鎌倉殿の13人「本覚寺/道知院」悲運の死を遂げた源実朝ゆかり寺院【京都ツウシリーズ】【烏丸四条五条シリーズ】【京都駅周辺シリーズ】
悲運の死を遂げた源実朝ゆかり寺院!!
変更履歴
2025/03/15:初版
▼HP▼アクセス
後述の「見どころ」参照
▼祭神・本尊と脇時
阿弥陀如来
▼見どころ
▽本覚寺:下京区富小路五条下ル本塩竃町558
2023年10月14日の10:00~11:00公開って1時間勝負でしたww
歴史
1222年(貞応元年)に、鎌倉幕府3代将軍・源実朝の夫人である坊門信子が創建したと伝えられています。
その後、豊臣秀吉の命により現在の場所に移転しました。
洛陽四十八願所地蔵めぐりの第48番札所です。
見どころ
本堂には、本尊の阿弥陀如来像や、本覚尼像、源融像などが安置されています。
勅使門
佛性山と号する浄土宗の寺で、團譽(だんよ)上人(玉翁和尚)を開祖とする。寺伝によれば、源実朝の後室・坊門信子が貞応元(1222)年に、西八条の遍照心院(へんしょうしんいん・大通院)内に創建し、自らの法名「本覚」から本覚寺と名付けたのが起こりという。その後、梅小路堀川に移転し、応仁の乱による荒廃の後、細川政元により高辻烏丸に再建され、末寺14を有する本山となった。その後、後柏原天皇の勅願寺となったが、天正19(1591)年に豊臣秀吉の命によって現在地に移された。
ここは嵯峨天皇の皇子・源融(みなもとのとおる・光源氏のモデル)の河原院塩竃の第のあった所で、融は鴨川の水を引き入れて池を造り、塩竃の浦(宮城県)の景観を移し、毎月難波の海(大阪湾)から海水を運ばせては塩焼きをさせて、その風情を楽しんだといわれている。当地の住所、本塩竃町にその名残が見られる。
墓地には、江戸中期に八文字屋本と呼ばれるベストセラーを相次ぎ刊行した出版社の全盛期を築いた八文字屋自笑の墓がある。











▽道知院:下京区富小路通五条下ル本塩竃町558
本覚寺の塔頭寺院の一つです。
1507年(永正4年)に本覚寺の末寺の一つとして創建されました。
1591年に秀吉の命で本覚寺とともに現在の場所に移転しました。
幾度もの火災で再建され、1886年以来末寺ではここだけが残ったそうです。
▼旅行記▼セットで行くところ
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