永観堂鎮守社!京都三熊野「熊野若王子神社」全ての苦難をなぎはらう梛御守【哲学の道】【南禅寺から銀閣寺へ】
哲学の道スタート!桜の季節や秋の紅葉も見事な社。1160年に後白河法皇が熊野権現を禅林寺(永観堂)の守護神として勧請。熊野詣遠い!皇室は京都にも熊野三山を創建している!その1社です!!紀州那智権現の若一王子(にゃくいちおうじ)を勧請。
平安貴族に人気だった熊野詣。後白河法皇編纂『梁塵秘抄』(りょうじんひしょう)にも「熊野の参るには紀伊路と伊勢路のどれ近し、どれ遠し」と記されている。
後白河上皇は34回、後鳥羽上皇は28回、鳥羽上皇は21回参拝しており、ルートは田辺からは中辺路を辿る「紀伊路」が一般的だった。
新熊野神社、熊野神社と並び京都三熊野神社の一つに数えられる。(熊野神社はまたの機会に)


変更履歴
2025/12/07
紅葉時期に参拝したので写真増量(2025/11/28検索)
「→由緒・歴史」を追加
2022/04/07:初版
参拝記録:2018年前、2018年3月、2025年11月
▼HP
▼アクセス
京都市左京区若王子町2番地
※若王子神社から銀閣寺までは徒歩30分
▼祭神
国常立神、伊佐那岐神、伊佐那美神、天照皇大神、夷川恵比須
▼見どころ
→由緒・歴史
この神社は「永観堂の鎮守社」「京都三熊野の一社」「哲学の道の起点」として知られています。
1160年: 永暦元年、上皇となって紀州熊野詣に傾倒した後白河法皇が、禅林寺(永観堂)の鎮守社として紀州の熊野権現を勧請(かんじょう)し、創祀しました。
社名は、主祭神の一柱である天照皇大神の別名**「若一王子(にゃくいちおうじ)」**に由来します。
熊野那智大社に対応する神社とされ、熊野神社、新熊野神社とともに**「京都三熊野」**の一つに数えられます。
1160年以降: この神社は、後白河法皇が34回にわたり行ったとされる熊野詣の、京都側の出発点の一つとなりました。修験者たちは、境内の裏山にある滝(ミニ那智の滝とされる)で身を清めてから出発したと伝わっています。
鎌倉時代: 鎌倉幕府初代将軍の源頼朝ら武家の信仰を集め、社領の寄進を受けました。
13世紀後半: 第90代・亀山天皇が東山に離宮(後の南禅寺)を造営した際、当社をその鎮守社とし、禅林寺新熊野社とも呼ばれました。
南北朝時代: 室町幕府初代将軍の足利尊氏が社領を寄進しました。
1467年~1477年: 応仁の乱により、社殿は荒廃しました。
不明(安土桃山時代): 豊臣秀吉が社領を寄進するなどして、社殿が再興されました。
1656年: 明暦2年、石橋が吉良家から寄進されました。
17世紀中頃(江戸時代): 恵比寿神像を祀る恵比寿殿が境内に建立されました。(この恵比寿神像は、応仁の乱で被災した夷川通の蛭子社から移されたと伝えられています)。
1868年: 明治元年の神仏分離令により、永観堂の鎮守社としての役割を終え、若王子社のみが神社として存続しました。かつてあった本地堂などは破却されました。
1979年: 昭和54年、かつて本宮、新宮、那智、若宮の四棟で構成されていた社殿を、現在の**一社相殿(いっしゃそうでん)**の本殿にまとめました。
現在: 境内の梛(なぎ)の木は樹齢400年を超える御神木とされ、その葉は**「すべての苦難をなぎ倒す」ご利益があるとして、「梛御守」**が授与されています。
現在: 若王子橋のたもとに鎮座し、哲学の道の起点として知られています。
→参拝






「くまのにゃくおうじじんじゃ」と読みます。





本殿の左側には末社・夷川社がある。社殿内にはコワモテの神像が安置されていた。







社殿は度々荒廃しており、明治の修築の際に本宮・新宮・那智・若宮などがあったが、現在は1社になっている。本殿です。














▼セットで行くところ(旅行記)
日向大神宮→南禅寺→永観堂→若王子神社→光雲寺→大豊神社→雲鑑寺→安楽寺→法然院→銀閣寺・八神社
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