に道具を頂くもの。また美保神社(私のNOTE)には氏子の1名が代表になり夜な夜な無言でお参りするものがある。なにか、出雲との繋がりを感じる習わしがある地域だなと。
もしくは、廣田神社と西宮神社(私のNOTE)の関係のように、元々は1つで分かれたのか??
吉備津神社と聞けば岡山・吉備津神社のほうを思う人は多いと思うが、本NOTEは広島のほうです。両方一宮なところにキビツヒコの力を感じる。私の岡山・吉備津神社NOTEは次の通り。
あと、愛知県の豊川市にも「素盞嗚神社」が多く、出雲っているんだな。そのうち公開します。
変更履歴
2025/03/17:初版
▼HP▼アクセス
公式HP:https://susanoojinja.com/
広島県福山市新市町戸手1−1
▼祭神・本尊と脇時
スサノオ(牛頭天王、天道神)
イナダヒメ:スサノオの妻
八王子命(五男三女の御子神):スサノオとイナダヒメの八人の皇子(八将軍・八将神)
スサノオ💛イナダヒメの主要なところを紹介しますが、また纏めようかな。
京都・出雲大神宮の上ノ社:https://note.com/yanma_travel/n/n5130290514f9#JJ1Os
兵庫・廣峯神社/京都・岡崎神社/京都・八坂神社:https://note.com/yanma_travel/n/n8aca913b4711
蘇民将来伝説
スサノオは、出雲から南海・鞆の浦を旅をする。旅の途中で宿を求めた武塔神を裕福な弟の巨旦将来は断り、貧しい兄の蘇民将来は粗末ながらもてなしました。旅の帰り道に再び寄った武塔神は、蘇民の娘に茅の輪を付けさせ、蘇民の娘を除いて、八つ裂きにして滅ぼしました。そこでスサノオと正体を名乗り、以後、茅の輪を付けていれば、我の災いを避けることができると教えたとされています。
出雲より鞆の浦を目指した際ルートとしては諸説ありますが、一説によると、備後に入ると神石から神谷川を下りその際に左手側に見えるのが、「蛇円山」です。蛇が円を描いた山、蛇円山。ヤワタノ大蛇ゆかりとも言われています。そして、神谷川が芦田川と合流する地に鎮座するのが、この素盞嗚神社になります。神谷川と芦田川、茅の輪の茅と言えば芦の事ですよね。何とも、スサノオの神話に関連した、固有名詞が続きます。素盞嗚神社から山を越え、そのまま南下した場所の地名が神村です。この説によれば、そこから東に進路を変え、船に乗って鞆の浦を目指したということです。その船に乗った場所が神島ではないかと言われています。神島と言えば、日本のポンペイとも言われる草戸千軒遺跡の草戸町のすぐ北側になります。
スサノオルートの地名を聞いただけで、皆さんワクワクすると思います。
最後に素盞嗚神社は、巨旦将来屋敷跡に鎮座していると伝えられています。
巨旦将来はスサノオに八つ裂きにされた後、その恨みから金神という疫病神となりったということです。
https://www.k-shinichi.com/spot?id=7
鞆の浦は私の旅行記NOTE『広島③◆福山市の神社仏閣/鞆の浦ブラリ(33年に一度の秘仏公開&福山の仏像集合)|やんまあ@旅行記』をどうぞ!!
では本題になります。
▼見どころ
→由緒
713年編纂の『備後風土記』に「蘇民将来伝説」の舞台の古社だが、「疫隈国社」とある
備後國一の宮
古来から「戸手の天王さん(てんのうさん)」として親しまれてきた
679年、創建
733年、広峰神社(私のNOTE)曰く
吉備真備は唐より帰朝して、この地に異神を見る
真備はその旨を京都(私のNOTE)に帰って奏上
翌年、神社を造営したのが創祀
初めは、白幣山に所在していたと伝えられる
734年、吉備真備が素盞嗚神社から播磨・広峯神社(私のNOTE)に勧請
927年編纂の『延喜式』には、深津郡一座の「須佐能袁神社」となっている
神仏習合で、神社名も祇園社、天王社、江熊祇園牛頭天王社とも称されていたようだ
ここは、元々はスサノオで、仏教系の神・牛頭天王を後で祭神としたようだ
古社に神宮寺が出来たように、「早苗山天竜院天王寺」という真言系の別当寺が作られた
1583年、相方城主・有地元盛の外護により社殿の葺替が行われた
江戸時代の初めには福山藩主・水野氏の援助によって社殿の造営が行われた
1868年、神仏分離令で、現在の「素盞嗚神社」となる
(これを言い出すと、本来はスサノオではなくて牛頭天王だ!という話になるが、歴史的にはスサノオ=牛頭天王で良いと思う。本地垂迹が本来の日本の考えだろうと思うので。宗教においては明治以前が本来の宗教観の認識)7月に行われる例大祭「祇園祭」はけんか神輿で有名だが、神輿が還御した後には「無言の神事」が行われる
無言の神事は、備後国一宮・吉備津神社の神官が神霊を乗せた神馬を率いて来社し、幣帛・神饌を供えて祝詞を奏上、引受神官には無言のまま礼をして帰社するというもので、その由来は不詳だが、吉備津神社の深い関わりを示すもの
※出雲大社(私のNOTE)と熊野大社(私のNOTE)の関係に感じるのは私だけ??


→随身門/神楽殿/境内
広島・吉備津神社同様に六脚の神門。手水舎の下に注目!手水鉢を支えている鬼がいる。。 毎年7月に行われる祇園祭では、神楽殿に神輿が納められるようですね。京都・今宮神社(私のNOTE)と同じですね。












→拝殿・本殿
備後福山藩の初代藩主・水野勝成の再建。しかし、この地域は水野家の力がすごいな。さすが徳川家繋がりだなと本当に思う。


















→蘇民神社:蘇民将来/疱瘡神社:比比羅木其花麻豆美神
備後國風土記の舞台「疫隈國社」は、本殿のことではなくここがではないかとも。スサノオに滅ぼされた蘇民将来の弟・巨旦将来の屋敷跡とも言われている。


蘇民神社:蘇民将来
疱瘡神社:比比羅木其花麻豆美神(ヒヒラギソノハナマヅミノカミ)
ところで、皆さんは蘇民将来伝説をご存知でしょうか?
スサノオが出雲から南海(鞆の浦と思われる)旅をするお話です。
旅の途中で宿を求めた武塔神を裕福な弟の巨旦将来は断り、貧しい兄の蘇民将来は粗末ながらもてなしました。
旅の帰り道に再び寄った武塔神は、蘇民の娘に茅の輪を付けさせ、蘇民の娘を除いて、八つ裂きにして滅ぼしました。
そこでスサノオと正体を名乗り、以後、茅の輪を付けていれば、我の災いを避けることができると教えたとされています。
出雲より鞆の浦を目指した際ルートとしては諸説ありますが、一説によると、備後に入ると神石から神谷川を下りその際に左手側に見えるのが、「蛇円山」です。
蛇が円を描いた山、蛇円山。
ヤワタノ大蛇ゆかりとも言われています。
そして、神谷川が芦田川と合流する地に鎮座するのが、この素盞嗚神社になります。
神谷川と芦田川、茅の輪の茅と言えば芦の事ですよね。
何とも、スサノオの神話に関連した、固有名詞が続きます。
素盞嗚神社から山を越え、そのまま南下した場所の地名が神村です。
この説によれば、そこから東に進路を変え、船に乗って鞆の浦を目指したということです。
その船に乗った場所が神島ではないかと言われています。
神島と言えば、日本のポンペイとも言われる草戸千軒遺跡の草戸町のすぐ北側になります。
スサノオルートの地名を聞いただけで、皆さんワクワクすると思います。
最後に素盞嗚神社は、巨旦将来屋敷跡に鎮座していると伝えられています。
巨旦将来はスサノオに八つ裂きにされた後、その恨みから金神という疫病神となりったということです。
→天満宮:菅原道真
神仏習合時代の別当寺「早苗山天竜院天王寺」の本堂「本地堂」だったようだ。分かる人は分かる御堂だなという感じですね。祭神は菅原道真ですね。ツウは気づくはず。そう!神宮寺「別当寺・早苗山天竜院天王寺」の本堂である!!薬師如来坐像ではなく聖観音が本尊で、脇侍に不動明王と毘沙門天だったようだから天台宗なのかなと。という話を置いておいて、ここにも天神様が祀られている。



現在天神社の社殿であるが,もとは戸手祇園社(早苗山天王院)の本地堂(観音堂)として建立されたものである。
明治時代の廃仏毀釈の際,寺院建築の正面桟唐戸や内部の須弥壇を撤去して神座を造り本地堂としたが,18世紀前半の三間堂の外観がよく残っている。平成10年(1998年)に屋根の葺き替えや修復を行い,外観は寛延元年(1748年)の再建時の姿に復元された。
→相方城門
戦国時代に「豊臣秀吉」の山城禁止令により相方城(さがたじょう)から移築されたもの。相方城とは福山市新市町相方に築かれた山城で「佐賀田城」と表記されることも。城主・有地氏の甥が天王寺(素盞嗚神社)の僧侶であったことから当神社に移築されたようだ。
北側に山門2棟が相方城の山門と伝えられている。東門は16世紀末から17世紀ころで、現存する城門としては、最も古い物とか。西門は、4本の柱があり、側面は壁が塗られているので一重の櫓門のよう。
見どころは外側にいる狛犬ですね。日本海に多い狛犬なんですけどね~。









▽祇園祭「けんか神輿」
祇園祭りはここが発祥とか。沼名前神社、小童・須佐神社と共に備後三祇園としている。
祇園祭発祥とし、最終日の「けんか神輿」は見どころのようです。そういえば、兵庫の播州辺りは御輿をぶつける「けんか御輿」が多いな~と思ったが、ここから広がったのかな。
なお、神輿が還御した後には「無言の神事」が行われます。備後国一宮・吉備津神社の神官が神霊を乗せた神馬を率いて来社し、幣帛・神饌を供えて祝詞を奏上、当社の引受神官には無言のまま礼をして帰社するというものがある。まるで、一宮・出雲大社(私のNOTE)と一宮・熊野大社(私のNOTE)の関係と同じで、吉備津神社と素戔嗚神社の関係がある。
祇園祭
現在では、京都の祇園祭をはじめ、博多祇園山笠など日本全国に広がっている祇園祭。その祇園祭の発祥が、こちらの素盞嗚神社となります。
元々祇園祭は、疫病神であるスサノオを鎮めきれず、町中から退去頂くるために行われていた祭りです。7月と言えば、湿気が多くジメジメし流行り病や食中毒が多い時期です。医療が発達していない当時は疫病神が悪さをして、お祀りしているだけでは鎮めきれないと考え、町中からスサノオに出て行ってもらうために行いました。町を神輿で巡りスサノオの分霊をすべて集め、御旅所に引っ越して頂くのです。
そのため御旅所は、民家の全くない山頂に鎮座する場所にあり、現在では新市神社となっています。御旅所では、今でも夜通し備後神楽が舞われスサノオが、退屈になって再び町に舞い戻らないようにもてなしているのです。
また、京都や福岡では祇園祭の最中に、きゅうりを食べないとなっていますが、実は祇園祭発祥の地「新市」では必ずきゅうりを食べます。
こちらでは、祇園祭になるとタコときゅうりを酢で和えたものが食卓に並びます。祇園祭になるときゅうりがスーパーから無くなるほどです。きゅうりは水分が非常に多く体温を下げる効果があるため、夏に食するのが自然な食品です。
伝わる話では、スサノオがきゅうりを取りに畑に入ったところ、竹垣が目に刺さり嫌いになったと言われています。悪さをするスサノオの分霊を神輿に乗せてお連れするのに、自分に厄病を降りかからないようにキュウリを食べ、厄払いとしたのです。
現在の素盞嗚神社の祇園祭は、喧嘩神輿で有名となっっており神輿のぶつかるゴーン!といった音が響く勇壮な祭りとして大勢の参拝客で賑わってます。
疫病神であるスサノオの分霊を神輿に乗せて街中を練り歩き、全て乗せると人のいない山頂の新市神社に追放し、新市神社で朝まで神楽をお披露目して、退屈凌ぎをしてもらい街に戻らないようにするお祭りなんだそうな。
翌日また神輿に乗せて街中を練り歩き元の場所に戻ってもらう。祭りの日は、家庭でキュウリにタコを酢で揉んだようなものを食べるよう。これはスサノオがキュウリが苦手だとの話がある為です。
ということで、夏になるとキュウリにタコの酢の物を食べることが多いのですが、私はスサノオの末裔かな!?(冗談です。。)
現在では、京都の祇園祭をはじめ、博多祇園山笠など日本全国に広がっている祇園祭。その祇園祭の発祥が、こちらの素盞嗚神社となります。けんか神輿は、無病息災を願って平安時代から行われる祇園祭のメインイベント。
祇園祭の最終日の夜に、新市地区、中須地区、戸手・相方地区の3地区を巡った神輿が素盞嗚神社の境内でぶつかり合います。神輿のぶつかるゴーン!といった音が響く勇壮な祭りとして大勢の参拝客で賑わいます。
https://www.k-shinichi.com/gionmatsuri2024/
けんか祭りって、兵庫・松原八幡神社にもあるけど、なにかが繋がっているんだろうな~。(藤原道長の娘&紫式部が仕えた人物「松原八幡神社/八正寺」灘のけんか祭り【播磨シリーズ】)
最近、物部(吉備)と出雲の小競り合いから来ているんじゃないかと思うぐらい、この瀬戸内と日本海側で、戦いの継承や同盟の歴史の話がある気がするんだよな~
▼メディア情報
『素戔嗚神社と古墳』(https://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/uploaded/attachment/53712.pdf)
これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。
ちょっと気になる記事?を貼っておきます。
▼旅行記▼セットで行くところ
広島③◆福山市の神社仏閣/鞆の浦ブラリ(33年に一度の秘仏公開&福山の仏像集合)|やんまあ@旅行記
その他の旅行記は次を参照
広島の神社仏閣は次を参照。
▼私の備忘録





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